ひもは、引ける。引いたあとに何が起きるかは、ひもには書いていない
止めていい仕掛けを付ければ、みんな声を上げて止めるようになる——そう思いたくなる。ところが、ある工場の転換を内側から観察した研究が示したのは、現場を変えたのはひもや表示灯ではなく、止めたときに叱られない、という積み重ねのほうだった。
前の単位では、工程のばらつきを数字で見分ける管理図を扱った。ここでは、その数字が異常を告げたとき、手を止めて直せるかどうか——止める仕組みと、それを支える文化の話を扱う。
この単位が扱うのは一点——「アンドンを付ければ、手を止めて直す文化ができる」というときの「できる」が、道具を設置したこと=文化が生まれること、という飛躍を含んでいることである。まず言葉をほどく。自働化(ニンベンの付いた自働化)とは、異常が起きたら機械が自動で止まる、あるいは人がためらわず止められる仕組みを指す。アンドンとは、異常を周囲に知らせる表示や合図のことである。ひもを引く、ボタンを押す、表示灯が点く——形はいろいろだが、狙いは「止めていい」を目に見えるようにすることだ。この単位では、特定の企業を、いまの優れた例としても劣った例としても名指ししない。歴史上の事例として振り返るにとどめる。
道具を付けても、文化はひとりでには生まれない
ひもや表示灯を取り付ければ、みんなが声を上げて止めるようになる——そう思いたくなる。だが、道具と文化のあいだには、埋めなければならない隙間がある。止めていい仕掛けがあることと、実際に止めることが起きることは、別のことだ。仕掛けは、止めることを可能にするが、止めることを引き起こすわけではない。間にあるのは、止めたときに何が起きるか、という予期である。 同じひもでも、引いたら助けが来ると学んだ現場では合図になり、引いたら怒られると学んだ現場では飾りになる。ひもそのものは、どちらの現場でもまったく同じ形をしている。
NUMMIが変わったのは、仕掛けを付けたからではない
この飛躍を、実際の現場でほどいて見せた事例研究がある。1994年に *Sloan Management Review* 36(1):99-113 へ出た論文は、いちど閉鎖された自動車工場が、日本の生産方式を採り入れて世界水準の品質へ転換していく過程を、内側から観察した。著者たちは組立ラインで実際に働き、数百人への聞き取りを行っている。この事例研究が示したのは、転換の駆動が仕掛けの導入そのものではなかったことである。ひもや表示灯は取り付けられたが、現場が変わったのは、会社が人の側——訓練、異常が起きたときに叱責しない管理の応答、そこから積み上がる信頼——に多大な手間をかけたからだった。
ここで大事なのは、同じ建物・同じ設備で、以前は品質が振るわなかった現場が、方式を入れ替えたあとに変わった、という点である。設備が新しくなったから変わったのではない。変わったのは、異常が起きたときに人がどう扱われるか、のほうだった。止めた人がまず責められる現場と、止めた人と一緒に原因を見にいく現場とでは、同じひもが、まるで別の意味を持つ。
これは査読誌ではなく実務誌の事例研究であり、一つの工場の観察である。だからここから「こうすれば必ず転換する」という一般法則は引けない。引けるのは向きのほうだ——同じ仕掛けを付けても、人の側の仕組みが伴わなければ、文化のほうは付いてこない。 仕掛けは、そこにあるだけでは合図にならない。合図として通じるのは、引いたあとに毎回、決まった応答が返ってくると、現場が学んだあとである。
止める権限は、叱られない応答とセットでしか働かない
もう少し細かく見る。作業者に「異常を見つけたら止めていい」という権限を与える。それだけでは足りない。止めたときに、ラインを遅らせたと咎められる現場では、権限は紙の上のものになり、誰も使わない。逆に、止めたことがまず受けとめられ、一緒に原因を見にきてもらえる現場では、止めることが自然になる。効いているのは、権限という札ではなく、止めたあとの管理の応答のほうである。 権限付与という言葉は、しばしばこの応答の部分を省いて流通する。「止めていい」と貼り紙をするのは一日で済む。止めたときに毎回きちんと受けとめる、を続けるのには、はるかに長い時間がかかる。そして現場が見ているのは、貼り紙ではなく、実際に止めたときに何が起きたか、という事実の積み重ねのほうである。
ここで一つ、混同を避けたい。人が声を上げるかどうかは、上げたあとに何が起きるかの予期で決まる、という論点は、働く人の「声と沈黙」を扱う研究群でも整理されてきた(2014年の *Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior* 1:173-197 が、その概念を俯瞰している)。ただし、それを「アンドンを付ければ心理的な安心が生まれる」と読み替えると、また道具と文化の飛躍に戻ってしまう。順序は逆で、叱られないという応答の積み重ねが先にあり、止める行動はその結果である。
由緒と、効果は別物
自働化とアンドンには、はっきりした由緒がある。1978年に日本語で著され、1988年に英訳が出た大野耐一の書物は、異常で自動的に止まる仕組みと、人が止める仕組みを、生産方式の柱として位置づけた。後年の解説書も、この「止めて直す」を要として描いている。だが、由緒が明確なことと、「仕掛けを付ければ文化ができる」が証明されていることは、別のことである。 大野の原典は、自働化が何であるかを示した文書であって、アンドンを設置すれば止める文化が生まれると確かめた実験ではない。本家の帳票と手法名が実在するからこそ、それらは「証明済み」の顔をして流通する。だが、由緒をたどれることと、効果が確かめられていることは、同じではない。ここに、この棚の一本目の低音が響く——道具の由緒と、効果の証明は、別物である。
時間・変化:1978年から2014年まで
順に置く。1978年、大野の書物が日本語で著され、自働化とアンドンが生産方式の柱として示される(由緒)。1988年、その英訳が出て、考え方が外へ広がる。1994年、閉鎖された工場が転換する過程が事例研究として観察され、駆動が仕掛けでなく人の側への投資だったと報告される。1999年、生産方式が「統制された実験の連なりと、異常の即時可視化」として観察・記述される。2004年、止めて直すの解説が広く流通する。2014年、働く人の声と沈黙を、上げたあとの予期で説明する概念が俯瞰される。
約35年で確からしくなったのは、「アンドンで止める文化ができる」ではなく、「文化を作るのは止めたあとの管理の応答であり、仕掛けはその表出にすぎない——道具の設置と文化の発生は、別の出来事である」という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、仕掛けを付けたことを、文化ができたことと読むことである。ひもや表示灯は目に見える。だから、それが付くと、止める文化まで手に入った気がする。目に見えないのは、止めたあとの応答のほうだ。だから、よその現場を真似するとき、いちばん先に写すのはひもで、いちばん最後まで写せないのが応答になる。
ここで一つ、大事な断りを置く。止めない現場の人を、声を上げない人として責めてはいけない。 止めれば咎められる、止めれば自分が遅らせたことになる——そう予期させているのは、たいてい本人ではなく、止めたあとに起きてきたことの積み重ねである。現場の人は、直される対象ではなく、直す仕組みをいちばんよく知っている当事者である。
標本の偏りも断っておく。ここまでの証拠は、大きな組立工場の観察に寄っている。一人で作って一人で検品する工房や、厨房を一人で回す現場では、止める相手も、応答する相手も、自分ひとりである。 そこでは「止める文化」は、他人との関係ではなく、自分が自分に許す止め方——手を止めて確かめることを、遅れや損と感じずに済ませられるか——という形で現れる。誰にも咎められないはずの一人の現場でも、人は「ここで止めたら間に合わない」と自分を急かす。その急かしをつくっているのは、たいてい過去に、止めたことで実際に困った記憶のほうである。
助けになるのは、自分が最近、手を止めた場面と、止めずに進めた場面を、それぞれ思い出して書いておくという一手である。どちらが正しかったかを裁くのではない。止めた/止めなかったを分けたのが、道具だったのか、そのあと何が起きるかの予期だったのかを、自分の言葉で見るためである。たいていの場合、そこにひもや表示灯は出てこない。出てくるのは、間に合うかどうか、あとで面倒にならないか、という予期のほうである。
最初の一歩は10分。直近で、作業の途中に「あれ、おかしいな」と感じた場面を一つ思い出し、そのとき手を止めたか・止めなかったかを書く。そして、そう動いた理由を一行添える(急いでいた/止めても平気そうだった/止めると面倒になりそうだった、など)。理由を良い悪いで採点しない。何が自分の止め方を決めているかに、目を向けるだけである。
次の単位は 328「作りすぎを防ぐには?」——手を止めて直せる現場の上に、そもそも作りすぎないための引っ張り方式(かんばん)が、どこまで効くのかを、ここに積み上げる。
- 「アンドン(異常を知らせる表示や合図)を付ければ、手を止めて直す文化ができる」は、道具の設置=文化の発生という飛躍を含む。仕掛けは止めることを可能にするが、引き起こすわけではない。間にあるのは、止めたときに何が起きるかという予期である。自働化とは、異常で機械が自動で止まる、または人がためらわず止められる仕組みを指す
- 1994年に Sloan Management Review 36(1):99-113 へ出た事例研究は、閉鎖された自動車工場が日本の生産方式で世界水準へ転換する過程を内側から観察した(著者はラインで働き数百人へ聞き取り)。転換の駆動は仕掛けの導入ではなく、訓練・異常時に叱責しない管理の応答・信頼という人の側への投資だった。これは実務誌の一事例で、引けるのは一般法則でなく向きである
- 止める権限を与えるだけでは足りない。止めたときにラインを遅らせたと咎められる現場では、権限は紙の上のものになり誰も使わない。効いているのは権限という札ではなく、止めたあとの管理の応答のほうである。権限付与という言葉は、しばしばこの応答の部分を省いて流通する
- 人が声を上げるかは、上げたあとの予期で決まる。2014年の Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior 1:173-197 が声と沈黙の概念を俯瞰している。ただしこれを「アンドンを付ければ安心が生まれる」と読み替えると道具と文化の飛躍に戻る。順序は逆で、叱られない応答の積み重ねが先、止める行動はその結果である
- 自働化とアンドンには由緒がある。1978年に著され1988年に英訳が出た大野耐一の書物が、止めて直すを生産方式の柱として位置づけた。だが由緒が明確なことと、仕掛けを付ければ文化ができるが証明されていることは別である。原典は自働化が何かを示した文書であって、設置すれば文化が生まれると確かめた実験ではない
- 止めない現場の人を、声を上げない人として責めてはならない。止めれば咎められると予期させているのは、たいてい本人ではなく、止めたあとに起きてきたことの積み重ねである。現場の人は直される対象ではなく、直す仕組みをいちばんよく知る当事者である。一人で回す現場では、止める文化は自分が自分に許す止め方として現れる
- 1978年の由緒、1988年の英訳、1994年のNUMMIの事例観察、1999年の生産方式の記述、2004年の解説の流通、2014年の声と沈黙の俯瞰——約35年で確からしくなったのは、アンドンで文化ができる、ではなく、文化を作るのは止めたあとの管理の応答で、仕掛けはその表出にすぎない、という向きである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| アンドン(止めていい仕掛け)を付ければ、手を止めて直す文化ができ、みんなが声を上げるようになる | 1994年の事例研究が観察した工場の転換は、仕掛けの導入ではなく、訓練・叱責しない応答・信頼という人の側への投資に由来した。仕掛けは止めることを可能にするが引き起こさない。間にあるのは、止めたときに何が起きるかの予期であり、道具の設置と文化の発生は別の出来事である |
| 作業者に「止めていい」という権限を与えれば、止める行動は起きる | 止めたときにラインを遅らせたと咎められる現場では、権限は紙の上のものになり誰も使わない。効いているのは権限という札ではなく、止めたあとの管理の応答のほうである。権限付与は、しばしばこの応答の部分を省いて流通する。叱られない応答の積み重ねが先で、止める行動はその結果である |
| 止めない現場は、声を上げない、意識の低い人たちの集まりだ | 止めれば咎められる、止めれば自分が遅らせたことになる——そう予期させているのは、たいてい本人ではなく、止めたあとに起きてきたことの積み重ねである。現場の人は直される対象ではなく、直す仕組みをいちばんよく知る当事者だ。止めない責任を個人の意識に帰すのは、応答の側の問題を見えなくする |
皮肉なのは、いちばん撮りやすいのが、あのひもだということである。工場を紹介する記事は、たいてい、天井から下がったひもを写す。ひもは写る。止めたあと誰も叱らなかった、という無数の小さな応答は、写らない。止める文化のいちばん大事な部分は、写真に写らないところで、毎日、静かに積まれている——そして、写らないから、真似するときにいちばん先に省かれる。
Q1. 「アンドンを付ければ文化ができる」に含まれる飛躍とは何か。仕掛けと止める行動の関係で説明せよ。一問一答
Q2. 1994年のNUMMIの事例研究が、工場の転換の駆動として報告したものはどれか。選択
Q3. 止める【 ① 】を与えるだけでは足りない。止めたときに咎められる現場では、それは紙の上のものになる。効いているのは札ではなく、止めたあとの管理の【 ② 】である。声を上げるかは上げたあとの【 ③ 】で決まり、叱られない応答が先で行動は結果である。穴埋め
Q4. この単位で扱った出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)閉鎖された工場の転換が事例研究として観察される(イ)大野の書物が自働化とアンドンを柱として示す(ウ)働く人の声と沈黙を上げたあとの予期で説明する概念が俯瞰される並べ替え
Q5. この単位が「止めない現場の人を責めてはいけない」と断るのはなぜか。誰が予期を作っているかに触れて答えよ。一問一答
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、直近で、作業の途中に『あれ、おかしいな』と感じた場面を思い出す。できれば、手を止めた場面と、止めずに進めた場面を、それぞれ一つずつ挙げる。それぞれについて、そのとき手を止めたか・止めなかったかを書き、そう動いた理由を一行だけ添える(急いでいた/止めても平気そうだった/止めると面倒になりそうだった、など)。どちらが正しかったかを裁かない。理由を良い悪いで採点しない。誰かに質問したり、同僚の動きを観察したりしない。あくまで自分自身の記憶から、自分の止め方を決めたものが、道具だったのか、そのあと何が起きるかの予期だったのかに目を向けるだけである。一人で作業を回している場合は、止めることを遅れや損と感じたかどうかが、その予期にあたる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Wilms W.W., Hardcastle A.J., Zell D.M. (1994) 'Cultural Transformation at NUMMI', Sloan Management Review 36(1):99-113 — sloanreview.mit.edu
- 大野耐一 (1978)『トヨタ生産方式——脱規模の経営をめざして』ダイヤモンド社 — search.worldcat.org
- Ohno T. (1988) 'Toyota Production System: Beyond Large-Scale Production', Productivity Press — search.worldcat.org
- Spear S., Bowen H.K. (1999) 'Decoding the DNA of the Toyota Production System', Harvard Business Review 77(5):96-106 — hbr.org
- Morrison E.W. (2014) 'Employee Voice and Silence', Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior 1:173-197, doi:10.1146/annurev-orgpsych-031413-091328 — doi.org
- Liker J.K. (2004) 'The Toyota Way', McGraw-Hill — search.worldcat.org