在庫の「最適量」を出す式は、著者自身が「これは仮の数字だ」と断っていた
在庫の最適量を出すEOQという式は、いかにも厳密に見える。皮肉なことに、その原典に当たると、いちばん効く在庫維持費の数字を、著者本人が「10%と仮定するが、倍が妥当な場合も多い」と断っている。式の谷の位置は、その仮の数字しだいで動くのである。
前の単位では、需要をどう見積もるのかを扱った。ここでは、見積もった需要をもとに、一度にどれだけ仕入れて持つのか——在庫の量の決め方を扱う。何を費用と数えるかで最適の位置が動く、という見方は、ここでいっそうはっきり出る。
「EOQの公式で在庫は最適化できる」という一本の式
在庫管理の入門書には、たいてい一本の式が載っている。EOQ——経済的発注量。一度にいくつ仕入れれば費用がいちばん小さくなるかを出す式で、√(2DS/H) と書かれる。Dは一定期間の需要、Sは一回あたりの設定費(発注や段取りにかかる固定費)、Hは品物一つを一定期間持ち続ける在庫維持費である。この一本で最適な量が出る、と紹介される。平方根の記号がつくと、答えは計算の産物に見える。 勘で決めていた量に、客観的な根拠が与えられた気がする。そこでこの単位は、式を使う前に、その式が何の上に立っているかを、原典まで戻って確かめる。式そのものは正しい。問うのは、式に入れる数字が、どこから来たかである。
二つの費用の綱引き
EOQの原型は、**1913年に *Factory* という実務誌へ出た、フォード・W・ハリスの2ページの記事である。学術誌ではないその記事を、1990年に *Operations Research* 38巻6号が原文のまま復刻した。当方が読んだのはこの復刻版だ。ハリスはまず、量を決めるのは二つの費用の綱引きだと書く——“Interest on capital tied up in wages, material and overhead sets a maximum limit to the quantity of parts which can be profitably manufactured at one time; ‘set-up’ costs on the job fix the minimum.”(資材や人件費に寝る資本の利息が、一度に作れる量の上限を決め、段取り費が下限を決める)。たくさん持てば資本が寝て利息がかさむ。少しずつでは段取りの費用が回数分かさむ。** その谷が最適量だ、というのがEOQである。
需要の側についても、ハリスは一言だけ触れている——“It is evident that the greater the movement of the stock the larger can be the quantities manufactured on an order.”(引き取りが多いほど、一度に作れる量も増える)。ここで需要は、一定の率で流れていくものとして組み込まれている。式の美しさは、この「一定」という置き方に支えられている。
原典には、但し書きがあった
問題は、その谷の位置が、入力の数字しだいで動くことである。そしてハリス自身が、その数字を仮に置いたと書いている。在庫維持費について——“It will here be assumed that a charge of ten per cent on stock is a fair one to cover both interest and depreciation. It is probable that double this would be fairer in many instances.”(在庫への負担を10%と仮定するが、実際には倍が妥当な場合も多いだろう)。品物の単価についても——“…which is not added because assumed constant.”(単価は一定と仮定するので加えない)。
最適なのは「式」ではない。「仮に置いた費用構造の下での」最適である。 10%を20%に替えれば谷は動く。
何を費用と数え、いくらと置くか——その決めが、最適量を作っている。 式の見た目の厳密さが、この決めの恣意性を覆い隠す。谷の底は、実は平らに近いことも多い。多少ずれても総費用はさほど変わらないのに、小数点まで出た「最適量」を見ると、その一点が正解に見えてしまう。厳密なのは計算であって、入力ではない。
式は四つの前提の上に立っている
原典の式は、少なくとも四つの前提を敷いている。①需要は一定(引き取りが一定の率で続く)、②設定費は固定(一回いくらで、量によらない)、③単価は一定(まとめ買いで安くならない)、④切らさず、注文すればすぐ届く(欠品も待ち時間もない)。現場では、この四つはたいてい崩れている。 需要は上下し、まとめ買いには値引きがつき、注文しても届くまで日数がかかる。
だからこの単位は、「式が間違っている」とは言わない。 言うのは——式が捨てた前提を、一つずつ現実に戻すのがこの段の仕事だということである。この単位は、そのうち「何を一定と置いたか」だけを扱う。 切らす前提(欠品なし)を戻すのが次の307、余る側を戻すのが308である。
前提が崩れると、何が起きるか。需要が跳ねれば、一定を前提にした最適量は切らす側に外れる。まとめ買いに値引きがつけば、たくさん持つほうが単価で得になり、谷は右へずれる。式は、こうした揺れをはじめから計算に入れていない。 入れていないものは、答えに出てこない。305で見た「入っていない費用は最適化されない」が、ここでは「置いた前提の外は答えに映らない」という形で戻ってくる。
有名な式の、読まれなかった原典と、百年の拡張
皮肉なのは、これほど有名な式の原典が、長いあいだ読まれていなかったことである。1990年に *Operations Research* 38巻6号へ出た史料論文は、ハリスの原典が広く流布したにもかかわらず長年見過ごされ、1988年になってようやく「再発見」された経緯を扱っている(本文の逐語は取得していないため、経緯の趣旨だけを引く)。式は毎日使われ、原典は誰も見ていなかった。誰も原典を読まないあいだ、10%は仮の数字だという但し書きも、一緒に忘れられていた。 式だけが独り歩きし、断り書きは置き去りになる——これは、この棚で何度も出会う形である。
そして100年のあいだに、この式は無数の拡張に取り囲まれた。早いものでは、**1958年に *Management Science* へ出た版**が、需要が時間で変わる場合を扱い、「一定需要」の前提を一つ外した。2014年に *International Journal of Production Economics* 155巻へ出た概観は、ハリスの基本モデルから派生した研究を219本集め、15の拡張の流れに整理している。同じ巻には、生誕100年を記念して原典の位置づけを確かめるエディトリアルも並んだ。値引きを入れる、需要の変動を入れる、欠品を許す——前提を一つ緩めるたびに、別の式が立つ。 基本のEOQは、その中心にある一点にすぎない。式が一本に見えるのは、前提を全部そろえて固定したときだけである。
時間・変化:1913年から百年の道のり
順番はこうである。1913年、実務誌に2ページの記事として、二つの費用の綱引きの式が載る。入力は著者自身が「仮に置いた」と断ったものだった。1958年、需要が時間で変わる場合の版(動的ロットサイズ)が学術誌に出て、「一定需要」の前提が一つ外れる。1990年、原文が学術誌に復刻され、原典が75年ぶりに正面から読まれる。2014年、生誕100年を機に、219本・15の流れとして拡張の全体が概観される。100年で、式のまわりは豊かになった。中心の式が敷いた前提は、100年前と変わっていない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、式が出した数字を「最適」と信じて、入力を疑わないことである。谷の位置は、在庫維持費を何%と置くか、設定費をいくらと数えるかで動く。その二つを疑わないと、恣意的な仮定の上の答えを、客観的な最適と読み違える。
標本の偏りではなく、前提の偏りを断っておく。ここまでの式は、一定の需要と、まとめ買いの値引きが無い世界のものである。 あなたの仕入れが、値引きや変動や納期の揺れを含むなら、基本のEOQはそのままでは当てはまらない。それは式の欠陥ではなく、式が最初から断っていた範囲の外だというだけである。範囲の外で式を使えば、答えは出る。ただしその答えは、置いた前提のぶんだけ、現実からずれている。
助けるのは、式を使う前に、自分が置いた前提を一行ずつ書き出すという一手である。需要は本当に一定か。設定費はいくらか。単価はまとめ買いで動かないか。切らさない前提でよいか。この四行が書ければ、式の答えが当てはまる範囲も、外れる場面も、同時に見えてくる。 谷の位置そのものより、谷がどれだけ動きうるかのほうが、実務では効くことが多い。
最初の一歩は5分。いま繰り返し仕入れている品目を1つ選び、「一度にどれだけ持つか」をどう決めているかを1行で書く。 そのうえで、その判断が置いている前提——需要は一定と見ているか、まとめ買いの値引きを当てにしているか、届くまでの日数を見込んでいるか——を、思いつくかぎり書き出す。 式を解くのではなく、前提を並べることが、今日の収穫である。前提が三つ出てきたら、そのうちどれが今いちばん揺れているかに、一つ印を付けておく。次に量を決め直すとき、まず見るべきはそこである。前提が動くとき、最適量も一緒に動く——それを知っているだけで、式の答えとの付き合い方は変わる。
- EOQ(経済的発注量)は、一度にいくつ仕入れれば費用がいちばん小さくなるかを出す式で、√(2DS/H)と書かれる。Dは需要、Sは一回あたりの設定費(発注や段取りの固定費)、Hは在庫維持費である。原型は1913年に実務誌Factoryへ出たフォード・W・ハリスの2ページの記事で、1990年にOperations Research 38巻6号が原文のまま復刻した
- ハリスは、一度に持つ量を決めるのは二つの費用の綱引きだと書いた。資材や人件費に寝る資本の利息が一度に作れる量の上限を決め、段取り費が下限を決める。たくさん持てば資本が寝て利息がかさみ、少しずつでは段取りの費用が回数分かさむ。その谷が最適量である
- 谷の位置は入力の数字しだいで動き、ハリス自身がその数字を仮に置いたと書いている。在庫への負担を10%と仮定するが実際には倍が妥当な場合も多いだろう、単価は一定と仮定するので加えない、と原典に但し書きがある。最適なのは式ではなく、仮に置いた費用構造の下での最適であり、何を費用と数えいくらと置くかの決めが最適量を作っている
- 原典の式は少なくとも四つの前提を敷いている——需要は一定、設定費は固定、単価は一定、切らさず注文すればすぐ届く。現場ではこの四つはたいてい崩れている。式が間違いなのではなく、式が捨てた前提を一つずつ現実に戻すのがこの段の仕事で、306は何を一定と置いたかだけを扱い、切らす前提を307、余る側を308が戻す
- これほど有名な式の原典は、長いあいだ読まれていなかった。1990年にOperations Research 38巻6号へ出た史料論文は、ハリスの原典が広く流布したにもかかわらず長年見過ごされ、1988年になってようやく再発見された経緯を扱っている(本文の逐語は取得していないため趣旨のみを引く)
- 100年のあいだに、この式は無数の拡張に取り囲まれた。2014年にInternational Journal of Production Economics 155巻へ出た概観は、ハリスの基本モデルから派生した研究を219本集め、15の拡張の流れに整理している。値引きを入れる、需要の変動を入れる、欠品を許す——前提を一つ緩めるたびに別の式が立ち、基本のEOQはその中心にある一点にすぎない
- 妨げるものは、式が出した数字を最適と信じて入力を疑わないことである。谷の位置は在庫維持費を何%と置くか、設定費をいくらと数えるかで動く。基本のEOQは一定の需要とまとめ買いの値引きが無い世界のものであり、値引きや変動や納期の揺れを含む仕入れにはそのままでは当てはまらない。それは式の欠陥ではなく、式が最初から断っていた範囲の外だというだけである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| EOQの公式を使えば、在庫は最適化できる | 前提つきで正しいが、その前提が効いている。1990年にOperations Research 38巻6号が復刻した1913年の原典で、著者ハリスは在庫への負担を10%と仮定するが実際には倍が妥当な場合も多いこと、単価は一定と仮定して加えないことを但し書きしている。最適量を出す谷の位置は、この仮に置いた数字しだいで左右に動く。最適なのは式ではなく、仮に置いた費用構造の下での最適であり、何を費用と数えいくらと置くかの決めが答えを作っている。式はさらに需要一定・設定費固定・欠品なしといった前提の上に立っており、現場ではそれらがたいてい崩れている |
| EOQに前提があるなら、この式は使いものにならない | そうではない。式が間違いなのではなく、式が捨てた前提を一つずつ現実に戻すのがこの段の仕事である。1958年には需要が変動する版(動的ロットサイズ)が学術誌に出て一定需要の前提が外れ、2014年の概観はハリスの基本モデルから派生した研究を219本・15の拡張の流れに整理している。値引きを入れる、欠品を許す——前提を一つ緩めるたびに別の式が立ち、基本のEOQはその中心にある一点にすぎない。使うときに、自分が置いた前提を一行ずつ書き出せばよい |
√の記号がつくと、答えは客観に見える。だが、いちばん効く数字を「仮に置いた」と断ったのは、ほかならぬ式を作った本人だった。厳密なのは計算であって、入口の数字ではない。土台の段は、こうして一つずつ前提を現実に戻していく。次の単位は 307「欠品を防ぐには?」——式が「切らさない」と置いた、その前提を現実に戻すところへ進む。
Q1. EOQ(経済的発注量)は √(2DS/H) と書かれ、Sは一回あたりの ____(発注や段取りの固定費)、Hは品物一つを一定期間持ち続ける ____ を表す。穴埋め
Q2. 「最適なのは式ではなく、仮に置いた費用構造の下での最適である」とはどういうことか。ハリスが原典に書いた但し書きを挙げて説明しなさい。一問一答
Q3. 原典のEOQが敷いている四つの前提として、本文が挙げていないものはどれか。選択
Q4. 2014年にInternational Journal of Production Economics 155巻へ出た概観は、ハリスの基本モデルから派生した研究を ____ 本集め、____ の拡張の流れに整理した。穴埋め
Q5. この単位が「式が間違っている」とは言わず、代わりに何を主張しているかを書きなさい。307・308との役割分担にも触れること。一問一答
紙かメモアプリを開く。いま繰り返し仕入れている品目を1つ選び、「一度にどれだけ持つか」をどう決めているかを1行で書く。次に、その判断が置いている前提を、思いつくかぎり書き出す——需要は一定と見ているか、まとめ買いの値引きを当てにしているか、届くまでの日数を見込んでいるか、切らさない前提でよいか。式を解く必要はない。数字が分からなければ「分からない」と書けばよい。手元の記憶とメモだけで完結させる。一人で全部を回している場合も、そのまま同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Harris F.W. (1913/復刻1990) ‘How Many Parts to Make at Once’, Factory 10(2):135-136,152/Operations Research 38(6):947-950 — doi.org
- Erlenkotter D. (1990) ‘Ford Whitman Harris and the Economic Order Quantity Model’, Operations Research 38(6):937-946 — doi.org
- Andriolo A., Battini D., Grubbström R.W., Persona A., Sgarbossa F. (2014) ‘A century of evolution from Harris’s basic lot size model: Survey and research agenda’, International Journal of Production Economics 155:16-38 — doi.org
- Cárdenas-Barrón L.E. (2014) ‘Ford Whitman Harris’s economical lot size model’, International Journal of Production Economics 155:12-15 — doi.org
- Wagner H.M., Whitin T.M. (1958) ‘Dynamic Version of the Economic Lot Size Model’, Management Science 5(1):89-96 — doi.org
- Zipkin P.H. (2000) Foundations of Inventory Management, McGraw-Hill(教科書) — search.worldcat.org
- Silver E.A., Pyke D.F., Peterson R. (1998) Inventory Management and Production Planning and Scheduling, Wiley(教科書) — search.worldcat.org