トリプルループ学習の出どころをたどった論文は、たどり着いた先の索引に、その語が無いと書いた
ある概念の出どころを疑うとき、いちばん確実なのは、引かれている先の本を開いて索引を見ることである。2012年、3人の研究者がそれをやった。索引に、その語は載っていなかった。
前の単位では、集団の成績を何と比べれば「超えた」と言えるのかを見た。ここではその上に、比べている目標そのものを疑えたかどうか、という問いを置く。
持ち場を狭めておく。振り返りの場を制度として持っているかどうか、それが成果に効くかどうかは、組織の基盤の棚が扱った。この単位が扱うのは、何を問い直したことになるのか——その線引きが、どこから来てどう使われているか、だけである。会議体の設計は書かない。
二つの直し方と、その線の引きにくさ
何かがうまくいかないとき、直し方は2つに分けて語られてきた。目標や前提はそのままに、やり方だけを調整する——シングルループ。目標や前提のほうを問い直す——ダブルループ。
言葉としては分かりやすい。問題は、どちらだったかを、その場では判定できないことである。前提を問い直したかどうかは、問い直した本人の申告か、後から書かれた説明でしか分からない。しかも説明は、結果が出たあとに書かれる。うまくいけば「前提から見直した」、うまくいかなければ「対症療法で終わった」——どちらの言い方も、事後にはいつでも成立する。
この単位の値切りは、その線引きの由来そのものに向かう。
代表文献をたどると、書籍に行き着く
この概念の代表文献として挙げられるのは、1978年の共著書である。これは書籍であって、査読を経た論文ではない。査読誌にある原典のほうは別にあり、1976年に Administrative Science Quarterly へ出た論文が、意思決定の研究にシングルループとダブルループの2つの枠組みを持ち込んでいる。ただしこの論文は、新しい実測を報告したものではない。政治学の文献に学習と反響の役割が抜けていることを検討し、著者自身が別のところで行った——およそ300回の政策決定・意思決定の場面を記録した——観察に言及しながら、枠組みを提示している。
もう一つ、この語の隣にいつも置かれる文献がある。1972年に出た人類学者の論文集で、そこでは学習が階層で語られ、学習IIや学習IIIという水準が示されている。これも書籍である。そして、この学習の水準がダブルループやトリプルループと同じものだ、という同一視の根拠は示されていない。ベイトソンの概念そのものの来歴は2003年に Journal of the History of the Behavioral Sciences で整理されており、そこでは、これらの概念が広まるにつれて元の意味と重みが薄れてきたこと、元来それが2人のあいだのふるまいと相互作用に根を持っていたことが述べられている。
値切り:ループを1つ足した語の、出どころ
いちばん教育的なのは、ループが3本に増えたときに何が起きたかである。
2012年、Management Learning に出た批判的レビューは、トリプルループ学習という語の出どころを文献にさかのぼって調べた。結論はこうである——この語は1978年の共著者たちに触発されてはいるが、その語は彼らの刊行物には現れない。論文はさらに踏み込んで、共著・単著を問わず、彼らのどの刊行物の本文にも索引にも、この語の用例が見当たらないと書いている。
では、誰がどこへ帰属させていたのか。論文が拾い上げた例は、たとえばこうだ。2003年のある論文は「アージリス(1991年)は、トリプルループ学習もあると提唱した」と書いている。1998年の別の論文は、この語をデュテロ学習という第3の概念と明確に同一視した。2004年の論文は、1982年と1974年と1978年の刊行物を典拠として挙げた。いっぽう1996年の論文は、1992年の別の書籍での用例を典拠に挙げ、共著者たちには触れていない。
そしてレビューが特定した最も早い刊行での用例は、1992年に出た学習する組織についての書籍だった。1991年に、わずかに違う綴りで近い語を使った文献もある。つまり、ループを3本に増やしたのは、1978年の共著者たちではない。
ベイトソンの学習IIIとの同一視についても、このレビューははっきり否定的である。学習IIIは道具的ではなく、言葉の外にあり、重大な危険をともなう——経営の場で語られる「戦略的な思考」としてのトリプルループとは、性質が根本的に違う、と。そして最後に、より高い水準の学習を無批判に上位に置く態度そのものを戒めている。
この分野が、なぜこうなりやすいか
組織の学習という語のまわりでは、同じことが繰り返し起きてきた。2005年に Journal of Management Inquiry へ出た論文は、この概念が研究者にも実務家にも捉えどころのないままである理由を5つ挙げている——概念の種類が増え続けること、組織を個人のように学ぶものとして扱うこと、構想を語る側と懐疑的な側の分断、用語がそれ自体で実体のように扱われること、そして意図的に神秘化されることである。
実証の量そのものは、思われているより少ない。2004年に Management Learning へ出たレビューは、1990年から2002年までの組織学習研究を集め、実証研究として検討できたのは123本だったと報告している。増えたのは論文の総数であって、測られた事実の量ではない。
ダブルループそのものにも疑いは向けられている。2004年に The Learning Organization へ出た論文は、ダブルループ学習の過程が生み出す知識は、どこまで信頼できるのかという問いを正面から立て、個人の経験が組織の知識に変わっていく道筋の哲学的な足場を検討した。前提を問い直した結果として得られたものが、前より正しいとは限らない——問い直しの有無と、答えの正しさは別の問題である。
時間・変化:判定ができるようになる位置
出来事を時間の順に並べると、判定がいつ可能になるかが見える。
最初にあるのは、その場である。ここでは、自分が前提を疑っているのか、いつもの調整をしているのか、区別が付かない。次に来るのが結果だ。ここで初めて、良かったか悪かったかが分かる。そして最後に来るのが説明——どちらのループだったか、という言葉である。
順序が問題なのではない。順序が見えなくなることが問題である。説明が書かれたあと、それは出来事の側にさかのぼって貼り直され、あたかもその場で分かっていたかのように読める。この棚が何度も書いてきたとおり、学習は当事者にも見えないので、判断は後から作られる。
だから使える形にすると、こうなる。ダブルループかどうかを判定しようとしない。かわりに、何を変えたのかを、変えた時点で書いておく。やり方を変えたのか、狙いのほうを変えたのか。2つの欄を作っておけば、後から書かれた説明と突き合わせる相手ができる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、ループの数を深さの目盛りとして使うことである。3が2より深い、という順序は、証拠から出たものではなく、語が足された履歴から出ている。第二の妨げは、うまくいった変更だけがダブルループと呼ばれることだ。同じ手つきで失敗した例には、別の名前が付く。
標本の偏りを断っておく。ここまでの検討は、ほぼすべて欧米の経営学の文献を対象にした文献研究であり、日本語の文献を対象にした同種の追跡は見当たらない。実証研究の側も、対象は欧米の大企業に偏っている。30人規模の組織を対象にした研究はほとんど無い。そして、こうした研究で見えた関連は、学ぼうとする人ほど学ぶ機会を得やすい、という逆向きを排除できない——前提を問い直せる立場にいる人は、たいてい先に選ばれている。
助けるのは、名前ではなく変更の記録である。何を変えたかが残っていれば、あとで数え直せる。
最初の一歩は5分。同じ種類のつまずきが繰り返されていることを1件だけ思い出し、これまでに直してきたのがやり方だったのか、その都度の結果だったのかを書き分ける。どちらも直していなければ、そう書けばよい。
次の単位は 207「外部知識の獲得・統合」——ここでは、前提を問い直したという判定が後づけであることを見た。その上に、外から来た知識を、そもそも受け取れるかどうかという問いを置く。そこでは、受け取る力を測っているつもりの指標が、別のものを測っている。
- Tosey, Visser & Saunders 2012(Management Learning 43(3):291-307)は、トリプルループ学習という語の出どころを文献にさかのぼって調べ、この語がアージリスとショーンに触発されてはいるものの、彼らの刊行物には現れないことを確かめた。論文は、共著・単著を問わず、彼らのどの刊行物の本文にも索引にもこの語の用例が見当たらないと書いている
- 同じレビューが拾った帰属の例——2003年の論文は「アージリス(1991年)はトリプルループ学習もあると提唱した」と書き、1998年の論文はこの語をデュテロ学習と同一視し、2004年の論文は1982年・1974年・1978年の刊行物を典拠に挙げ、1996年の論文は1992年の別の書籍を典拠にしていた。最も早い刊行での用例は1992年の書籍で、1991年に近い綴りの語もあった
- 同レビューはベイトソンの学習IIIとの同一視も退けている。学習IIIは道具的ではなく、言葉の外にあり、重大な危険をともなうもので、経営の場で語られる戦略的思考としてのトリプルループとは性質が根本的に違う。そのうえで、より高い水準の学習を無批判に上位に置く態度そのものを戒めている
- 代表文献として挙がる1978年の共著書と1972年の論文集は、いずれも書籍である。査読誌にある原典は Argyris 1976(Administrative Science Quarterly 21(3):363-375)で、これは新しい実測の報告ではなく、政治学の文献に学習と反響の役割が抜けていることを検討して枠組みを提示した論文である
- Visser 2003(Journal of the History of the Behavioral Sciences 39(3):269-278)は、デュテロ学習と二重拘束という概念がベイトソンの仕事にさかのぼることを跡づけたうえで、これらの概念が諸分野に広まるにつれて元の意味と重みが薄れてきたと述べている
- Friedman, Lipshitz & Popper 2005(Journal of Management Inquiry 14(1):19-30)は、組織学習という概念が捉えどころを失っている理由を5つ挙げた——概念の種類が増え続けること、組織を個人のように学ぶものとして扱うこと、構想を語る側と懐疑的な側の分断、用語が実体のように扱われること、意図的な神秘化
- Bapuji & Crossan 2004(Management Learning 35(4):397-417)は1990年から2002年までの組織学習研究を集め、実証研究として検討できたのは123本だったと報告した。Blackman, Connelly & Henderson 2004(The Learning Organization 11(1):11-27)は、ダブルループ学習の過程が生み出す知識がどこまで信頼できるかという問いを正面から立てている
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| トリプルループ学習は、ダブルループ学習を提唱した研究者たちが後から付け足した第3の段階である | 2012年に Management Learning へ出た批判的レビューは、この語がアージリスとショーンに触発されてはいるが、彼らの刊行物には現れないと結論した。共著・単著を問わず、どの刊行物の本文にも索引にも用例が見当たらないという。実際に拾われた帰属は食い違っており、ある論文は1991年のアージリスに、別の論文は1974年と1978年の刊行物に、また別の論文は1992年の書籍に典拠を求めていた。最も早い刊行での用例は1992年の学習する組織についての書籍である |
| ループの数が多いほど、深い学習である | その順序は証拠から出たものではなく、語が足されてきた履歴から出ている。同じレビューは、より高い水準の学習を無批判に上位に置く態度そのものを戒め、高次の学習には危険がともなうと書いている。ベイトソンの学習IIIとの同一視も退けられており、学習IIIは道具的ではなく、言葉の外にあり、重大な危険をともなうもので、経営の場で語られる戦略的思考としてのトリプルループとは性質が根本的に違う |
| 前提を問い直せたかどうかは、やっている本人には分かる | その場では区別が付かない。判定に使える材料は、良かったか悪かったかという結果と、その後で書かれた説明だけである。しかも説明は結果のあとに書かれるので、うまくいけば「前提から見直した」、うまくいかなければ「対症療法で終わった」と、どちらの言い方も事後には成立する。加えて2004年に The Learning Organization へ出た論文が指摘するように、問い直した結果として得られた知識が前より信頼できるとは限らない。問い直しの有無と、答えの正しさは別の問題である |
ループの数え方には、たいへん便利な性質がある。1本足すだけで、話が一段深くなったように聞こえるのだ。しかも深さは測られていないので、誰も検算できない。皮肉なのは、この語をめぐっていちばん厳密に検証されたのが、学習の深さではなく、索引の有無だったことである。3人の研究者が本を開いて、載っていないと書いた。学術の世界でこれほど地味で、これほど反論しにくい仕事も珍しい。そして反論しにくい仕事は、たいてい引用されない。
Q1. 2012年に ____ へ出た批判的レビューは、トリプルループ学習という語がアージリスとショーンの刊行物には現れないと結論した。共著・単著を問わず、本文にも ____ にもこの語の用例が見当たらないという。最も早い刊行での用例は ____ 年の書籍だった。穴埋め
Q2. この概念の代表文献として挙がる1978年の共著書と1972年の論文集は、いずれも ____ である。査読誌にある原典は ____ 年に Administrative Science Quarterly へ出た論文で、これは新しい ____ の報告ではない。穴埋め
Q3. 同じレビューは、ベイトソンの学習IIIをトリプルループ学習と同一視することをなぜ退けたか。学習IIIの3つの性質に触れて答えよ。一問一答
Q4. 「前提を問い直せたかどうかは、やっている本人には分かる」という言い方の何が問題か。判定に使える材料の順序に触れて答えよ。一問一答
Q5. 本文の並べ方にしたがって、判定に関わる3つを時間の順に並べよ。(説明/その場/結果)並べ替え
紙かメモアプリを開く。同じ種類のつまずきが繰り返し起きていることを1件だけ思い出し、1行で書く。仕事でなくてもよく、家事でも、学び直しでも、手続きの取りこぼしでもよい。次に2つの見出しを書く。ひとつめ『これまでに直したやり方』、ふたつめ『その都度、結果のほうだけ埋め合わせたこと』。思い出せる範囲で、それぞれの下に1行ずつ書く。どちらかが空欄になっても構わない。両方空欄なら、そう書いて終わりにする。誰にも見せなくてよく、今日から何かを変える必要もない。組織に所属していない場合は、自分ひとりの作業や生活の中で繰り返している手戻りに置き換えてよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Tosey P., Visser M., Saunders M.N.K. (2012) 'The origins and conceptualizations of “triple-loop” learning: A critical review', Management Learning 43(3):291-307 — journals.sagepub.com
- Argyris C. (1976) 'Single-Loop and Double-Loop Models in Research on Decision Making', Administrative Science Quarterly 21(3):363-375 — eric.ed.gov
- Visser M. (2003) 'Gregory Bateson on deutero-learning and double bind: A brief conceptual history', Journal of the History of the Behavioral Sciences 39(3):269-278 — onlinelibrary.wiley.com
- Friedman V.J., Lipshitz R., Popper M. (2005) 'The Mystification of Organizational Learning', Journal of Management Inquiry 14(1):19-30 — journals.sagepub.com
- Bapuji H., Crossan M. (2004) 'From Questions to Answers: Reviewing Organizational Learning Research', Management Learning 35(4):397-417 — journals.sagepub.com
- Blackman D., Connelly J., Henderson S. (2004) 'Does double loop learning create reliable knowledge?', The Learning Organization 11(1):11-27 — papers.ssrn.com