書けたものは、たぶん最初から書けた——四つの変換を提示した論文は、効果を検証していない
言葉にできない技を言葉にする——という言い方は、たいへんよくできている。できたときは成功例として語られ、できなかったときは「まだ表出化が足りない」と語られる。どちらに転んでも、枠組みのほうは無傷で残る。
書けたものが、書けるものの全部だと思われる
前の単位では、測られた段と測られなかった段のあいだに何が入り込むかを見た。ここではその上に、測るより前の段階を置く——まだ言葉になっていないものが、どう扱われたことになっているのか。
持ち場を狭めておく。文書の書き方も、記録を残す道具の選び方も、ここでは扱わない。個人が覚えるための技術は学業の棚の持ち場である。この単位が見るのは、暗黙知を形式知にした、という報告が、何を根拠にそう言えているのか、その一点だけである。
実感に合うことと、測れること
言葉にしにくい知識を暗黙知、手順や文章にできる知識を形式知と呼ぶ。この区別そのものは、たいていの人の実感に合う。合いすぎる、と言ってもいい。
2001年に Journal of Management Studies 38巻6号へ出た論文は、そこを正面から書いている。暗黙知は模倣しにくく、代替しにくく、移転しにくく、希少である——という理論的な主張を支える実証研究はほとんど無く、暗黙知はこれまでのところ操作化に抵抗し続けている、と。著者たちはそのうえで、暗黙知を「暗黙のスキル」として定義し直し、因果マップ・自己質問・語りにもとづく調査の手順を提案した。手順が提案されたということは、それまで確立していなかったということである。
測れないものは、増えたとも減ったとも言えない。にもかかわらず、増えたという報告のほうは、毎年出る。
設計の欄に置かれている一文
人材開発の設計資料には、こう書かれていることがある。「SECIサイクルが回る組織は新製品開発速度と品質が高い」。そして代表文献として、1995年に出た書籍が挙げられる。
書籍は査読を受けない。では査読誌にある原典は何か。1994年に Organization Science 5巻1号へ出た論文である。開いてみる。
原典が、自分自身について書いていること
その論文の要旨はこう始まる。本論文は、組織的な知識創造という動的な過程を扱うためのパラダイムを提案する。中心にある主題は、組織の知識が暗黙知と形式知のあいだの継続的な対話を通じて創られるということである。その対話の性質が検討され、暗黙知と形式知が関わる四つの相互作用の型が示される。新しい知識は個人によって生み出されるが、それを言語化し増幅するうえで組織が決定的な役割を果たすと論じられる。知識創造を構成する諸次元に分析の視点を与える理論的枠組みが展開され、その枠組みが二つの運用モデルへ適用される——ここまでが要旨である。
データも、標本も、統計もこの論文には無い。著者自身が、この論文の目標は組織的知識創造の理論の本質的な要素を展開することだ、と本文に書いている。
つまり、これは理論の提示である。理論の提示は悪いことではない。悪いのは、提示を検証として引くことのほうだ。
事例のほうを読み直した1本
2006年、同じ Journal of Management Studies の43巻7号に、この理論の批判的検討が出た。要旨はこう言う。暗黙知と形式知の相互作用によって知識が創られるという命題には欠陥がある。四つの変換の型のうち三つはもっともらしく見えるが、いずれも、もっと単純に説明できない証拠によって支持されてはいない。枠組みは、本来的に暗黙のままである知識を取りこぼしており、知識のきわめて主観的な定義を用いている。著者はそのうえで、異なる種類の知識は異なる種類のふるまいから生まれるという別の枠組みを提案した。
ここで効いているのは「証拠が無い」ではない。「その証拠は、もっと単純な説明でも同じくらいよく説明できる」という形である。事例そのものは残る。残らないのは、事例が一つの説明だけを支えている、という部分だ。
実在の企業名を挙げて「ここで実証された」と書かれることがあるが、この読み直しが問題にしたのは、企業のほうではなく、その企業で起きたことの説明のほうである。同じ出来事は、暗黙知が形式知へ変換されたと呼ばなくても記述できてしまう。
提唱した側の応答
論争はここで終わっていない。2009年、Organization Science 20巻3号に、提唱者の側からの応答が出た。要旨は、この15年あまりの膨大な研究が二つの前提のうえで行われてきたと自ら整理する。第一に、暗黙知と形式知は連続体の上で概念的に区別できる。第二に、知識変換が両者の相互作用を理論的にも実証的にも説明する。そのうえで、近年いくつもの論点が提起されたことを認め、六つの根本的な問いに整理して答えを試み、新しい研究を取り込んで理論を進めると書いている。
読者にとって大事なのは、どちらが勝ったかではない。20年以上たっても、前提のほうがまだ論点である、という事実のほうである。
書けなかったのか、書く理由が無かったのか
2000年に Industrial and Corporate Change 9巻2号へ出た論文は、この領域の用語法そのものを疑っている。著者たちは自分の仕事を「懐疑的な経済学者のための暗黙知の手引き」と呼び、暗黙性と明文化という概念が経済学でどう使われてきたかを批判的に読み直したうえで、より筋の通った捉え直しを提案した。
論点は単純である。書かれていない知識を見つけたとき、それが「書けない知識」なのか「書く理由が無かった知識」なのかは、書かれていないという事実だけからは区別できない。区別できないまま、前者だと呼ぶ習慣が広まった。
だから、書けるようになったという報告を受け取ったときに確かめる場所は、一つに絞れる。書く前から書けたのではないか、である。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
移す側が出し惜しみするから移らない、という説明は、実証に当たると順位が低い。1996年に Strategic Management Journal の冬季特別号27〜43ページへ出た研究は、8社のなかで、うまくいっている実践が別の部署へ移る場面を追った。回収された質問紙は271件、対象は38の実践にまたがる122件の移転、回答率は61%である。送り手側から110件、受け手側から101件、第三者から60件が集まった。
大きかった障壁は三つ。受け手の側に受け入れる下地が無いこと、なぜうまくいっているのかが分からないこと、そして送り手と受け手のあいだの関係が骨の折れるものであること。値は順に0.54、0.34、0.33。いっぽう、送り手の意欲の不足は0.05、受け手の意欲の不足は0.18にとどまった。著者は、知識に関わる障壁が動機に関わる障壁を明らかに上回る、と書いている。なお、この0.54は本文に印字された値で、同じ論文の図1では0.53と印字されている。引用の連鎖をたどるとき、食い違いは、たいてい論文と論文のあいだではなく、一本の論文の中から始まる。
標本の偏りは断っておく。この領域の証拠は欧米の大企業を対象に採られたものが大半で、8社・122件という規模もけっして大きくはない。日本の30人規模の組織を対象にした研究はほとんど見当たらない。そして、書き出す余裕のある職場ほど書き出す、という向きは排除できない。学ぼうとする人ほど学ぶ機会を得やすい、という逆向きも、同じデータから同じくらい読める。
助けるのは、書けたことを成果として数えるのをやめて、書く前の見積もりと、書いたあとの実物を並べてみることである。並べれば、差のほうが記録に残る。
最初の一歩は3分。自分しか知らないやり方を一つ選び、文章にするなら何行必要かを見積もって書く。それから、実際に1行だけ書く。見積もりと実物のあいだに何が残ったかが、その日の結果である。
時間・変化:20年たっても、論点は前提のところにある
1994年に理論が提示され、2006年に事例の読み直しが出て、2009年に提唱者の側の応答が出た。この順序には特徴がある。検証が来ていない。来たのは、解釈の争いと、その争いへの応答である。
そのあいだ、この枠組みは実務の資料に「実証済み」として載り続けた。載せた側が嘘をついたのではない。査読誌の年号と、書籍の年号と、事例の年号が別々にあるとき、いちばん強い一文だけが先に運ばれる、というだけである。
次の単位は 202「知識流通の活性度」——ここでは、書けたものと書けなかったものの境目を見た。その上に、その二つが人から人へ渡るとき、運び方のほうが逆になるという話を置く。
- Nonaka 1994(Organization Science 5(1):14-37)の要旨は「動的な過程を扱うためのパラダイムを提案する」「理論的枠組みが展開される」と書いており、データ・標本・統計を含まない。これは理論の提示であって効果の検証ではない。設計資料が代表文献に挙げる1995年の著作は書籍で、査読を受けていない
- Gourlay 2006(Journal of Management Studies 43(7):1415-1436)は、暗黙知と形式知の相互作用で知識が創られるという命題には欠陥があり、四つの変換の型のうち三つはもっともらしく見えるが、もっと単純に説明できない証拠には支持されていないと論じた。枠組みは本来的に暗黙のままである知識を取りこぼしているとも指摘している
- Nonaka & von Krogh 2009(Organization Science 20(3):635-652)は提唱者の側からの応答で、15年以上の研究が二つの前提——暗黙知と形式知は連続体の上で区別できる、知識変換が両者の相互作用を説明する——のうえに立ってきたと自ら整理し、六つの根本的な問いへ答えを試みた。前提そのものがまだ論点である
- Ambrosini & Bowman 2001(Journal of Management Studies 38(6):811-829)は、暗黙知が競争優位の源泉だという理論的主張を支える実証研究はほとんど無く、暗黙知はこれまでのところ操作化に抵抗し続けていると書いた。著者らは因果マップ・自己質問・語りにもとづく調査手順を提案した
- Szulanski 1996(Strategic Management Journal 冬季特別号 27-43)は8社で、38の実践にまたがる122件の移転を調べ、質問紙271件を回収した(回答率61%。送り手側110件・受け手側101件・第三者60件)。最大の障壁は受け手に受け入れる下地が無いこと0.54、なぜうまくいくのか分からないこと0.34、骨の折れる関係0.33で、送り手の意欲の不足は0.05にとどまった
- Cowan, David & Foray 2000(Industrial and Corporate Change 9(2):211-253)は、暗黙性と明文化という概念が経済学でどう使われてきたかを批判的に読み直した。書かれていないという事実だけからは、「書けない知識」なのか「書く理由が無かった知識」なのかは区別できない
- 「SECIサイクルが回る組織は新製品開発速度と品質が高い」という一文には、査読誌の出典が添えられていない。原典に当たると、1994年の論文は理論の提示、1995年の代表文献は書籍、そして2006年の読み直しは、事例が一つの説明だけを支えているとは言えないと結論している
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| SECIモデルは、実在の企業で効果が実証されている | 査読誌にある原典は Nonaka 1994(Organization Science 5(1))で、要旨自身が「パラダイムを提案する」「理論的枠組みが展開される」と書いており、データも標本も統計も含まない。代表文献として挙げられる1995年の著作は書籍である。Gourlay 2006(Journal of Management Studies 43(7))は、四つの変換の型のうち三つについて、もっと単純に説明できない証拠には支持されていないと論じた。事例が消えるわけではない。消えるのは、その事例が一つの説明だけを支えているという部分である |
| 暗黙知が形式知になったかどうかは、書き出した量を見れば分かる | Ambrosini & Bowman 2001(Journal of Management Studies 38(6))は、暗黙知がこれまでのところ操作化に抵抗し続けていると書き、調査の手順そのものを新たに提案した。手順が提案されたということは、それまで確立していなかったということである。さらに Cowan, David & Foray 2000(Industrial and Corporate Change 9(2))が指摘したとおり、書かれていないという事実だけからは、書けなかったのか、書く理由が無かったのかを区別できない |
| 知識が部署をまたいで移らないのは、持っている人が出し惜しみするからだ | Szulanski 1996(Strategic Management Journal 冬季特別号)は8社・122件の移転を調べ、送り手の意欲の不足の値は0.05にとどまった。大きかったのは受け手に受け入れる下地が無いこと0.54、なぜうまくいっているのかが分からないこと0.34、送り手と受け手の関係が骨の折れるものであること0.33である。著者は、知識に関わる障壁が動機に関わる障壁を明らかに上回ると書いている |
暗黙知には、たいへん都合のよい性質がある。定義上、直接は見えない。見えないので、増えたと言っても減ったと言っても、その場では誰も反証できない。だから研修の後で「表出化が進んだ」と書くことができるし、進まなかった年は「まだ場が足りなかった」と書くこともできる。同じ枠組みでどちらの結果も説明できるとき、その枠組みは、たいてい何も説明していない。
Q1. 1994年に Organization Science 5巻1号へ出た論文の要旨は、自分の仕事を「動的な過程を扱うための( )を提案する」と書いている。データ・標本・統計は含まれていない。穴埋め
Q2. 2006年に Journal of Management Studies 43巻7号へ出た批判的検討は、四つの変換の型のうち三つはもっともらしく見えるが、いずれも「もっと( )に説明できない証拠」によって支持されてはいない、と論じた。穴埋め
Q3. 1996年に Strategic Management Journal の冬季特別号へ出た研究では、8社・122件の移転を調べた結果、送り手の意欲の不足の値は( )にとどまり、受け手に受け入れる下地が無いことの0.54とは大きく離れていた。穴埋め
Q4. 書かれていない知識を見つけたとき、その事実だけからは区別できない二つの可能性を挙げよ。一問一答
Q5. 2009年に Organization Science 20巻3号へ出た、提唱者の側からの応答について、本文の内容に合うものはどれか。選択
自分だけがやり方を知っている作業を1つ思い浮かべる。仕事の手順でも、家の中の段取りでも、道具の扱いでもよい。まず、それを他人が読んで再現できる文章にするなら何行くらい必要かを、書く前に見積もって数字で書く。次に、実際に1行だけ書いてみる。書けるのは冒頭の1行でも、途中の1行でもよい。最後に、その1行を見返して、書く前から書けた内容だったかどうかに印を付ける。他人に見せる必要はないし、続きを書く必要もない。見積もりと実物の差が、この課題の結果である。職場が無い場合は、自分が続けている手順ならどれでもよい——買い物の順番、写真の選び方、通院の記録の付け方などに置き換えて構わない。誰かに手順を教えたり、確認を頼んだりはしない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Nonaka I. (1994) 'A Dynamic Theory of Organizational Knowledge Creation', Organization Science 5(1):14-37 — www.uky.edu
- Gourlay S. (2006) 'Conceptualizing Knowledge Creation: A Critique of Nonaka's Theory', Journal of Management Studies 43(7):1415-1436 — ideas.repec.org
- Nonaka I., von Krogh G. (2009) 'Perspective—Tacit Knowledge and Knowledge Conversion: Controversy and Advancement in Organizational Knowledge Creation Theory', Organization Science 20(3):635-652 — ideas.repec.org
- Ambrosini V., Bowman C. (2001) 'Tacit Knowledge: Some Suggestions for Operationalization', Journal of Management Studies 38(6):811-829 — ideas.repec.org
- Szulanski G. (1996) 'Exploring Internal Stickiness: Impediments to the Transfer of Best Practice within the Firm', Strategic Management Journal 17(Winter Special Issue):27-43 — josephmahoney.web.illinois.edu
- Cowan R., David P.A., Foray D. (2000) 'The Explicit Economics of Knowledge Codification and Tacitness', Industrial and Corporate Change 9(2):211-253 — ideas.repec.org