「能力は伸びる」を信じているのは、人ではなく場所のほうだった
学び続けろ、と言われ続けて、何を学んだのか自分でも分からなくなる。そこへ「能力は伸びると信じよう」という話が来る。信じるだけでいいなら、これほど安上がりな施策もない。
この棚は、誰に向けて書かれているか
想定している読者は、学びたい人ではない。学び続けなければいけないと言われ続けて、何を学んだのか自分でも分からなくなった人である。
研修は受けた。本も読んだ。それでも、何が身についたのかと聞かれると答えに詰まる。詰まるのは記憶が悪いからではない。学習は、学んだ本人にも、教えた側にも直接は見えないからである。見えるのは、分かった気がするという感触と、自己申告だけだ。だから「育った」という判断は、たいてい後から作られた説明になる。
しかもこの棚は途中から向きが変わる。前半は自分が学ぶ話で、後半は人が育つ場をつくる側の話になる。読者はどちらでもありうる。3人目の社員かもしれないし、はじめて後輩を持った人かもしれないし、ひとりで働いている人かもしれない。
だからこの棚は、16の要素それぞれについて言うことを3つに絞る——それは学習の何を指しているのか。どこまで効くと確かめられているのか。その範囲の外で何が起きるか。
これをやれば身につく、の棚にはしない。 効くと確かめられた範囲と、その外側を書く棚にする。読者の像を書くのはこの単位だけである。 以降の15単位では繰り返さず、前提として使う。
この棚の地図——4段を、下から積む
この棚は道具箱ではない。下から積む4段の建物である。下の段が整っていないところに上の段の手当てを置いても、効きにくい。
1段目が個人の学習動機・志向——何を学ぶ理由にしているか、現在地をどう見ているか、決めたことが実行に移るか。2段目が育成・学習の構造設計——どんな経験を割り当て、どう指摘を返し、誰が育て、何を測るか。3段目が組織知識の創造・流通——書けないものを書けるようにし、運び、残す。4段目が学習する組織への進化——集団で学び、前提を問い直し、外から取り込む。この単位は1段目の1枚目で、入口はここに置いてある。
そして地図のうえで、一度だけ断っておく。この棚は、3段目のあたりで「自分が学ぶ話」から「人が育つ場をつくる話」へ振れる。 後半は、自分の勉強の話ではなくなる。振れることを知らずに読むと途中で置いていかれるので、予告はここでする。あとの単位では改めて宣言しない。地図を描くのもこの単位だけである。
「能力は伸びる」を、誰が信じているのか
成長マインドセットは、ふつう個人の信念として語られる。能力は固定されているか、伸びるか。
だが、生徒や学生の成績にマインドセットがどう効くかは、学業の棚の持ち場である。 ここでは組織のマインドセット——ある職場が人の能力をどう見なしていると、そこで働く人に受け取られているか——だけに絞る。
組織の側で測った研究は数が少ない。米国で2020年に公表された研究は3つの調査を重ねている。1つめは Fortune 500 企業の理念文の言葉づかいを固定寄りか成長寄りかで分類し、従業員の書き込みによる企業文化の評価と突き合わせた。2つめは企業のマインドセットを実験的に操作した。3つめは Fortune 1000 の7社に勤める500人を超える従業員に、自分の会社をどう見ているかを尋ねた。
結果は揃っている。会社が固定寄りだと受け取っている従業員は、その文化について協働・革新・誠実さが乏しいと答え、組織への信頼とコミットメントも低いと答えた。
ここで急いで付け加える必要がある。この3つめは横断調査であって、会社の性質も、文化も、信頼も、すべて同じ人が同じ質問紙で答えている。 会社が固定寄りだから信頼が低いのか、信頼が低い人が会社を固定寄りに見るのか、この設計では分けられない。それでも、これが組織のレベルで測った数少ない実証のひとつである。
言えるのはここまでだ。同じ人が、場所によって別の信念のもとで働いている。 信念は頭の中にだけ置かれてはいない。だから「信じましょう」だけを個人に配ると、いちばん効かない相手に届く。
値切り:「複数RCTで」と書かれている一文
育成の設計資料には、こういう一文がよく載る。「固定思考より成長思考のチームは長期パフォーマンスが高く、粘り強さが有意に増加(複数RCT)」。
確かめられる部品が4つある。チーム。長期パフォーマンス。粘り強さ。複数の無作為化試験。
無作為化試験は確かに複数ある。ただし対象はチームではなく、学校の生徒である。 2023年に Psychological Bulletin へ出た分析は、2002年から2020年末までの無作為化設計の介入研究を集め、53の独立した標本を得た。成果の段の平均効果は、学業成績で d = 0.09(95%信頼区間 0.05〜0.13)。 効果が見込みやすい層に絞り、なおかつ実施の質が高い条件では 0.14(0.06〜0.22)まで上がる。心の健康では 0.32(0.10〜0.54)、社会的な機能では 0.36(0.03〜0.68)。
読む値打ちがあるのは平均ではなくばらつきのほうである。著者たちは、次に行う介入に見込まれる効果の幅の広さを強調している。効果が見込みやすい層と実施の質が高い条件に絞ってさえ、その幅は −0.08 から 0.35。下端はマイナスに落ちている。 「次にやったら効かない」も、この文献のうちに含まれている。
個別の大規模試験でも同じ形が出る。米国で2019年に Nature へ出た全国規模の無作為化試験は、公立高校65校の9年生を対象にした。成績が下位の層(分析対象 6,320人)で、学年末の評定平均が 0.10 点上がった(95%信頼区間 0.04〜0.16)。 上位層では差が出ていない。さらに論文は、挑戦を選ぶことが周りの規範として支えられている学校でだけ、評定の差が現れたと報告している。1時間足らずの教材が効く条件は、教材の外側にあった。
英国では2019年に公表された大規模な効果検証がある。101校・5,018人を無作為に割り付け、全国共通試験で見た効果は算数 −0.01(−0.04〜0.01)、読解 −0.00(−0.02〜0.02)、文法・句読点・綴り −0.00(−0.03〜0.03)。いずれも「0か月分の進捗」と評価された。
ここまでを最初の一文と並べてみる。チームを対象に長期パフォーマンスを測った無作為化試験に、たどり着けなかった。 探したのは、査読誌の検索、メタ分析2件の採録一覧、そして人材開発の分野で成長マインドセットを扱った研究を集めた2020年の走査型レビューである。そのレビューが人材開発の領域に強く関わると判定したのは12件にとどまり、著者たち自身が、この概念は主に教育の場で研究されてきて経営や成人の学びの側は手薄だと書いている。無いと断定はしない。見つからなかった、と書く。
粘り強さも同じである。先の分析は、信念・やる気・行動・成果の4つの段を分けて集計している。値が小さくなるのは、いつも成果の段だった。
測りやすい段だけが測られる
ここでこの棚の書き方を正面から書いておく。学習の話には、二つの空白がある。 ひとつめが、測りやすい段だけが測られるということだ。
研修や育成の効果は、投じた側が測ると、まず出る。いちばん多く測られているのは満足したかであり、行動が変わったかまで測った研究はその何分の一かしかない。しかも満足度と、実際に何を覚えたかの相関はほとんどゼロに近い。その数字そのものは、この棚の 200「学習効果の可視化」で原典ごと見る。
マインドセットの文献は、この構造の見本のようになっている。信念が変わったかどうかは、質問紙で、その場で、安く測れる。 成績や行動が変わったかどうかは、年度末まで待ち、別の記録を取りに行かないと測れない。だから測定の件数は前者に偏る。そして引用されるたびに、どの段で測ったのかという但し書きのほうが先に落ちる。 残るのは数字だけで、それは丸くなり、強くなり、やがて「複数RCTで長期パフォーマンスが高い」になる。
これがこの棚の通奏低音のひとつめである。この先の15単位では、この手つきに1〜2文だけ触れて、それぞれの値切りに進む。
時間・変化:信念が動く時間と、戻る時間
信念は動く。動くこと自体は繰り返し確かめられている。
2005年に Journal of Applied Psychology へ出た米国の研究は、4つの調査で、管理職が人の性質をどう見ているかが部下の変化に気づけるかどうかと結びつくことを示した。4つめの調査では、固定寄りの見方をしていた人を無作為に割り付けて、自分で自分を説得する形の短い訓練を行った。見方は成長寄りに動き、その変化は6週間後まで保たれ、部下の改善を認める度合いも変わった。
動く。だが、6週間である。 マインドセットの介入は多くが1時間に満たない教材で、測定はその学期のうちに閉じる。半年後にその信念がどこにあるかを追った研究は、ほとんど無い。
もうひとつの時間は、場所の側の時間である。理念文の言葉づかいは何年も変わらない。個人の信念が動く単位が週なら、場所の側が動く単位は年である。短いほうだけを動かして長いほうを動かさないでいると、戻る。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、信じているかどうかを自分に聞いて確かめてしまうことである。「能力は伸びると思っている」と答えるのは易しい。実際にどう振る舞ったかは、別の記録にしか残らない。
ここでこの棚として毎回断ることがある。ここまでの数字は、ほぼすべて欧米の学校か大企業を対象に採られたものである。30人規模の組織を対象にした研究はほとんど無い。 研修の効果は、その研修を設計した側が測っていることが多い。学習の成果は自己申告で測られたものが大半である。そして続けられた人のデータだけが残る。とりわけ、学ぼうとする人ほど学ぶ機会を得やすい、という逆向きを、この種の調査は排除できない。 日本の組織を対象にした追試は、この主題ではほとんど見あたらない。
助けるのは、信念ではなく、判断の根拠のほうを見に行くことである。「向いていない」と思ったとき、その根拠が、やってみた結果なのか、やる前の予想なのか。書き出すと簡単に分かれる。分かれた瞬間に、信念の話は観察の話に変わる。
最初の一歩は5分。直近1か月で「自分には向いていない」と思ってやめたことを1件書き出し、そう思った根拠がやってみた結果かやる前の予想かに印を付けて、見返す。どちらでもないと感じたなら、それは根拠がまだ言葉になっていないという意味である。
次の単位は 194「内発的学習動機」——信じているだけでは、机に向かう理由にはならない。信念の上に、なぜそれを学ぶのかという理由を積む。そして理由は、たいてい一つではないし、純粋でもない。
- この棚の読者は、学び続けなければいけないと言われ続けて、何を学んだのか自分でも分からなくなった人である。16の要素それぞれについて言うことを3つに絞る——それは学習の何を指しているのか、どこまで効くと確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。読者の像を書くのはこの単位だけ
- この棚は道具箱ではなく、下から積む4段の建物である。1段目が個人の学習動機・志向(193〜196)、2段目が育成・学習の構造設計(197〜200)、3段目が組織知識の創造・流通(201〜204)、4段目が学習する組織への進化(205〜208)。3段目のあたりで自分が学ぶ話から人が育つ場をつくる話へ振れる。地図を描くのはこの単位だけである
- Canning ら 2020(Personality and Social Psychology Bulletin 46(4))は、Fortune 500 企業の理念文、実験、そして Fortune 1000 の7社に勤める500人を超える従業員への調査を重ね、会社が固定寄りだと受け取っている従業員ほど、協働・革新・誠実さが乏しいと答え、組織への信頼とコミットメントも低いと答えたと報告した。ただし横断調査であり、同じ人が同じ質問紙で両方に答えている
- 育成の設計資料にある「固定思考より成長思考のチームは長期パフォーマンスが高く、粘り強さが有意に増加(複数RCT)」という一文について、チームを対象に長期パフォーマンスを測った無作為化試験にたどり着けなかった。探した範囲は、査読誌の検索、メタ分析2件の採録一覧、人材開発分野の2020年の走査型レビュー(Han & Stieha, Human Resource Development Review 19(3)、該当12件)である
- Burnette ら 2023(Psychological Bulletin 149(3-4))は2002年から2020年末までの無作為化設計の介入53標本を集計し、学業成績への平均効果 d = 0.09(95%信頼区間 0.05〜0.13)、効果が見込みやすい層かつ実施の質が高い条件で d = 0.14(0.06〜0.22)と報告した。この条件の95%予測区間は −0.08〜0.35 で、下端がマイナスに落ちている
- Yeager ら 2019(Nature 573)は米国の公立高校65校の9年生を対象にした無作為化試験で、成績下位層(分析対象6,320人)の学年末評定が0.10点上がった(95%信頼区間 0.04〜0.16)と報告した。上位層では評定に差が出ず、挑戦を選ぶことが周りの規範として支えられている学校でだけ差が現れた
- Foliano ら 2019(英国 Education Endowment Foundation の効果検証、101校・5,018人)は、算数 −0.01(−0.04〜0.01)、読解 −0.00、文法・句読点・綴り −0.00 で、いずれも0か月分の進捗と評価した。測りやすい段(信念)と測りにくい段(成果)で、残る数字の大きさが変わる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 成長マインドセットのチームは長期パフォーマンスが高いと、複数の無作為化試験で示されている | 無作為化試験は複数あるが、対象は学校の生徒であって、チームの長期パフォーマンスではない。2023年の分析(53標本)の学業成績への平均効果は d = 0.09、条件を絞ってさえ95%予測区間は −0.08〜0.35 で下端がマイナスに落ちる。米国の全国規模試験で評定が0.10点上がったのは成績下位層に限られ、周りの規範が支える学校でだけだった。英国の101校・5,018人の検証では0か月分の進捗だった |
| 成長マインドセットは、本人が信じているかどうかの問題である | 組織の側で測った研究では、会社が人の能力をどう見ていると受け取られているかが、その会社の文化の評価や、信頼・コミットメントの答え方と結びついていた。同じ人が、場所によって別の信念のもとで働いている。個人の信念が動く時間の単位が週なら(自己説得型の短い訓練の効果は6週間後まで保たれた)、場所の側が動く単位は年である。短いほうだけを動かすと、戻る |
成長マインドセットには、育成の商品として理想的な性質がある。配るのが安い。1時間で終わる。そして効いたかどうかを、受けた本人に聞いて測れる。皮肉なのは、この単位でいちばん確かに測られていたのが、能力が伸びたかどうかではなく、**どの段を測ると数字が大きく出るか**のほうだったことである。0.09という値は、人の可能性についての数字ではなかった。
Q1. 2002年から2020年末までの無作為化設計のマインドセット介入 ____ 標本を集めた2023年の分析では、学業成績への平均効果は d = ____ 、効果が見込みやすい層かつ実施の質が高い条件では d = ____ だった。この条件の95%予測区間は ____ から 0.35 で、下端がマイナスに落ちている。穴埋め
Q2. 米国の公立高校 ____ 校を対象にした2019年の全国規模の無作為化試験では、成績 ____ 層(分析対象6,320人)の学年末評定が ____ 点上がった。ただし差が現れたのは、挑戦を選ぶことが周りの ____ として支えられている学校でだけだった。穴埋め
Q3. この棚が言う「測りやすい段だけが測られる」とは何か。マインドセットの文献を例にして、どの段が測りやすく、どの段が測りにくいかに触れて答えよ。一問一答
Q4. 組織のマインドセットを測った2020年の研究(Fortune 1000 の7社・500人超)について、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q5. この棚の4段を、下から積む順に並べよ。(組織知識の創造・流通/学習する組織への進化/個人の学習動機・志向/育成・学習の構造設計)並べ替え
紙かメモアプリを開く。直近1か月で「自分には向いていない」と思ってやめたこと、あるいは手をつけずに置いたことを1件だけ書き出す。次にその下へ、そう思った根拠を1行で書く。最後に、その根拠が「やってみた結果」なのか「やる前の予想」なのかに印を付け、書いたもの全体を一度だけ読み返す。どちらでもないと感じたなら、根拠がまだ言葉になっていないという意味なので、そのまま「言葉になっていない」と書けばよい。職場の話でなくてよく、家事でも趣味でも申請書でも構わない。誰にも見せなくてよく、やめた判断を撤回する必要もない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Canning E.A., Murphy M.C., Emerson K.T.U., Chatman J.A., Dweck C.S., Kray L.J. (2020) 'Cultures of Genius at Work: Organizational Mindsets Predict Cultural Norms, Trust, and Commitment', Personality and Social Psychology Bulletin 46(4):626-642 — journals.sagepub.com
- Burnette J.L., Billingsley J., Banks G.C., Knouse L.E., Hoyt C.L., Pollack J.M., Simon S. (2023) 'A systematic review and meta-analysis of growth mindset interventions: For whom, how, and why might such interventions work?', Psychological Bulletin 149(3-4):174-205 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Yeager D.S., Hanselman P., Walton G.M. et al. (2019) 'A national experiment reveals where a growth mindset improves achievement', Nature 573:364-369 — www.nature.com
- Foliano F., Rolfe H., Buzzeo J., Runge J., Wilkinson D. (2019) 'Changing Mindsets: Effectiveness trial — Evaluation Report', Education Endowment Foundation(発行元の公開資料、2026年閲覧。試験は英国、報告は2019年7月) — discovery.ucl.ac.uk
- Han S.J., Stieha V. (2020) 'Growth Mindset for Human Resource Development: A Scoping Review of the Literature with Recommended Interventions', Human Resource Development Review 19(3):309-331 — journals.sagepub.com
- Heslin P.A., Latham G.P., VandeWalle D. (2005) 'The Effect of Implicit Person Theory on Performance Appraisals', Journal of Applied Psychology 90(5):842-856 — scholar.smu.edu