回復力の目安とされた 2.9013 という比率は、2013年に数式ごと撤回されている
立ち直る力には比率がある、と長く言われてきた。ポジティブな感情がネガティブの 2.9013 倍を超えると人は開花する、という数字だ。この小数点以下4桁は、2013年に、論文の数式部分ごと正式に撤回された。
断られたあと、次の1回までに何日かかったか
この単位が扱うのは1つだけである。拒絶と失敗のあとに、次の1回を出す率。気分が晴れるかどうか、心をどう健やかに保つかは病気の棚と健康の棚の持ち場で、ここでは扱わない。この棚の道具は、そこまで繊細にできていない。
運と呼ばれてきたものを試行の設計に分解していくと、最後に残る変数がこれになる。試行の総数は、途中でやめた人のところで止まるからだ。断られた回数が同じでも、次を出す人と出さない人では、1年後の試行回数が桁で変わる。
だから測るのは感情ではない。間隔である。前回の断りから、次の1回を出すまでの日数。これなら数えられる。
値切り:3対1という比率は、2013年に数式ごと取り下げられた
回復力の話で最も流通したのは、比率だった。フレドリクソンとロサダが2005年に American Psychologist に発表した論文は、ポジティブな感情とネガティブな感情の比が 2.9013 を超えると人は開花する、と述べた。小数点以下4桁である。この精度が、そのまま説得力として使われた。
ブラウン、ソーカル、フリードマンの3人が2013年に同じ American Psychologist に載せた批判は、この数字の出どころを解剖した。比率の根拠になっていたのは、気象の対流を記述するために作られた微分方程式を、面談中の発言を数えたデータに当てはめたものだった。方程式の変数と感情の測定値のあいだに、接続の根拠がない。
同じ2013年、American Psychologist に訂正が出る。原論文の数式部分は無効として正式に撤回され、2.9 と 11.6 という比率についてのモデルに基づく予測も一緒に撤回された。残ったのは、理論と先行研究、2つの標本のデータ、そして開花していると分類された人のほうが比率は高かったという観察のほうである。
比率が撤回されても、比率を引用した記事は撤回されない。ここが値切りの要点だ。小数点以下4桁は、いまも配られている。
訓練プログラムのほうも検算しておく
では、回復力は訓練で上がるのか。レピンらが2014年に PLoS ONE に発表したメタ分析は、無作為化試験25件を集めた。回復力の指標を統合できたのは782人で、標準化平均差は 0.37、95%信頼区間 0.18〜0.57。ただし追跡は3か月以内にとどまり、多くの試験は小規模でバイアスのリスクが中程度から高い。著者らの結論は、効果があるという確信度は低い、である。
小さい効果が短い期間だけ観測されている。売り文句にするには足りないが、捨てるほどでもない、という位置である。
実際に測られた再試行率
拒絶のあとに何が起きたかを、大きな標本で追った研究がある。ワン、ジョーンズ、ワンが2019年に Nature Communications に発表したものだ。1990年から2005年までの米国NIHの若手研究費申請者のうち、採否の境界の前後5点以内に評価が落ちた1,184人——僅差で通った561人と、僅差で落ちた623人を比べた。
落ちた側で起きたことは2つに割れる。翌年に活動している研究代表者は11.2%少なく、10年のうちに12.6%が制度から永久に消えた。一方、消えずに残った人たちは、その後の5年で上位5%被引用の論文を出す確率が21%高く、1回の僅差の不採択は次の10年に代表的な論文を出す確率を6.1%上げていた。
失敗のあとの分岐は、消えるか、残って上がるか。分けたのは気分の回復ではなく、次を出したかどうかである。
拒絶が日常的に降ってくる職種でも、同じ形の測定がある。セリグマンとシュルマンが1986年に Journal of Personality and Social Psychology に発表した米国の生命保険営業の研究では、在職中の94人のうち、悪い出来事の説明の仕方が楽観的な上半分は、最初の2年で37%多く売った。新規採用の103人を追った研究2では、1年目の離職率は58%、楽観側の在職率は悲観側の2倍、2年目の販売額は130%多かった。
断りを2つ。これは1980年代の米国の1社の話で、測定は自己申告の質問紙である。そして「楽観的に考えれば売れる」という因果は、この設計からは出ない。出るのは、続けた人と辞めた人が事前に区別できた、という関係だけだ。
時間・変化:気分が戻るより先に、行動が戻る
断られたあとの数日で起きることには順序がある。
最初に起きるのは解釈の膨張である。断りは1件だが、そこから引き出される結論は複数になる。自分に向かないのではないか、そもそも無理だったのではないか。事実は1行で、解釈は何行にもなる。
次に来るのが、間隔の伸びだ。次の1回を出すのが、1日延び、3日延びる。この時点では、まだ何も決めていないつもりでいる。決めていないまま、試行の総数は減っている。
気分が元に戻るのは、たいてい最後である。だから「立ち直ってから次を出す」という順序で待つと、間隔はさらに伸びる。順序を逆に置くほうが実装しやすい——先に次の1回を出し、気分はあとから追いつくのに任せる。この棚の他の道具と同じで、回復力も掛け算の1項目にすぎない。ここがゼロなら、他がいくら大きくても積はゼロになる。
もう1つ、時間の効き方で注意すべき点がある。断られた件は、時間が経つほど印象が単純になる。細部が落ち、結論だけが残るからだ。3か月前の断りを思い出すと、相手が実際に書いた1行ではなく、自分が当時付けた解釈のほうが先に出てくる。記録が要るのはこのためで、記憶力の問題ではない。書いておかないと、解釈が事実の席に座る。
技術で相殺できない不運がある
ここまでを、努力の話として読まれると困る。個人の再試行率では動かせない領域が、はっきり存在する。
オレオプロス、フォン・ワクター、ヘイズが2012年に American Economic Journal: Applied Economics に発表した研究は、カナダの1976年から1995年に卒業した男性大卒者を追跡した。卒業した年の失業率が5ポイント高いと、初期の年収は約9%低い。この差は5年で半分になり、10年でほぼ消えるが、最初の10年の累積所得では約5%が失われている。本人の技術ではなく、卒業した年で決まった部分である。
病気、災害、生まれた場所、そして景気。この4つは、断られたあとに次を出す速さでは相殺できない。相殺できるふりをする助言は、不運だった人に「やり方が悪かった」という評価を上乗せするだけだ。この単位が扱うのは、動かせる範囲がゼロではないという一点であって、全部が動かせるという話ではない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、断りを情報ではなく評価として受け取ることだ。断りに含まれている事実は、たいてい1行しかない。残りは自分で足した解釈である。両者を紙の上で分けないかぎり、解釈のほうが記憶に残る。
標本の偏りを断っておく。この単位の研究は、米国の研究費申請者と保険営業、カナダの大卒者、そして北米と欧州で行われた小規模な無作為化試験に偏っている。うまくいかなかった人ほど追跡調査から抜けるので、続けた人の側が明るく見えるのは避けられない。日本の労働市場は転職や再応募の慣行が違い、断られた回数の意味もそのままでは重ならない。数字は方向だけ持ち帰るのが誠実である。
助けるのは、間隔を短くする仕掛けを、気分が悪い日でも動くように置いておくことだ。次の候補を1つだけ先に用意しておく、断られた日に出す文面をあらかじめ持っておく。判断が要らないほど、間隔は短くなる。
もう1つ助けになるのは、断りの件数を減らそうとしないことだ。件数を減らす最短の方法は、出す回数を減らすことである。これは指標としては改善に見えるが、試行の総数のほうが先に落ちる。数えるなら断られた件数ではなく、出した件数と間隔のほうを数える。
最初の一歩は10分。直近で断られた件を1つ選び、事実と解釈を2列に分けて書く。事実の列に入るのは、相手が実際に書いたか言ったことだけである。列が埋まらないなら、あなたが受け取ったのは情報ではなく、自分の解釈のほうだ。
次の単位は 158「財務的余裕」——別の効き方をする道具が、この道具の隣に置いてある。断られたあとに次を出せるかどうかは、次の1回を出すまで生活が持つかどうかにも左右される。同じ棚の別の引き出しとして開けてよい。
- Fredrickson & Losada 2005(American Psychologist 60(7):678-686):ポジティブとネガティブの感情比が 2.9013 を超えると人は開花するという主張の出どころ。2013年に同誌へ訂正が掲載され、数式部分は無効として正式に撤回され、2.9 と 11.6 という比率のモデルに基づく予測も撤回された。残ったのは理論と先行研究、2標本のデータ、開花群のほうが比率が高かったという観察のみ
- Brown, Sokal & Friedman 2013(American Psychologist 68(9):801-813):2.9013 の根拠は、流体の対流を記述する微分方程式を面談中の発言を数えたデータに当てはめたもので、方程式の変数と感情の測定値をつなぐ根拠がないと指摘した。批判は数理そのものに向いており、感情を測ること自体を否定したのではない
- Leppin ら 2014(PLoS ONE 9(10):e111420):回復力の訓練プログラムの無作為化試験25件のメタ分析。回復力の指標に統合できたのは782人で標準化平均差 0.37(95%信頼区間 0.18〜0.57)。追跡は3か月以内にとどまり、試験の多くは小規模でバイアスのリスクが中程度から高く、著者らの確信度は低い
- Wang, Jones & Wang 2019(Nature Communications 10:4331):米国NIHの若手研究費申請者1,184人(僅差で通った561人と僅差で落ちた623人、1990〜2005年)。落ちた側は翌年の活動中の研究代表者が11.2%少なく、10年で12.6%が制度から永久に消えた。残った人では次の10年に代表的な論文を出す確率が6.1%高くなった
- Seligman & Schulman 1986(Journal of Personality and Social Psychology 50(4):832-838):米国の生命保険営業。在職中の94人では、悪い出来事の説明が楽観的な上半分が最初の2年で37%多く売った。新規採用103人の追跡では1年目の離職率58%、楽観側の在職率は悲観側の2倍、2年目の販売額は130%多い。測定は自己申告の質問紙で、因果は示されていない
- Oreopoulos, von Wachter & Heisz 2012(American Economic Journal: Applied Economics 4(1):1-29):カナダの1976〜1995年卒の男性大卒者で、卒業年の失業率が5ポイント高いと初期の年収は約9%低い。差は5年で半分、10年でほぼ消えるが、最初の10年の累積所得では約5%が失われる。病気・災害・生まれた場所・景気は、個人の再試行率では相殺できない
- 測るのは気分ではなく間隔である。前回の断りから次の1回を出すまでの日数を数え、断られた件は事実の列と解釈の列に分ける。事実の列に入るのは相手が実際に書いたか言ったことだけで、残りは自分で足したものである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| ポジティブな感情をネガティブの3倍にすれば立ち直れる。これは研究で確かめられた比率だ | 2.9013 という比率を出した2005年の論文は、2013年に同じ American Psychologist で数式部分が無効として撤回され、2.9 と 11.6 という比率の予測も一緒に撤回された。根拠になっていたのは、流体の対流を記述する方程式を発言の集計に当てはめたものだった。撤回されたのは数式であって、感情の測定そのものではない——だが、比率だけを引いた記事は撤回されないまま流通している |
| 回復力は訓練プログラムで身につけられる。効果は実証済みである | 無作為化試験25件・782人を統合したメタ分析での効果は標準化平均差 0.37 で、追跡は3か月以内にとどまる。試験の多くは小規模でバイアスのリスクが中程度から高く、著者らは効果への確信度を低いと明記している。小さい効果が短い期間だけ観測されている、というのが現在地であって、身につく能力として売れる段階ではない |
| 回復力が高い人は不運を跳ね返せる。不運が続くのは立ち直り方が下手だからだ | カナダの大卒者の追跡では、卒業した年の失業率が5ポイント高いだけで初期の年収は約9%低く、最初の10年の累積所得で約5%が失われた。本人の技術ではなく、卒業した年で決まった部分である。病気・災害・生まれた場所・景気は、次を出す速さでは相殺できない。この単位が扱うのは、動かせる範囲がゼロではないという一点にすぎない |
小数点以下4桁は、よく効く。2.9013 という数字は、覚えやすく、引用しやすく、そして誰にでも配れた。撤回されたのは数式のほうだけで、比率を引いた記事や研修資料は、いまも元気に流通している。訂正は、元の主張ほど速くは走らない。皮肉なのは、この単位で本当に測れるものが、比率よりずっと退屈な形をしていることだ——前回断られた日と、次を出した日の差。日付を2つ引き算するだけで、比率も方程式も要らない。だから誰も講演で使わない。使えるのは、断られた本人だけである。
Q1. ポジティブとネガティブの感情比が ____ を超えると人は開花するという2005年の主張は、2013年に同じ American Psychologist の訂正で ____ 部分が無効として撤回され、2.9 と ____ という比率のモデルに基づく予測も一緒に撤回された。穴埋め
Q2. 回復力の訓練プログラムを集めた無作為化試験 ____ 件・782人のメタ分析での効果は標準化平均差 ____ で、追跡期間は ____ 以内にとどまっている。穴埋め
Q3. 米国NIHの若手研究費申請者を僅差の採択と僅差の不採択で比べた研究について、不採択側に起きた2つの分岐を、数値を挙げて説明せよ。一問一答
Q4. この単位が「技術で相殺できない不運がある」と断るために挙げた研究の数値と、その断りの意味を説明せよ。一問一答
Q5. 米国の生命保険営業を対象にした1986年の研究の結果として、本文の記述と一致するものはどれか。選択
直近で断られた件を1つ選ぶ。仕事の依頼でも、応募でも、誘いでも、頼みごとでもよい。紙かメモを2列に分け、左に事実、右に解釈と書く。左の列に入れてよいのは、相手が実際に書いたか言ったことだけである——推測した理由、表情から読み取ったこと、自分についての結論は、すべて右の列に置く。書き終えたら、左の列が何行になったかを数える。ふつうは1行か2行にしかならない。最後に、右の列の中から、事実で裏づけられていない1行に印を付ける。判定はここまでで、右の列を否定したり書き直したりしない。断られた件が思い当たらない読者は、直近で返事が来ないままの依頼を1件選び、同じ2列で書く。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Fredrickson B.L., Losada M.F. (2005) 'Positive Affect and the Complex Dynamics of Human Flourishing', American Psychologist 60(7):678-686/Correction (2013) American Psychologist — psycnet.apa.org
- Brown N.J.L., Sokal A.D., Friedman H.L. (2013) 'The Complex Dynamics of Wishful Thinking: The Critical Positivity Ratio', American Psychologist 68(9):801-813 — physics.nyu.edu
- Leppin A.L., Bora P.R., Tilburt J.C., Gionfriddo M.R., Zeballos-Palacios C., Dulohery M.M., Sood A., Erwin P.J., Brito J.P., Boehmer K.R., Montori V.M. (2014) 'The Efficacy of Resiliency Training Programs: A Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Trials', PLoS ONE 9(10):e111420 — journals.plos.org
- Wang Y., Jones B.F., Wang D. (2019) 'Early-career setback and future career impact', Nature Communications 10:4331 — www.nature.com
- Seligman M.E.P., Schulman P. (1986) 'Explanatory Style as a Predictor of Productivity and Quitting Among Life Insurance Sales Agents', Journal of Personality and Social Psychology 50(4):832-838 — ppc.sas.upenn.edu
- Oreopoulos P., von Wachter T., Heisz A. (2012) 'The Short- and Long-Term Career Effects of Graduating in a Recession', American Economic Journal: Applied Economics 4(1):1-29 — www.aeaweb.org