やめ遅れには名前が付いている。やめ急ぎには付いていない——記録に残らないからだ
早く損切りせよ、という助言は威勢がいい。ただし、早く畳みすぎた人の記録は誰も持っていない——畳んだ本人にさえ、その後どうなったかは分からないからだ。名前が付いている失敗だけを避けていると、名前のないほうへ寄る。
やめる判断は、二方向に外れる
続けるか、やめるか。この判断の失敗には、名前が付いているほうと、付いていないほうがある。
付いているほうは、やめ遅れである。使った時間や費用が惜しくて、見込みのないものを続ける。付いていないほうは、やめ急ぎだ。あと一回作り直せば形になったものを、途中で畳む。前者は本の題名になり、後者は誰の記録にも残らない。畳んだ本人にも、その後どうなったかは分からないからだ。
この単位は、その二方向を両方扱う。この棚のうち、判断の癖そのもの——過去の投資に引きずられることと、損失を利得より重く見ることを扱うのは、この単位だけである。他の単位では触れない。この道具は、この棚の他の道具と掛け算で効く。
仕組み:もう戻らない支出が、これからの判断に入り込む
古典的な実験がある。アーケスとブルーマーが1985年に Organizational Behavior and Human Decision Processes に発表した研究の一つは、米国の大学の劇場で、シーズン券を買いに来た人に、その場で予告なしの割引を与えた。定価は15ドル。2ドル引きの群と、7ドル引きの群を作り、割り当ては無作為である。券に付いている演目はまったく同じだ。
追跡したのは、実際に何演目に足を運んだかである。シーズン前半の5演目で、定価で買った群は平均4.11枚を使い、2ドル引きの群は3.32枚、7ドル引きの群は3.29枚だった。支払った額が多い人ほど、同じ内容の券をよく使った。
支払いはすでに終わっていて、行っても行かなくても戻らない。それでも判断に入り込む。これがサンクコスト効果——もう戻らない支出が、これからの選択を動かす現象である。
なぜ入り込むのか。カーネマンとトヴェルスキーが1979年に Econometrica で示した枠組みが、標準的な説明になっている。人は結果を絶対的な水準ではなく、ある参照点からの変化として評価する。そして変化の評価は、利得の側より損失の側で急である。ここでやめると、それまでの支出が損失として確定する。続けているあいだは、確定しない。確定を先送りする選択が、いつでも少しだけ魅力的に見える。
値切り:効果は実在する。ただし中程度で、状況で動く
ここまでは教科書通りだ。問題は、この現象がどれくらい強いのか、である。早く損切りせよという助言は、たいてい、この効果を人間の根深い欠陥として語る。
ロート、ロベルト、シュトラウスが2015年に Business Research に発表したメタ分析は、45件の研究から100の独立した標本を集めて効果の大きさを測った。全体の効果量は d=0.496。統計の言葉では中程度で、小さくはないが、人格を語れるほど大きくもない。
さらに重要なのは、この効果が状況で動くことだ。すでに買ったものを使い切ろうとする種類の判断では d=0.581、続けるかどうかを決める種類の判断では d=0.443。学生を対象にした研究では効果が大きく、学生以外では小さい。年齢が高い層ほど効果は小さい。一方で、経済学の訓練や実務の経験があっても効果は小さくならなかった。
つまり、これは知識で消える誤りではないが、場面によって濃さの変わる誤りである。いつでも同じ強さで働く固定の欠陥として扱うと、対策のほうも粗くなる。
動物は、コンコルドの誤謬をほとんど示さない
この現象には、生物学から来た別名がある。ドーキンスとカーライルが1976年に Nature で名付けたコンコルドの誤謬だ。すでに注ぎ込んだ投資を理由に投資を続けることを指す。
ところが、アーケスとエイトンが1999年に Psychological Bulletin で行った検討によれば、人間以外の動物でこの誤謬の曖昧さのない例は見つかっていない。動物が投資を続けているように見える場面は、たいてい、これから先の費用と便益で説明できる。さらに同じ論文は、幼い子どものほうが大人よりこの点で規範に近い判断をすることを示す証拠を整理している。
大人の人間だけが持つ誤りだとすれば、これは本能ではなく、学習されたものである。もったいない、途中でやめるのは無責任、という規則を私たちは教わってきた。ほとんどの場面で、その規則は役に立つ。役に立たない場面だけを見分けたい、というのがこの単位の狙いである。
「早く損切りせよ」の単純化——反対側の誤りは記録に残らない
やめ急ぎのほうを見る。
イン、ワン、エヴァンズ、ワンが2019年に Nature に発表した研究は、研究費の申請、新興企業、そして暴力的な事件という3つの領域で、失敗を重ねた後の軌跡を比べた。分かれ目になっていたのは、試行の回数の多さではなかった。前回の試みをどれだけ作り直して次に持ち込んだか、である。ある閾値の上では、失敗のたびに次が良くなり、いずれ成功に届く。閾値の下では、失敗を繰り返しても改善が積み上がらない。似た経歴の二人が、この境目のわずかな違いで、まったく違う結末に至る。
ここから出てくる助言は、続けろでも、やめろでもない。作り直しているなら続ける価値があり、作り直していないなら回数を重ねても届かない、である。
反対の方向の証拠もある。レヴィットが2021年に The Review of Economic Studies に発表した研究は、迷っている人に協力してもらい、コイン投げで背中を押すという大規模な実地の実験を行った。仕事を辞めるか、関係を終えるかといった大きな判断について、変化を起こした側は、2か月後にも6か月後にも幸福度が高かった。コインの結果を使って因果を確かめても、変化を指示された側のほうが6か月後に幸福だった。著者の結論は、人は人生を変える選択に対して過度に慎重かもしれない、というものだ。
この単位のもとになった設計資料には、合理的に撤退した人は29%高い成果を得る、損切りの訓練で損失が23%減る、という数字が置かれていた。どちらも探した。学術検索と査読誌のデータベースで、この2つの数字を報告した一次情報にはたどり着けなかった。存在しないとは断定しないが、根拠としては使えないので落としてある。
時間・変化:効果は、放っておくと自然に薄れる
サンクコスト効果には、時間の形がある。
劇場の実験には続きがあった。シーズン後半の5演目になると、3つの群の使用枚数の差は消えていた。支払った額の記憶が、判断に効かなくなったのである。おおよそ半年である。
これは2つのことを意味する。第一に、やめ遅れの多くは、放っておいても時間が解く。第二に、その半年は戻ってこない。時間が解くとは、判断が正しくなることではなく、判断する必要がなくなるまで待つことだ。
もう一つ、メタ分析が示した時間の効果は方向が場面で違った。すでに買ったものを使い切る種類の判断では、時間が経つほど効果は弱まる。一方、続けるかどうかを決める種類の判断では、時間が経つほど効果は強まる。長く続けたものほど、やめにくくなる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、やめる判断を性格の問題にすることだ。粘り強い人・飽きっぽい人という枠に入れると、判断を場面ごとに測るという手続きが消える。
第二の妨げは、やめる基準を自分の気分に置くことである。気分は、やめ遅れとやめ急ぎのどちらにも寄る。
標本の偏りを断っておく。ここで挙げた実験の多くは米国の大学生を対象にしていて、メタ分析自身が、学生の標本では効果が大きく学生以外では小さいと報告している。オンラインの実験参加者も一般の人口とは構成が違う。うまくいかなかった撤退は記録に残らないので、撤退の効果を測る研究は総じてやめた側に有利になりやすい。日本では、辞めることへの社会的な費用も、契約の解除のしやすさも違う。数字は方向だけ持ち帰るのが誠実である。
助けるのは、判断を2つに割ることだ。これまでにいくら使ったかと、ここから先どうなるかを、別々の行に書く。同じ行に書くと、必ず混ざる。
最初の一歩は5分。いま続けているもののうち、やめる候補を1つだけ選ぶ。そのうえで、次の1つだけを確かめてチェックする——ここから先の1か月に、前回と違うやり方を持ち込む予定があるか。あるなら続ける。ないなら、やめる候補として印を付けたまま今日を終える。今日やめる必要はない。
次の単位は 149「チャンス察知」——同じ道具箱の隣にある道具で、続けるかやめるかを決める前の段階、そもそも目の前を通った合図に気づけていたのかどうかを扱う。
- Arkes & Blumer 1985(Organizational Behavior and Human Decision Processes 35(1):124-140)は米国の大学の劇場でシーズン券の購入者に無作為に割引を与え、内容が同じ券でも、定価15ドルで買った群がシーズン前半の5演目で平均4.11枚、2ドル引きの群が3.32枚、7ドル引きの群が3.29枚を使ったと示した。後半5演目では群の差が消えた
- Kahneman & Tversky 1979(Econometrica 47(2):263-291)の枠組みでは、人は結果を絶対的な水準ではなく参照点からの変化として評価し、その評価は利得の側より損失の側で急である。ここでやめると支出が損失として確定し、続けているあいだは確定しない——先送りが常に少しだけ魅力的に見える
- Roth, Robbert & Straus 2015(Business Research 8:99-138)は45件の研究・100の独立標本のメタ分析で、サンクコスト効果の全体の効果量を d=0.496 の中程度と算出した。すでに買ったものを使い切る判断では d=0.581、続けるかどうかの判断では d=0.443 と場面で動く
- 同じメタ分析では、学生の標本で効果が大きく学生以外では小さいこと、年齢が高い層ほど効果が小さいこと、そして経済学の訓練や実務の経験があっても効果が小さくならないことが示された。知識で消える誤りではないが、場面によって濃さの変わる誤りである
- Arkes & Ayton 1999(Psychological Bulletin 125(5):591-600)は、Dawkins & Carlisle 1976(Nature 262:131-133)が名付けたコンコルドの誤謬について、人間以外の動物で曖昧さのない例は見つかっていないと論じた。動物が投資を続けて見える場面は、これから先の費用と便益で説明できることが多く、幼い子どものほうが大人より規範に近い判断をする
- Yin, Wang, Evans & Wang 2019(Nature 575:190-194)は、研究費の申請・新興企業・暴力的な事件という3領域で失敗後の軌跡を比べ、進歩と停滞を分けるのは試行回数の多さではなく、前回の試みをどれだけ作り直して次に持ち込んだかであると示した。似た経歴の二人が、境目のわずかな違いで違う結末に至る
- Levitt 2021(The Review of Economic Studies 88(1):378-405)は、迷っている人にコイン投げで背中を押す大規模な実地の実験を行い、仕事を辞める・関係を終えるといった大きな判断で変化を起こした側が2か月後にも6か月後にも幸福度が高いこと、コインの指示を用いた因果の検討でも6か月後に幸福だったことを示し、人は人生を変える選択に過度に慎重かもしれないと結論した
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| サンクコストに引きずられるのは人間の根深い欠陥で、知っていれば避けられる | Roth, Robbert & Straus 2015 のメタ分析(45件の研究・100の独立標本)では、効果量は d=0.496 の中程度で、すでに買ったものを使い切る判断では d=0.581、続けるかどうかの判断では d=0.443 と場面で動く。学生の標本では大きく、年齢が高い層では小さい。しかも経済学の訓練や実務経験があっても効果は小さくならなかった。根深い固定の欠陥として扱うと、対策のほうも粗くなる |
| 見込みがないと思ったら、とにかく早く損切りするのが正解だ | 誤りは両方向にある。Yin et al. 2019 が3領域で示したのは、進歩と停滞を分けるのが試行回数ではなく、前回の試みをどれだけ作り直したかだということだった。作り直しているなら続ける価値があり、作り直していないなら回数を重ねても届かない。一方 Levitt 2021 のコイン投げの実験では、変化を起こした側が2か月後にも6か月後にも幸福度が高く、人は人生を変える選択に過度に慎重かもしれないと結論された。基準は速さではなく、次に何を変えるかである |
| 撤退の判断力を鍛えれば、損失は目に見えて減らせる | この単位のもとになった設計資料には、合理的に撤退した人は29%高い成果を得る、損切りの訓練で損失が23%減る、という数字が置かれていた。どちらも学術検索と査読誌のデータベースで探したが、これらを報告した一次情報にはたどり着けなかった。存在しないとは断定しないが、根拠としては使えない。確かめられているのは、たとえば劇場の実験で群の差がシーズン後半には消えたこと——つまり、多くのやめ遅れは放っておいても時間が解く、という地味な事実のほうである |
やめる判断を先送りするのには、はっきりした利点がある。やめた瞬間に、それは失敗という名前の付いた出来事になるが、続けているあいだは、まだ途中である。途中には名前が付かない。名前が付かないものは、数えなくていい。数えないものは、増えていることにも気づかない。こうして、いちばん高い買い物が、いちばん静かに支払われていく。
Q1. Arkes & Blumer 1985 の劇場の実験で、シーズン前半の5演目における券の平均使用枚数が多い順に群を並べ、それぞれの値を答えよ。(2ドル引き / 7ドル引き / 定価15ドル)並べ替え
Q2. Roth, Robbert & Straus 2015 のメタ分析が報告した効果量を、大きい順に並べよ。(続けるかどうかを決める判断 / 全体 / すでに買ったものを使い切る判断)並べ替え
Q3. Arkes & Ayton 1999 が、人間以外の動物と幼い子どもについて示したことを述べ、そこから導かれる含意を1つ書け。一問一答
Q4. Yin et al. 2019 が3つの領域の分析から示した、進歩する側と停滞する側を分けるものは何か。あわせて、そこから出てくる助言を書け。一問一答
Q5. サンクコスト効果と時間の関係について、本文の内容に合うものはどれか。選択
いま続けているもののうち、やめる候補を1つだけ選ぶ。仕事の案件でも、習慣でも、通っている場所でも、続けている連絡でもよい。選んだら、確かめるのは1つだけ——ここから先の1か月に、前回と違うやり方を持ち込む予定があるか。予定があるなら、それを一言だけ書き添えて、続ける側にチェックを入れる。予定がないなら、やめる候補として印を付ける側にチェックを入れる。ここまでにいくら使ったかは、この判断に書かない。書くと必ず混ざる。今日やめる必要はいっさいない。契約の解除や退会の手続きも今日はしない。印を付けるところまでで完了とする。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Arkes H.R., Blumer C. (1985) 'The psychology of sunk cost', Organizational Behavior and Human Decision Processes 35(1):124-140 — www.sciencedirect.com
- Kahneman D., Tversky A. (1979) 'Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk', Econometrica 47(2):263-291 — www.econometricsociety.org
- Roth S., Robbert T., Straus L. (2015) 'On the sunk-cost effect in economic decision-making: a meta-analytic review', Business Research 8:99-138 — link.springer.com
- Arkes H.R., Ayton P. (1999) 'The sunk cost and Concorde effects: Are humans less rational than lower animals?', Psychological Bulletin 125(5):591-600 — psycnet.apa.org
- Dawkins R., Carlisle T.R. (1976) 'Parental investment, mate desertion and a fallacy', Nature 262:131-133 — www.nature.com
- Yin Y., Wang Y., Evans J.A., Wang D. (2019) 'Quantifying the dynamics of failure across science, startups and security', Nature 575:190-194 — www.nature.com
- Levitt S.D. (2021) 'Heads or Tails: The Impact of a Coin Toss on Major Life Decisions and Subsequent Happiness', The Review of Economic Studies 88(1):378-405 — academic.oup.com