自営で10年やった人の収入は、雇われの中央値より35%低かった
収入の話は、たいてい途中で人の能力の話にすり替わる。ところが実測を見ると、同じ人が同じ能力のまま、受け取り方の経路を変えただけで、金額の分布が丸ごと入れ替わる。しかもその分布は、平均を取った瞬間に嘘になる形をしている。
この棚の入口で、扱わないものを先に置く
お金の話は、たいてい何かを売りたい人が書いている。だから本屋に残るのは やれば増える という形の話ばかりで、やっても大して変わらなかった という検証結果は棚に並ばない。この棚は、その非対称を正面から扱う。
個人の財務は、法人が毎期やっていること——記録し、締め、把握し、配分する——を、誰も監査しない状態で自分ひとりでやる仕事である。監査がないぶん、自分に都合のいい数字が生き残る。だから、増やす技術より先に、いま自分がどこにいるかを数字で言える技術から積む。
この棚は4段でできている。入ってくる量とその源、出ていく量とタイミング、残った差分をストックに変えて借りたものを管理すること、そして制度と時間軸を理解して最後に 何のためのお金か で全体を束ねること。下の段が崩れていると、上の段の努力は空回りする。
この単位は一段目の最初で、着手の起点である 132「収支差(フロー)認識力」の3つ手前の土台にあたる。差分を数えるより先に、そもそも入ってくるものがどこから来ているのかを見る。
先に断っておく。この棚は投資助言でも税務相談でもない。特定の金融商品・口座・銘柄・保険・不動産を、勧めることも、やめろと言うこともしない。制度は改正されるので、税や社会保険の具体的な扱いは必ず自分で一次情報を確認してほしい。個別の判断は専門家の持ち場である。
収入は、能力の名前ではなく、経路の名前で呼ばれている
入ってくるお金には、必ず経路の名前が付いている。誰かに雇われて働いた対価。自分の事業から取った分。持っているものが生む利子・配当・賃料。制度から来る年金や給付。会計の言葉では、どれも同じ 収入 の欄に入るが、金額の決まり方も、途切れ方も、増え方も、まったく違う。
ここで扱うのは、どの職業に就くかではない。それは就職と職業の棚の持ち場だ。この単位が扱うのは、いま自分に入ってきているものが、どの経路から、どういう分布で来ているか、という一点である。同じ人が同じ技能のまま経路を移すだけで、期待値も、ばらつきも、途切れやすさも入れ替わる——それが実測で分かっている、というのがこの単位の中身だ。
多くの大人にとって、この4つのうち実際に入金があるのは1つか2つで、しかもその1つが総額の大半を占めている。それ自体は悪いことではない。問題は、1つしかないことを自覚しないまま、その1つの性質を全部の性質だと思い込むことのほうにある。
平均は、経路の形を隠す
収入を語るとき、私たちはほぼ無意識に平均を思い浮かべる。ところが収入の分布は、平均で代表させると意味が壊れる形をしている。
グヴェネン、カラハン、オズカン、ソングが2021年に Econometrica に発表した研究は、米国社会保障局の給与記録——数百万人規模の行政データ——を使って、25歳から55歳までの生涯の収入の動き方を測った。結果はこうだ。生涯収入で見て中央にいる層では、平均収入は25歳から55歳のあいだに60%増える。95パーセンタイルの層では4.8倍になる。上位1%では27.8倍である。
同じ30年間の話だ。中央値の人が1.6倍になっているあいだに、上位1%は27.8倍になっている。この2つを1本の平均線に丸めた瞬間、どちらの人生の説明にもならない数字ができあがる。
この研究のもう一つの発見は、年ごとの収入変化の形である。変化の分布は、教科書が仮定してきた対数正規から大きく外れていて、負のほうに歪み、尖度がきわめて高い。平たく言えば、ほとんどの年は何も起きず、たまに大きく動き、その大きな動きは下向きのほうが多い。
値切り:独立すれば稼げる、を実測にかける
ここから本題である。収入の経路の話には、必ずと言っていいほど 独立すれば・起業すれば稼げる という主張が付いてくる。この主張は、検算されている。
ハミルトンが2000年に Journal of Political Economy に発表した研究は、米国のパネル調査を使い、8,771人の男性の非農業就業者について、自営の収入と被雇用の収入を同一人物の条件をそろえて比べた。結論は、自営は入口の収入も低く、その後の伸びも低い、というものだった。事業を10年続けた人で見ると、被雇用だった場合との収入の差は、中央値で35%低い。
著者はさらに、能力の低い人が自営に流れ込んでいるという説明を検討し、それを支持する証拠はほとんどないとした。つまり、うまくいかない人が独立しているから平均が下がる、では説明がつかない。にもかかわらず人は自営に入り、留まる。ハミルトンの解釈は、金銭以外の便益——自分で決められること——が相当に大きい、というものだ。それは十分ありうる説明だが、稼げる という説明ではない。
分布の右の端はどうか。ホールとウッドワードが2010年に American Economic Review に発表した研究は、ベンチャーキャピタルの投資を受けた22,004社について、1987年から2008年までの創業者の受け取りを追った。株式公開または売却という出口で創業者が受け取った現金は、平均で580万ドル(米国・1987〜2008年)。ところが、4分の3近くの創業者は出口で何も受け取っていない。ごく一部が10億ドルを超える。
著者たちは、この分布を起業の時点で引き受けるとどれだけの価値になるかを計算した。相対的リスク回避度を2とした場合、確実性等価——確実にもらえるならいくらと同じか——はゼロをわずかに上回る程度にしかならない。平均580万ドルという数字と、この結論は矛盾しない。矛盾しないことこそが、この分布の性質である。
モスコウィッツとヴィッシング=ヨルゲンセンが2002年に American Economic Review に発表した研究は、別の角度から同じ場所を突いている。米国の非公開株式への投資は極端に集中していて分散が効いていないにもかかわらず、そのリターンは公開株式のリターンを上回っていなかった。著者らは、それでも人が事業に自己資金を集中させる理由として、金銭以外の便益、歪んだ分布そのものへの選好、そして事業の生存確率の過大評価を挙げている。3つ目は、この単位にとって重要な指摘だ。
生存確率は、統計として公表されている。米国労働統計局の事業所動態統計によれば、2013年3月に開業した民間事業所のうち、1年後も営業していたのは79.6%、5年後は50.6%、10年後は34.7%だった。3分の1である。
「独立」は、1語で扱える経路ではない
ここまでで話を終えると、独立は損だ という別の雑な結論になる。実測はもう一段細かい。
レヴァインとルビンスタインが2017年に The Quarterly Journal of Economics に発表した研究は、自営という一語を、法人化している自営と、法人化していない自営に割った。米国の労働力調査(1995〜2012年)と若年層の長期追跡調査(1979〜2012年)を使った分析で、法人化した自営の時間あたり収入は、同等の被雇用者と比べて残差ベースで平均53%、中央値で26%高い。一方、法人化していない自営は、中央値で13%低い。
同じ 独立 という語の中に、上に外れる群と下に外れる群が同居している。ハミルトンが測った自営全体の中央値は、この2つを混ぜた結果でもある。
ただし、この研究のいちばん厄介な発見は収入差そのものではない。法人化した自営に入る人は、10代の時点で学習適性の検査の成績が高く、自己評価が高く、そして規範から外れる行動を多くしていた。この 賢さ と 逸脱 の組み合わせが、起業への参入と、その後の収入差の両方を説明していた。つまり差の相当部分は、法人化という選択の効果ではなく、その選択をする前から本人が持っていた性質のほうにある。
経路を変えれば分布が変わる。ただし、経路のほうが人を選んでいる部分も大きい。この2つは同時に成り立つ。
時間・変化:経路は、一度選んで終わりではない
収入の経路を、就職のときに一度決めて終わる設定だと思っている人は多い。実測は逆を示す。
第一に、経路そのものが時間とともに消える。5年で半分、10年で3分の1という事業所の生存率は、事業という経路が持続を前提にできないことを意味する。雇われるという経路も、勤め先の側で同じ生存率の話が起きている。
第二に、同じ経路の中でも、伸びる時期が偏っている。中央値の層で30年かけて60%という伸びは、均等に配られない。若い時期に厚く、後半は薄い。
第三に、収入の変化は、負の側に歪み、たまに大きく動く。したがって計画を平均で立てると、平時は過剰に楽観的で、事故のときに足りない、という組み合わせになる。
実務上の含意は地味だ。経路は、選ぶものというより、点検するものである。いま入ってきているものが何本の経路から来ていて、そのうち何本が同じ理由で同時に止まりうるか。この点検は、年に一度でいい。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、収入を能力の得点表として読む癖である。この読み方だと、金額が低い理由は自分の中にあることになり、経路の設計という手の届く変数が視野から消える。ついでに、金額が高い理由も本人の中にあることになるので、上を見ても学べるものがなくなる。
第二の妨げは、成功例の分布上の位置を確認しないことだ。出口で10億ドルを受け取った創業者は実在する。実在することと、その分布から自分の期待値を引き出せることは別である。4分の3がゼロという情報が同じ研究の中にあるのに、片方だけが流通するのは、片方だけが売り物になるからだ。
標本の偏りを断っておく。この単位の数字は、ほぼすべて米国のデータである。ハミルトンの分析は1980年代の男性の非農業就業者に限られ、グヴェネンらの分析も男性の給与記録が中心だ。税制・社会保険・解雇規制・開業の手続きは国ごとに大きく違うので、日本の読者がこの比率をそのまま自分に当てはめることはできない。日本では、雇用形態ごとの社会保険の扱いも、事業所得と給与所得の課税の仕方も別建てで、しかも改正される。数字は方向だけ持ち帰り、制度の中身は自分で一次情報に当たるのが誠実である。加えて、収入の高い層ほど調査に答えず、うまくいかなかった事業ほど記録が残りにくいので、この種の推定は総じて上振れしやすい。
助けるのは、経路を数える習慣だ。金額ではなく本数を数える。本数は収入水準に依存しないので、誰でも今日測れる。
最初の一歩は15分。直近1か月の入金を明細で上から順に見て、4つの経路のどれかに印を付ける。合計額は出さなくてよい。見るのは、印が何種類付いたか、そして最大の経路が全体の何割かの2つだけである。ほとんどの人は、1種類で9割を超える。それが分かった状態が、この棚の一段目だ。
次の単位は 130「収入源多様化力」——経路が1本しかないと分かったあと、多くの人は本数を増やそうとする。そこには、出典を持たないまま20年以上流通している数字が待っている。増やすこと自体の効果と、その代償を、実測で見る。
- Hamilton 2000(Journal of Political Economy 108(3):604-631)は米国のパネル調査で8,771人の男性非農業就業者を分析し、自営は入口の収入も伸びも被雇用より低く、事業を10年続けた時点の収入差は中央値で35%低いと示した。能力の低い層が自営に流入しているという説明を支持する証拠はほとんどなかった
- Hall & Woodward 2010(American Economic Review 100(3):1163-1194)は、ベンチャー投資を受けた22,004社について1987〜2008年の創業者の受け取りを追い、出口で受け取った現金は平均580万ドル(米国)だが4分の3近くはゼロで、相対的リスク回避度2のもとでの確実性等価はゼロをわずかに上回る程度だと算出した
- Guvenen, Karahan, Ozkan & Song 2021(Econometrica 89(5):2303-2339)は米国社会保障局の給与記録で、25歳から55歳の平均収入の伸びが生涯収入の中央層で60%、95パーセンタイルで4.8倍、上位1%で27.8倍だと示した。年ごとの収入変化は対数正規から外れ、負に歪み尖度がきわめて高い
- Levine & Rubinstein 2017(The Quarterly Journal of Economics 132(2):963-1018)は自営を法人化の有無で割り、法人化した自営の時間あたり収入は被雇用者より残差ベースで平均53%・中央値26%高く、法人化していない自営は中央値で13%低いと示した。この差は10代時点の学習適性と規範逸脱傾向で大きく説明された
- Moskowitz & Vissing-Jørgensen 2002(American Economic Review 92(4):745-778)は、米国の非公開株式への投資が極端に集中し分散が効いていないにもかかわらず、そのリターンが公開株式を上回っていないことを示し、事業の生存確率の過大評価を理由の一つに挙げた
- 米国労働統計局の事業所動態統計では、2013年3月に開業した民間事業所の生存率は1年後79.6%、5年後50.6%、10年後34.7%だった。事業という経路は、持続を前提にできない
- 収入には必ず経路の名前が付いている——雇われて働いた対価、自分の事業から取った分、持っているものが生む利子・配当・賃料、制度から来る年金や給付。同じ 収入 の欄に入るが、決まり方も途切れ方も伸び方も違う。多くの大人はこのうち1本が総額の大半を占めている
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 独立や起業をすれば、雇われているより稼げるようになる | Hamilton 2000 の米国パネル分析では、事業を10年続けた人の収入は被雇用の場合と比べて中央値で35%低かった。しかも著者は、能力の低い層が自営に流れ込んでいるという説明を支持する証拠をほとんど見つけていない。Levine & Rubinstein 2017 が示したように、法人化した自営には中央値で26%高いという別の分布が同居しているが、その差の相当部分は10代時点の特性で説明され、法人化という選択の効果そのものではない |
| 起業で成功した人の平均的な取り分を見れば、挑戦する価値があるかは判断できる | Hall & Woodward 2010 では、ベンチャー投資を受けた22,004社の創業者が出口で受け取った現金は平均580万ドル(米国・1987〜2008年)だが、4分の3近くはゼロだった。平均は、ごく少数の10億ドル超によって作られている。同じ研究の確実性等価は、リスク回避度2のもとでゼロをわずかに上回る程度でしかない。平均と中央値がこれだけ離れる分布では、平均は代表値として機能しない |
| 収入の額は、その人の能力の得点表として読める | Guvenen et al. 2021 の行政データでは、25歳から55歳までの伸びが中央層で60%、上位1%で27.8倍と、同じ30年でまったく違う軌道を描く。しかもその差は経路の性質と分布の裾によって大きく決まっており、年ごとの変化は負に歪んで尖度が高い。得点表として読むと、手の届く変数——どの経路から、何本受け取っているか——が視野から消える |
収入を能力の得点表として読むのは、たいへん経済的な習慣である。自分の点が低ければ努力不足で説明がつくし、他人の点が高ければ才能で説明がつく。どちらの場合も、明細を開く必要がない。開いてしまうと、入金が1種類しかないことや、その1種類が誰か1人の判断で止まりうることが見えてしまい、説明が急に面倒になる。皮肉なのは、得点表として読んでいるあいだ、点数を上げるための手がかりだけが、きれいに全部見えないままだということだ。
Q1. Hamilton 2000 が8,771人の分析から示した、事業を10年続けた人の収入と被雇用の収入の差はどのくらいか。また著者が検討して否定した、その差の説明仮説を1つ挙げよ。一問一答
Q2. Guvenen らの研究では、25歳から55歳までの平均収入の伸びは、生涯収入の中央層で ____%、95パーセンタイルで ____倍、上位1%で ____倍だった。さらに年ごとの収入変化の分布は対数正規から外れ、____ のほうに歪み、尖度がきわめて ____ かった。穴埋め
Q3. Hall & Woodward 2010 が22,004社の創業者について示した結果として、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q4. 米国労働統計局の事業所動態統計が示した、2013年3月開業の民間事業所の生存率を、時点の早い順に並べたうえで、それぞれの値を答えよ。(34.7% / 50.6% / 79.6%)並べ替え
Q5. Levine & Rubinstein 2017 が自営を2つに割ったときの収入の違いを答えよ。さらに、その差を 法人化の効果 と読んではいけない理由を述べよ。一問一答
直近1か月の入金を、口座の明細か給与明細で上から順に見て、4つの経路のどれかに印を付ける。①雇われて働いた対価 ②自分の事業や請負から取った分 ③持っているものが生む利子・配当・賃料 ④制度から来る年金・給付・手当。合計額を出す必要はない。記録するのは2つの数字だけ——印が付いた経路の種類の数(0〜4)と、最大の経路が入金全体に占めるおよその割合(%)。割合は10%刻みの概算でよい。いま入金がまったくない人は、直近1年でいちばん最後に入金があった経路がどれだったかを1つ選び、種類の数を1として同じ2つの数字を記録すればよい。この課題では、口座を開いたり、金融商品を買ったり解約したりする必要はいっさいない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Hamilton B.H. (2000) 'Does Entrepreneurship Pay? An Empirical Analysis of the Returns to Self-Employment', Journal of Political Economy 108(3):604-631 — www.journals.uchicago.edu
- Hall R.E., Woodward S.E. (2010) 'The Burden of the Nondiversifiable Risk of Entrepreneurship', American Economic Review 100(3):1163-1194 — www.aeaweb.org
- Guvenen F., Karahan F., Ozkan S., Song J. (2021) 'What Do Data on Millions of U.S. Workers Reveal About Lifecycle Earnings Dynamics?', Econometrica 89(5):2303-2339 — www.newyorkfed.org
- Levine R., Rubinstein Y. (2017) 'Smart and Illicit: Who Becomes an Entrepreneur and Do They Earn More?', The Quarterly Journal of Economics 132(2):963-1018 — academic.oup.com
- Moskowitz T.J., Vissing-Jørgensen A. (2002) 'The Returns to Entrepreneurial Investment: A Private Equity Premium Puzzle?', American Economic Review 92(4):745-778 — www.aeaweb.org
- U.S. Bureau of Labor Statistics (2024) '34.7 percent of business establishments born in 2013 were still operating in 2023', The Economics Daily / Business Employment Dynamics — www.bls.gov