「リスクの基準は勘でやるしかない」——だが取るリスクの線は言葉にできる。それは方針の裏面で、質を伴えば価値になる
リスクの基準なんて勘でやるしかない、と教わる。皮肉なことに、そう言う人ほど頭の中にはっきりした線を持っている。これはやる、これはやらないを毎日瞬時に判断している。ただ言葉になっていないだけだ。言葉にしていないから人により日によってぶれ、迷ったとき立ち返る場所がない。リスクアペタイト——取ってよいリスクの基準——とは、その頭の中の線を外に書き出したもので、方針の裏返しにすぎない。
前の単位では、悪い情報をどう開示するかを扱った。ここでは、そもそも「どこまでのリスクなら取ってよいか」——その基準(リスクアペタイト)を、どう決めるかを扱う。
「リスクの基準なんて、決められない。結局は、勘でやるしかない」——これが、この単位が向き合う俗説だ。何が起きるか分からないのだから、どこまで攻めてよいかを、あらかじめ言葉にするのは無理だ、という発想である。将来が読めないのは、そのとおりだ。だが、この単位で見るのは、その先だ。「取ってよいリスク」の線は、勘の外に、言葉として引ける。それは、この棚のいちばん最初に置いた「方針」——攻めと守りをどう両立するか——の、裏側そのものである。 リスク管理とは、リスクを取らないことではない。取るリスクを選ぶことだ。そして、方針とは、何を取り、何を取らないかの、宣言である。だから、取るリスクの基準を決めることは、方針を裏から言い直しているにすぎない。この単位は、方針のその裏面を、正面から扱う。
「取ってよいリスク」の線は、言葉にできる
まず、枠組みの話から。「リスクアペタイト」とは、直訳すれば「リスクへの食欲」——組織として、どこまでのリスクなら進んで引き受けるか、という基準のことだ。これは、決められないものではない。二〇一七年、COSO(内部統制やリスク管理の考え方をまとめている団体)が、リスク管理の公式の枠組みを大きく改め、リスクを、単なる「避けるべき脅威」ではなく、「戦略とともに考えるもの」として捉え直し、リスクアペタイトをその中核に据えた。ここで大事なのは、これはあくまで「考え方の枠組み(フレームワーク)」であって、「この通りにやれば業績が上がる」と証明した研究ではない、ということだ。枠組みは、地図であって、保証ではない。それでも、この枠組みが示すのは、取ってよいリスクの線は、勘の外に、言葉として引けるということである。「この種の失敗は、挑戦の代償として受け入れる。だが、この一線だけは、絶対に越えない」——そう書けること自体が、アペタイトだ。たとえば、新商品が売れ残る危険は取るが、一度の失敗で店をたたむ賭けはしない。こうした線は、決して勘の霧の中にあるのではない。たいていの商いの主は、自分がどこまでなら耐えられるかを、すでに知っている。ただ、それをきちんと言葉にして、外に置いていないだけなのだ。ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——基準は決められないと思い込み、それが方針の裏面として言葉にできることを見落とす。
リスク管理には、測れる「価値」がある
「そんな基準を決めたところで、儲けにつながるのか」——つながりうる、という実証がある。二〇一四年、Grace らが *Journal of Risk and Insurance* 誌 82(2):289-316 で、リスクを全社でまとめて見る「ERM(全社的リスク管理)」への投資と企業価値の関係を調べ、ERMへの投資が価値と結びつき、とりわけ、その中の特定の構成要素が価値に効くことを示した。二〇一五年、Farrell と Gallagher が同誌 82(3):625-657 で、ERMの「成熟度」——どれだけ根づいているか——を測り、成熟したERMほど、企業価値との結びつきが強い(その差はおよそ二割五分)ことを示した。もちろん、これは上場企業や保険・会計のデータから見た関係で、そのまま小さな商いに当てはまるわけではない。数字そのものを鵜呑みにする必要もない。だが、少なくとも、「取るリスクを選ぶ」ことは、守りのための我慢ではなく、価値につながりうる——その向きだけは、確からしいと言える。リスクの線を引くことは、攻めをあきらめることではなく、攻める場所を選び定めることだ。ただし、実証は一枚岩ではない。二〇一一年、McShane らが *Journal of Accounting, Auditing & Finance* 誌 26(4):641-658 で、ERMの格付けと企業価値を調べ、一定の水準までは価値と関連するが、それ以上の高度化では頭打ちになる(条件しだいだ)ことを示した。高度にするほど良いとも限らない。むしろ、取らないと決めた領域があるからこそ、取ると決めた場所には迷わず資源を集められる。基準は、ブレーキであると同時に、アクセルを踏んでよい場所を教える地図でもある。
「質」が伴わなければ、価値にならない
ただし、注意がいる。「ERMをやっている」と名乗ることと、それが実を伴っていることは、別だ。二〇一二年、Paape と Speklé が *European Accounting Review* 誌 21(3) で、ERMの導入と設計の実態を調べ、アペタイトの明文化を含むERMの導入は広がりつつあるが、その「設計」は組織ごとにばらばらで、一様ではないことを示した。同じ「リスク管理をやっている」でも、その中身の設計しだいで、意味も効き目もまるで変わってくる。アペタイトも同じだ。立派な文言を額に入れて飾っても、日々の判断がそれに沿って動いていなければ、ただの飾りだ。大事なのは、基準を「決めた」ことではなく、その基準が、実際の意思決定を導いているかどうかである。取ると決めたリスクは、ためらわず取る。取らないと決めた一線は、どんなに旨味があっても越えない。その一貫性が伴ってはじめて、アペタイトは価値になる。人を惑わせるのは、旨味の大きな話が来たとき、決めていた一線を勢いで越えることだ。「今回だけは特別だ」——その一言で基準は崩れる。値打ちは、その誘惑の瞬間に立ち返れるかで決まる。
儀式に堕さないために——薄い実証と、空虚な形式
ここで、正直に言っておくことがある。リスクアペタイトそのものを直接測って「これだけ効果があった」と示した研究は、実のところ、まだ薄い。ERM全体の価値を示す研究はあっても、アペタイトの効き目を単独で証明したものは乏しい。だから、これを万能の道具のように語るのは、誠実ではない。むしろ、警戒すべきことがある。二〇〇九年、Power が *Accounting, Organizations and Society* 誌 34(6-7):849-855 で、リスク管理が、実質を欠いた形ばかりの手続き——「何も管理していないに等しいリスク管理」——に堕す危険を論じた。書式を埋め、会議で承認し、棚にしまう。それで「リスク管理をした」ことにしてしまう。アペタイトも、同じ罠にはまりうる。立派な基準を一度書いて、あとは誰も見返さないなら、それは儀式であって、統治ではない。基準は、飾るために書くのではない。迷ったときに、立ち返って判断を照らすために書く。 見返されない基準は、無いのと同じだ。逆に、二行の素朴な基準でも、迷うたびに引かれ判断を照らしているなら、立派に生きている。大切なのは、文書の立派さでなく参照される頻度だ。
時間・変化:2009年から2017年へ
順に置く。二〇〇九年、Power が、リスク管理が空虚な形式に堕す危険を論じる。二〇一一年、McShane らが、ERMの高度化が一定水準で頭打ちになる条件依存を示す。二〇一二年、Paape と Speklé が、アペタイトを含むERMの導入は広がるが設計はばらばらだと示す。二〇一四年、Grace らが、ERMへの投資が価値と結びつくことを示す。二〇一五年、Farrell と Gallagher が、ERMの成熟度が高いほど価値との結びつきが強い(約二割五分)ことを示す。二〇一七年、COSOが、リスクを戦略とともに捉え直し、アペタイトを中核に据えた枠組みを示す。この十年で確からしくなったのは、「基準は決められない」ではない。確からしくなったのは、取るリスクの線は言葉にでき、それは方針の裏面であり、質を伴えば価値になる。ただし儀式に堕せば、空虚になる——という向きのほうだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「基準を決めても、どうせその通りにはいかない」という諦めである。将来は読めないのだから、線を引いても無駄だ、と。だが、線を引く目的は、未来を当てることではない。迷ったときに、立ち返れる場所を持っておくことだ。助けになるのは、大げさな枠組みではなく、「取るリスク」と「絶対に取らないリスク」を、一つずつ、方針と並べて書くことだ。この挑戦は、失敗しても受け入れる。この一線だけは、どんなに旨味があっても越えない。二行でも、それは立派なアペタイトになる。そして、それを、額に飾らず、迷ったときに見返す。書いたことより、見返すことのほうが、ずっと大事だ。
この単位は、「精密なリスク基準の表を作れ」と言うものではない。数字で埋めた立派な表より、迷ったときに本当に立ち返れる一行のほうが、はるかに効く。言うのは、取るリスクの線は、勘の外に、方針の裏面として引ける。ただし、書いて飾るのでなく、見返して使えということだ。そして、これは臆病になるための道具ではない。取ると決めたリスクを、迷いなく取るための、攻めの道具である。
最初の一歩は10分。自分の商いについて、(1)「この挑戦は、たとえ失敗しても、代償として受け入れる」というリスクを一つ、(2)「これだけは、どんなに旨味があっても、絶対に取らない」というリスクを一つ、書き出す。そして、それを、この棚の最初に考えた「攻めと守りの方針」と、一枚に並べて置いてみる。「決められない」で終わらせない。取るリスクと取らないリスクを一つずつ書き、方針の裏面として並べる。二つが方針とちぐはぐなら、どちらかが、まだ本当には決まっていない。
- 桃の段、リスクアペタイトの単位。俗説はリスクの基準は決められない・勘でやるしかない。だが取ってよいリスクの線は勘の外に言葉として引け、それは方針(攻めと守りの両立)の裏面そのもの。リスク管理とはリスクを取らないことでなく取るリスクを選ぶことで、方針とは何を取り何を取らないかの宣言。基準を決めることは方針を裏から言い直しているにすぎない(通奏低音①・★545の方針と呼応)
- 証拠の読み違え方は、基準は決められないと思い込み、それが方針の裏面として言葉にできることを見落とすこと。中心命題は、取るリスクの線は方針の裏面として引け、質を伴えば価値になるが、書いて飾るのでなく見返して使うこと。COSO(内部統制・リスク管理の考え方をまとめる団体)のERM 2017は、リスクを避けるべき脅威でなく戦略とともに考えるものと捉え直しアペタイトを中核に据えた公式枠組み(coso.org・2026年8月到達確認)で、業績が上がると証明した研究ではない
- Grace ら2014(Journal of Risk and Insurance 82(2):289-316)はERMへの投資が企業価値と結びつくことを、Farrell・Gallagher 2015(同誌 82(3):625-657)はERMの成熟度が高いほど価値と結びつく(差は約二割五分)ことを示した。一方 McShane ら2011(統計学者B.McShaneと別人)は一定水準で頭打ちの条件依存を示し実証は割れる。上場・保険/会計データで中小に断定せず、取るリスクを選ぶことは守りの我慢でなく価値につながりうる
- Paape・Speklé 2012(European Accounting Review 21(3))は、アペタイトの明文化を含むERMの導入は広がるが設計は組織ごとにばらばらで一様でないと示した。名乗ることと実を伴うことは別で、設計の中身で意味が変わる。立派な文言を飾っても日々の判断がそれに沿って動かねばただの飾りで、大事なのは決めたことでなく基準が実際の意思決定を導いているか。取ると決めたリスクはためらわず取り、取らない一線は越えない一貫性
- リスクアペタイトそのものを直接測って効果を示した研究はまだ薄く、単独の効き目は乏しい。だから万能の道具のように語るのは誠実でない。Power 2009(Accounting, Organizations and Society 34(6-7):849-855)は、リスク管理が実質を欠いた形ばかりの手続き(何も管理していないに等しいリスク管理)に堕す危険を論じた。基準は飾るためでなく、迷ったとき立ち返って判断を照らすために書く。見返されない基準は無いのと同じ
- 妨げるのは、基準を決めてもどうせその通りにはいかないという諦め。だが線を引く目的は未来を当てることでなく、迷ったとき立ち返る場所を持つこと。助けは、大げさな枠組みでなく、取るリスクと絶対に取らないリスクを一つずつ方針と並べて書くこと。二行でも立派なアペタイトで、額に飾らず迷ったとき見返す。書いたことより見返すことのほうがずっと大事
- 中心命題は、取るリスクの線は勘の外に方針の裏面として引け、書いて飾るのでなく見返して使うこと。精密な表より迷ったとき立ち返れる一行のほうが効く。臆病になる道具でなく、取ると決めたリスクを迷いなく取るための攻めの道具。ERM価値実証は割れており(McShane ら2011=条件依存)上場・保険/会計データ中心で中小に断定転用しない。次は560で棚を締める
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 何が起きるか分からないのだから、どこまで攻めてよいかをあらかじめ言葉にするのは無理で、結局は勘でやるしかない | 取ってよいリスクの線は勘の外に言葉として引け、それは方針(攻めと守りの両立)の裏面そのもの。リスク管理とはリスクを取らないことでなく取るリスクを選ぶことで、方針とは何を取り何を取らないかの宣言。COSO ERM 2017はリスクを戦略とともに捉えアペタイトを中核に据えた(公式枠組みの性格で、この通りにやれば業績が上がると証明した研究でない)。基準は決められないと思い込み、方針の裏面として言葉にできることを見落としてはならない |
| 取るリスクの基準を決めたところで、守りの我慢になるだけで、儲けにはつながらない | Grace ら2014はERMへの投資が企業価値と結びつくことを、Farrell・Gallagher 2015は成熟度が高いほど価値と結びつく(約二割五分)ことを示した。一方 McShane ら2011は一定水準で頭打ちの条件依存を示し実証は割れる。上場・保険/会計データで中小に断定できないが、取るリスクを選ぶことは守りの我慢でなく価値につながりうる。線を引くことは攻める場所を選び定めること |
| リスク管理やアペタイトは、立派な基準を一度決めて文書にすれば、それで役目を果たす | Paape・Speklé 2012は、アペタイトの明文化を含むERMの導入は広がるが設計は組織ごとにばらばらだと示した。Power 2009は、リスク管理が実質を欠いた形ばかりの手続き(何も管理していないに等しいリスク管理)に堕す危険を論じた。アペタイト直接の実証は薄い。立派な文言を飾っても日々の判断がそれに沿って動かねばただの飾り。基準は飾るためでなく、迷ったとき立ち返って判断を照らすために書く。見返されない基準は無いのと同じ |
皮肉なのは、「リスクの基準なんて勘でやるしかない」と言う人ほど、実は頭の中にはっきりした線を持っていることだ。「これはやる」「これはやらない」を、その人は毎日、瞬時に判断している。ただ、それが言葉になっていないだけだ。言葉にしていないから、人により日によってぶれ、迷ったときに立ち返る場所がない。リスクアペタイト——取ってよいリスクの基準——とは、その頭の中の線を外に書き出したものにすぎない。そしてそれは、この棚の最初に置いた「方針」の裏返しである。方針が「何を目指すか」なら、アペタイトは「そのために何を賭け、何は賭けないか」——表と裏で同じ一枚のことを言っている。だから、基準を決めることは勘を捨てることではない。長年の勘を、ぶれない言葉に翻訳し、迷ったときに立ち返れる形にすることだ。ただし書いて額に飾れば、それは儀式になる。生きた基準は、迷いのたびに引かれ、ときに書き直される——その一貫性だけが、基準を飾りから攻めの道具へと変える。
Q1. 「リスクの基準は勘でやるしかない」への反証を、リスクアペタイトが「方針の裏面」であることに触れて説明せよ。通奏低音①(取るリスクを選ぶ)にも触れよ。一問一答
Q2. Grace ら2014 と Farrell・Gallagher 2015 が示した「ERMの価値」について、もっとも正しいものはどれか。選択
Q3. Paape・Speklé 2012 は、アペタイトの明文化を含むERMの ____ は広がるが、その ____ は組織ごとにばらばらだと示した。大事なのは基準を ____ ことでなく、その基準が実際の ____ を導いているかである。穴埋め
Q4. リスクアペタイトが「儀式」に堕す危険とは何か。Power 2009 と、アペタイト直接の実証の薄さに触れて説明せよ。一問一答
Q5. この単位が扱った出典を、年の早い順に並べよ。(ア)McShane らがERMの高度化の頭打ち・条件依存を示す(イ)Power がリスク管理が空虚な形式に堕す危険を論じる(ウ)COSO がアペタイトを中核に据えた枠組みを示す(エ)Grace らがERMへの投資が価値と結びつくと示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の商いについて二つを書く。(1)「この挑戦は、失敗しても代償として受け入れる」というリスクを一つ。(2)「これだけは、旨味があっても絶対に取らない」というリスクを一つ。書けたら、この棚の最初に考えた「攻めと守りの方針」と一枚に並べる。二つが方針とちぐはぐなら、どちらかがまだ本当には決まっていない。そして額に飾らず、迷ったとき見返す一枚にする。書いたことより見返すことのほうが大事だ。精密な表は要らず、迷ったとき立ち返れる一行でよい。これは臆病になる道具でなく、取ると決めたリスクを迷いなく取るための攻めの道具である。点検するのは自分の商いのリスクの線だけである。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- COSO (2017) 『Enterprise Risk Management—Integrating with Strategy and Performance』(公式フレームワーク・非実証) — www.coso.org
- Grace M.F., Leverty J.T., Phillips R.D., Shimpi P. (2014) ‘The Value of Investing in Enterprise Risk Management’, Journal of Risk and Insurance 82(2):289-316 — doi.org
- Farrell M., Gallagher R. (2015) ‘The Valuation Implications of Enterprise Risk Management Maturity’, Journal of Risk and Insurance 82(3):625-657 — doi.org
- Paape L., Speklé R.F. (2012) ‘The Adoption and Design of Enterprise Risk Management Practices: An Empirical Study’, European Accounting Review 21(3) — doi.org
- McShane M.K., Nair A., Rustambekov E. (2011) ‘Does Enterprise Risk Management Increase Firm Value?’, Journal of Accounting, Auditing & Finance 26(4):641-658 — doi.org
- Power M. (2009) ‘The risk management of nothing’, Accounting, Organizations and Society 34(6-7):849-855 — doi.org