「権限規程を作れば暴走は防げる」ではない——紙の権限(形式)と実際に決める権限(実質)はずれる。防止は規程でなく両者の一致と決裁の非形骸化にかかる
権限規程さえきちんと作れば、暴走は防げる——そう思いたくなる。だが紙に書かれた権限と、実際に物事を決めている権限は、しばしばずれる。規程で決めてよいのはこの人と定めても、現実にはまったく別の人が、事実上その決定を握っていることがある。実質的な権限は、その事柄の情報を持っている人のところに集まるからだ。名目上の決裁者が中身を知らないまま印を押すだけなら、規程は暴走を止める力を、紙の上にしか持たない。規程を作ることは必要だが、それだけでは足りない。
権限の暴走を防ぐ——「権限規程を作れば暴走は防げる」ではない。紙の権限と、実際に決める権限はずれる
前の単位では、取締役会という会議体の実効性を扱った。効き目は顔ぶれより過程に宿った。ここでは、その決定を実際に動かす仕組み——権限規程を扱う。誰が、何を、いくらまで決めてよいかを、あらかじめ紙に定めておく社内のルールだ。
用語をほどく。権限規程(決裁基準ともいう)とは、「この金額まではこの役職が決めてよい」「これを超えたら上に上げる」といった、決定してよい範囲を人や役職ごとに割り振った取り決めのことだ。狙いははっきりしている——誰かが独断で、際限なく物事を進めてしまう「暴走」を、あらかじめ枠にはめて防ぎたい。よく聞くのは「権限規程さえきちんと作れば、暴走は防げる」という声である。
この単位が示すのは、それだけでは足りない、ということだ。紙に書かれた権限(形式)と、実際に物事を決めている権限(実質)は、しばしばずれる。規程で「決めてよいのはこの人」と定めても、現実にはまったく別の人が、事実上その決定を握っていることがある。規程を作ることは必要だが、それだけで暴走が止まるわけではない。順に見ていく。
「紙の権限」と「実際の権限」は、別物
まず、いちばん大事な区別から。Aghion と Tirole が1997年に理論として示したのは、組織には「形式的な権限」と「実質的な権限」という二つの権限があり、両者は一致するとは限らない、ということだった。形式的な権限とは、規程の上で「あなたが決めてよい」と書かれている権限。実質的な権限とは、実際に決定を左右している権限だ。
そして、実質的な権限は、多くの場合、その事柄について情報を持っている人のところに集まる。名目上の決裁者が、中身をよく知らないまま印を押すだけなら、その人は「形式」を持っているだけで、「実質」は、資料を作り、選択肢を絞り込んだ担当者のほうにある。決裁欄に名前が並んでいても、実際にどう決まるかを動かしているのは、情報の流れのほうだ。だから、規程で権限者を定めても、その人が中身を判断できる情報を持っていなければ、暴走を止める力は、紙の上にしか存在しないことになる。
身近な例で考えてみよう。ある投資を、規程では役員が決裁することになっているとする。だが、その投資の妥当性を判断できる材料——市場の見立て、数字の前提、リスクの中身——を握っているのは、提案書を作った現場の担当者だけだ。役員は、担当者が整えた資料と結論を、そのまま受け取る。このとき、決裁欄には役員の印が並ぶが、実際にその投資を「決めた」のは、選択肢を絞り込んだ担当者のほうだ。これは、担当者が悪いという話ではない。情報が一箇所に偏っている以上、自然にそうなる、という構造の話だ。だからこそ、暴走を防ぎたいなら、決裁欄の役職を厳しくするより先に、決裁する人に、中身を判断できるだけの情報が届いているかを問うほうが、ずっと効く。権限の線を引くことと、判断できる情報を流すことは、別の作業なのである。
権限をどう配るかは、単純に最適化できない
では、規程を細かく書き込めば書き込むほど、暴走は防げるのか。そこも単純ではない。権限を「上に集める(集権)」か「現場に委ねる(分権)」かは、それぞれに得と損があり、規程の書き方だけで最適解が決まるものではない。
Baiman たちが1995年に、そして Graham・Harvey・Puri が2015年に扱ったのは、決定権をどう配分するかが、現場の情報を活かすことと、統制のゆるみを避けることの間のトレードオフだ、ということだった。上に集めれば統制は効きやすいが、現場の情報が届かず判断が遅れる。現場に委ねれば速く的確になりうるが、目が届きにくくなる。しかも、Guggenberger が2015年に示したように、委ねた権限が規程どおりに働くかは、それを預かる中間管理職が、必要な情報とまっとうな動機を持っているかに左右される。Kräkel が2021年に理論的に整理したように、権限委譲そのものが、条件しだいで効いたり効かなかったりする。だから、「この決裁基準さえ敷けば安全」という一律の正解は、そもそも存在しない。
ここには、規程を作る側が陥りやすい罠がある。暴走が怖いあまり、どんどん権限を上へ引き上げ、些細なことまで上位者の決裁を要る仕組みにしてしまう。一見すると、統制が強まって安全に見える。だが、上位者は現場の細部を知らないので、実際には中身を吟味できず、印を押すだけの通過点になる。決裁の数が増えるほど、一つひとつの決裁は形だけになり、かえって誰も本気で見ていない状態が生まれる。逆に、現場に委ねすぎれば、速く回るが目が届かない。どちらの極端も、暴走への備えとしては弱い。大事なのは、権限を上げるか下ろすかという一軸ではなく、それぞれの決定について、判断できる情報を持つ人が、実際にその判断に関与しているか、という問いのほうだ。集権か分権かを決める前に、情報と判断がどこにあるかを見る——これが、トレードオフに振り回されないための足場になる。
権限は、規程の外側でも行使される
さらに厄介なのは、権限が、規程に書かれた回路の外側でも行使される、ということだ。Davenport と Leitch が2005年に示したのは、あえて曖昧にしておくことや、非公式なつながりを通じて、実質的な権限が行き来する、という現実だった。
「これは私が決めたことにしておこう」「あの人が言うなら通る」——こうした非公式の回路は、規程のどこにも書かれていない。だから、規程だけを眺めていても、実際に誰が何を動かしているかは見えてこない。なお、決裁者が自らの権限で統制を上書きしてしまう(いわゆる management override の)「やり方」を、ここで具体的に書くことはしない。それは防ぐ側でなく破る側の手引きになってしまうからだ。押さえるべきは、そうした上書きや非公式な権限行使が起こりうる、という事実のほうであり、それを踏まえて、防止の力点を「規程を作ること」から「紙の権限と実際の権限を一致させ、決裁が形だけにならないようにすること」へ移す、という一点だ。
ここで、正直に断っておくことがある。決裁者が自分の権限で統制をすり抜ける、いわゆる統制の上書きが、どれだけの頻度で、どんな条件で起きるのか——その正面からの実証は、実は乏しい。だから、「これこれの場合に上書きが起きる」と断定することは、この単位ではしない。分かっているのは、形式と実質がずれうること、権限が非公式にも動きうること、その二つだ。この二つが確かである以上、規程が紙のとおりに働くと決めてかかるのは危うい。実証が薄い部分を、あたかも分かっているかのように埋めないこと——前の緑の段、データを読む力で学んだこの慎みは、統制の設計にもそのまま効く。
時間・変化:権限をめぐる研究が積み上げてきた向き
順に置く。1995年、Baiman たちが、決定権の配分は情報活用と統制のトレードオフだと示す。1997年、Aghion と Tirole が、形式的権限と実質的権限は別物で、実質は情報を持つ者に集まると理論化する。2005年、Davenport と Leitch が、権限が非公式・曖昧な回路でも行使されると示す。2015年、Graham たちが権限委譲の実態を、Guggenberger が委譲が中間管理職に依存することを示し、2021年、Kräkel が権限委譲の条件依存性を整理した。
この流れで確からしくなったのは、「権限規程を作れば暴走は防げる」ではない。確からしくなったのは、形式の権限と実質の権限はずれ、情報を持つ者に実質が集まり、権限は非公式にも行使される——だから防止は、規程の存在ではなく、紙と実際の一致と、決裁が形骸化しない設計にかかる、という向きのほうである。(なお、権限を握った者が統制を上書きする現象そのものの直接の実証は乏しく、ここも断定はしない。)
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「規程を作ったのだから、これで権限は管理できている」という書類上の安心だ。紙の決裁者と、実際に中身を決めている人がずれていれば、規程は暴走を止める力を持たない。もうひとつの妨げは、逆に規程を細かくしすぎて、誰も実際には読まず守らない「飾りの分厚さ」にすること——読まれない規程は、無いのと大差ない。
助けになるのは、規程を「作って終わり」にせず、「紙に書かれた決裁者と、実際にその決定を握っている人は、同じか」を突き合わせることだ。もし、名目上の決裁者が中身を判断できていないなら、その人に情報が届く流れを作るか、実際に判断できる人を決裁の線に組み込む。ずれを見つけて、紙と実際を近づける——これが、規程を生かす作業だ。
最初の一歩は10分。自分の会社(や任された部門)で、最近通した決裁を一つ選び、「規程上、これを決めてよいことになっているのは誰か」「実際に、中身を判断してその決定を動かしたのは誰か」を並べて書き、その二人がずれていないかを確かめる。ずれていたら、名目上の決裁者が中身を判断できるよう、何が足りないかを一言添える。統制の抜け道を探す必要はない——紙の権限と実際の権限のずれを点検するメモとして完結する。実在企業の不祥事を材料にする必要もない。この突き合わせが、「規程がある」から「規程が効いている」へ、目を移す一歩になる。
次の単位では、こうした決裁や統制が本当に働いているかを組織の内側から確かめる仕組み——内部監査というものを、警察としてではなく、まったく別の役割として捉え直す。
- この棚の読者は会社を預かる人・部門や小さな組織を任された人で、緑の段2単位目として権限規程(誰が何をいくらまで決めてよいかを人や役職ごとに割り振った社内ルール)を扱う。俗説は権限規程さえ作れば暴走は防げるで、この単位は紙の権限と実際に決める権限がずれるためそれだけでは足りないことを示す(統制の抜け道や権限逸脱のやり方は書かない)
- 形式的権限と実質的権限は別物だ。Aghion & Tirole 1997は、組織に規程上で決めてよいとされる形式的権限と、実際に決定を左右する実質的権限があり、両者が一致するとは限らず、実質は多くの場合その事柄の情報を持つ人に集まることを理論として示した。名目上の決裁者が中身を知らず印を押すだけなら実質は担当者にあり、規程は暴走を止める力を紙の上にしか持たない
- 権限をどう配るかは単純に最適化できない。Baiman ら 1995・Graham ら 2015は、決定権の配分が現場の情報を活かすことと統制のゆるみを避けることのトレードオフであることを扱った。上に集めれば統制は効くが判断が遅れ、現場に委ねれば速いが目が届きにくい。この決裁基準さえ敷けば安全という一律の正解は存在しない
- 委ねた権限が規程どおり働くかは、それを預かる中間管理職が必要な情報とまっとうな動機を持っているかに左右され(Guggenberger 2015)、権限委譲そのものが条件しだいで効いたり効かなかったりする(Kräkel 2021)。規程を細かく書き込むこと自体が統制を保証するわけではない
- 権限は規程の外側でも行使される。Davenport & Leitch 2005は、あえて曖昧にしておくことや非公式なつながりを通じて実質的な権限が行き来する現実を示した。決裁者が自らの権限で統制を上書きする現象も起こりうる(直接の実証は乏しく断定はしない)。だから規程だけを眺めても実際に誰が何を動かしているかは見えてこない
- 確からしくなったのは権限規程を作れば暴走は防げるではなく、形式の権限と実質の権限はずれ情報を持つ者に実質が集まり権限は非公式にも行使される、だから防止は規程の存在でなく紙と実際の一致と決裁が形骸化しない設計にかかる、という向きである。防止の力点は規程を作ることから紙と実際を一致させることへ移る
- 最初の一歩は10分。最近通した決裁を一つ選び、規程上これを決めてよいのは誰か・実際に中身を判断してその決定を動かしたのは誰かを並べて書き、二人がずれていないかを確かめる。ずれていたら名目上の決裁者が中身を判断できるよう何が足りないかを一言添える。統制の抜け道は探さず、紙の権限と実際の権限のずれを点検するメモとして完結する
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 権限規程をきちんと作れば、誰かの独断による暴走は防げる | 紙に書かれた権限(形式)と、実際に物事を決めている権限(実質)はしばしばずれる。Aghion & Tirole 1997は、組織に形式的権限と実質的権限という二つの権限があり両者が一致するとは限らず、実質は多くの場合その事柄の情報を持っている人に集まることを理論として示した。名目上の決裁者が中身を知らないまま印を押すだけなら、実質は資料を作り選択肢を絞った担当者にある。規程で権限者を定めても、その人が中身を判断できる情報を持たなければ、暴走を止める力は紙の上にしか存在しない |
| 決裁基準を細かく書き込むほど、権限は正しく統制できる | 権限を上に集める(集権)か現場に委ねる(分権)かはそれぞれ得と損があり、規程の書き方だけで最適解は決まらない。Baiman ら 1995・Graham ら 2015は、決定権の配分が現場の情報を活かすことと統制のゆるみを避けることのトレードオフであることを扱った。上に集めれば統制は効くが情報が届かず判断が遅れ、現場に委ねれば速いが目が届きにくい。委ねた権限が規程どおり働くかは中間管理職の情報と動機に依存し(Guggenberger 2015)、委譲は条件しだいで効いたり効かなかったりする(Kräkel 2021)。一律の正解はない |
| 権限は規程に書かれた回路のとおりに行使されるので、規程を見れば誰が何を動かしているか分かる | 権限は規程の外側でも行使される。Davenport & Leitch 2005は、あえて曖昧にしておくことや非公式なつながりを通じて実質的な権限が行き来する現実を示した。こうした非公式の回路は規程のどこにも書かれていないので、規程だけを眺めても実際に誰が何を動かしているかは見えてこない。決裁者が自らの権限で統制を上書きする現象も起こりうる(その直接の実証は乏しく断定はしない)。だから防止の力点は、規程を作ることから、紙の権限と実際の権限を一致させ決裁が形だけにならないようにすることへ移る |
皮肉なのは、分厚く整った権限規程ほど、それがあること自体で安心を生み、実際に誰が決めているかを見なくさせる、ということだ。決裁欄にずらりと並んだ印は、確かに手続きを踏んだ証には見える。だが、その印を押した人が中身を判断できていなければ、印は責任の所在を示すだけで、暴走を止めてはいない。権限規程のほんとうの値打ちは、紙の上に決裁者を並べることではなく、紙に書かれた権限と、実際にその決定を握っている力とを、たえず突き合わせて近づけることにある。ずれを見つけ、名目上の決裁者に中身を判断できる情報を届け、実際に判断できる人を線に組み込む——この地道な一致の作業こそが、規程を飾りから守りへ変える。次は、そうした決裁や統制が本当に働いているかを、内側から確かめる仕組みへ進む。
Q1. 『権限規程を作れば暴走は防げる』はなぜ足りないのか。形式的権限と実質的権限の区別に触れて説明せよ。一問一答
Q2. 権限を上に集める(集権)か現場に委ねる(分権)かについて、Baiman ら 1995・Graham ら 2015をふまえた説明として正しいものはどれか。選択
Q3. Davenport & Leitch 2005によれば、実質的な権限は、あえて ____ にしておくことや、____ なつながりを通じても行使される。だから ____ だけを眺めても、実際に誰が動かしているかは見えてこない。穴埋め
Q4. この単位が勧める、規程を『生かす』ための最初の一歩を説明せよ。統制の抜け道を書かないという方針とあわせて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った権限をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Aghion & Tirole が形式的権限と実質的権限は別物だと理論化する(イ)Baiman らが決定権の配分は情報活用と統制のトレードオフだと示す(ウ)Kräkel が権限委譲は条件依存だと整理する(エ)Davenport & Leitch が権限は非公式・曖昧な回路でも行使されると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の会社(や任された部門)で、最近通した決裁を一つ選んで、何の決裁かを一言書く。次に、二つを並べて書く。①規程(または慣例)の上で、これを決めてよいことになっているのは誰か。②実際に、中身を判断してその決定を動かしたのは誰か。そのうえで、①と②がずれていないかを確かめ、ずれている場合は、名目上の決裁者が中身を判断できるようにするには何が足りないか(届いていない情報、関与すべき人)を一言添える。統制の抜け道や権限を逸脱するやり方を探す課題ではない。あくまで、紙の権限と実際の権限のずれを点検するメモとして完結させる。実在企業の不祥事を材料にする必要はない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Aghion P., Tirole J. (1997) ‘Formal and Real Authority in Organizations’, Journal of Political Economy 105(1):1-29 — doi.org
- Baiman S., Evans J.H., Nagarajan N.J. (1995) ‘Collusion, Centralization, Delegation, and Shared Responsibility in the Assignment of Capital Investment Decision Rights’, Journal of Accounting Research 33(1):135-164 — doi.org
- Graham J.R., Harvey C.R., Puri M. (2015) ‘Capital allocation and delegation of decision-making authority within firms’, Journal of Financial Economics 115(3):449-470 — doi.org
- Guggenberger M. (2015) ‘Delegation of strategic decision-making authority to middle managers’, Journal of Management Control 26(4):355-382 — doi.org
- Kräkel M. (2021) ‘On the delegation of authority’, Journal of Economic Behavior & Organization 191:992-1008 — doi.org
- Davenport S., Leitch S. (2005) ‘Circuits of Power in Practice: Strategic Ambiguity as Delegation of Authority’, Organization Studies 26(11):1603-1623 — doi.org