「洗い出せば網羅できる」——だがリスクの集合は原理的に閉じない。ヒヤリハットは無事ゆえに見過ごされ、見積りは判断に頼り、未知は漏れる
方針で守るべきリスクを見つける番だ。丁寧に洗い出せば網羅できると考えたくなるが、リスクの集合は原理的に閉じない。Kaplan & Garrick 1981 はリスクを『何が起こりうるか・どれくらいの確からしさで・どんな帰結か』に答えた筋書き(シナリオ)の集まりと定義し、この集合は問いに終わりがなく完全にならない。さらに、危うく事故になりかけたが無事に済んだ出来事(ヒヤリハット)は無事ゆえにリスク認知を弱め(Tinsley ら 2012)、そこから学ぶには集めて振り返る仕組みが要る(Phimister ら 2003、Azadegan ら 2019)。見積りは専門家判断に依存して不完全で(French 2012)、稀で予測困難な事象(ブラックスワン)は事前の洗い出しから漏れる(Taleb)。だから洗い出しは網羅の保証でなく、漏れる前提で更新し続ける営みである。
「洗い出せば網羅できる」——リスクの集合は、閉じない
前の単位では、攻めと守りの方針——何を守り、どんなリスクを取るか——を扱った。方針が定まったら、次は、その方針で守るべきリスクを、実際に見つける番だ。会社を脅かしうるものを洗い出し、評価すること。これをリスクアセスメント(リスクの洗い出しと評価)という。
「時間をかけて丁寧に洗い出せば、重要なリスクは網羅できる」——そう考えたくなる。全部を書き出したリストがあれば、あとは安心だ、と。だが、この単位が最初に置く注意はこうだ。リスクの集合は、原理的に、閉じない。 どれだけ丁寧に洗い出しても、「これで全部だ」と言い切れる保証は、どこにもない。世界は動き、事業は変わり、昨日はなかったリスクが今日は生まれる。新しい商品を出せば新しいリスクが、新しい取引先を持てば新しいリスクが、その都度、生まれてくる。洗い出しのリストは、ある時点の写しにすぎず、その外側には、まだ見えていないリスクが、いつも残っている。だから、洗い出しの目的は、「網羅」ではない。漏れることを前提に、更新し続けることである。完璧なリストを一度作ることではなく、リストを、生きたものとして育てることなのだ。ここを取り違えると、リスク管理は、年に一度の「行事」になってしまう。分厚い一覧を作り、上に報告し、ファイルに綴じて、また一年放置する。だが、その一年のあいだに、事業も、取引先も、世の中も、動き続けている。リストは、作った瞬間から、少しずつ現実とずれていく。だから、大事なのは、立派な一覧を年に一度作ることではなく、日々の気づきを、そのつど小さく書き足していける、軽い仕組みのほうだ。
リスクとは、シナリオの集合である
そもそも「リスク」とは、何を指すのか。ここを、はっきりさせておきたい。Kaplan と Garrick が1981年に、リスクを、三つの問いへの答えの集まりとして定義した。「何が起こりうるか」「それはどれくらいの確からしさで起きるか」「起きたら、どんな帰結になるか」——この三つの問いに答えた、一つひとつの「筋書き(シナリオ)」の集まりが、リスクだ、というのだ。
この定義は、地味だが、大事なことを教えてくれる。リスクとは、単なる「危ないことのリスト」ではなく、起こりうる筋書きの集まりだ、ということ。「地震が怖い」ではなく、「地震で倉庫が倒れ、在庫が失われ、納品が止まる」という筋書きにする。そこまで具体化して、はじめて、どこに手を打てるかが見えてくる。そして、筋書きは、いくらでも考えられる。「何が起こりうるか」の問いに、終わりはない。だから、この集合は、原理的に完全にはならない。どんなに書き出しても、「まだ考えていない筋書き」が、その先に残る。洗い出しとは、この開かれた集合から、いま思いつく限りの筋書きを、できるだけ拾い上げる作業であって、集合そのものを閉じる作業ではないのだ。この見方には、実用上の効き目もある。「危ないこと」を並べるだけだと、つい、思いつく心配事の羅列になり、大きさもばらばらで、手のつけようがなくなる。だが、一つひとつを「何が起きて、どれくらいの確からしさで、どんな帰結になるか」という筋書きの形で書くと、そのリスクの輪郭が、ぐっとはっきりする。漠然とした不安が、確かめられる問いに変わる。だから、洗い出しは「危ないことリスト」ではなく、「筋書きリスト」として作るほうが、あとの手当てにつながりやすい。
ヒヤリハットは、無事ゆえに見過ごされる
洗い出しを難しくする、人の心の癖もある。危うく事故になりかけたが、無事に済んだ出来事——ヒヤリハット(near-miss)——を、私たちは、軽く見てしまうのだ。
Tinsley、Dillon、Cronin が2012年に、この現象を調べた。ヒヤリハットは、結果として「無事だった」がゆえに、「あれは大丈夫だったのだから、これからも大丈夫だろう」と、リスクの認知を、かえって弱めてしまう。危険が確かに存在していても、無事という結果が、その危険を覆い隠す。本来、ヒヤリハットは、まだ被害が出ていないうちに危険を教えてくれる、貴重な警告のはずなのに。ただで手に入る予行演習を、無事だったからと、みすみす捨ててしまうのだ。Phimister らが2003年に、そして Azadegan らが2019年に、ヒヤリハットから学ぶには、それを個人の感覚に任せず、集めて振り返る「仕組み」として制度化しなければ機能しないことを示した。「危なかったね」で終わらせず、記録し、なぜ危なかったのかを振り返る——その仕組みがなければ、いちばん役に立つ警告が、静かに捨てられていく。ここで大事なのは、責める仕組みではなく、拾う仕組みを作ることだ。ヒヤリハットを報告した人が叱られる職場では、誰も報告しなくなり、警告は闇に消える。逆に、「よく気づいて共有してくれた」と迎えられる職場では、小さな危うさが、次々と表に出てくる。同じヒヤリハットでも、それが集まる会社と、隠される会社では、見えるリスクの量が、まるで違う。だから、洗い出しの質は、リストの作り方だけでなく、危うさを口に出せる空気があるかどうかにも、かかっている。
見積りは専門家の判断に頼り、未知は漏れる
もう二つ、洗い出しの限界を置いておく。一つは、リスクの見積りが、結局は人の判断に頼るということだ。French が2012年に、リスクの識別や評価が専門家の判断に依存し、その判断は完全ではないことを論じた。どんな専門家も、自分の経験や想像力の外にあるリスクは、見落とす。だから、一人の目より、立場の違う複数の目で見るほうが、漏れは減る。営業には見える危うさ、現場には見える危うさ、経理には見える危うさは、それぞれ違う。えらい人だけで会議室に集まって洗い出すより、現場のいろんな立場の人に「最近ヒヤッとしたこと」を聞くほうが、ずっと生きたリスクが集まることも多い。
もう一つは、そもそも予測が極端に難しいリスクがあることだ。実務家の Taleb が「ブラックスワン(黒い白鳥)」と呼んだ、稀で、事前にはほとんど想像もつかず、しかし起きれば影響の大きい事象——こうしたものは、性質上、事前の洗い出しからは漏れる。すべての白鳥は白い、と信じていた人が、初めて黒い白鳥を見たとき、その存在は「想定外」だった。だが、想定外だったのは、白鳥のせいではなく、想定の狭さのせいだ。だから、洗い出しの目的は、未知をゼロにすることではない。未知が残ることを認めたうえで、その分の余白(備え)を、あらかじめ用意しておくことである。具体的には、「何が起きるか分からないが、何かは起きる」という前提で、少しの手元資金、少しの時間の余裕、代わりのきく取引先——といった、中身を特定しない「一般的な備え」を残しておく。特定のリスクに対する備えが「傘」だとすれば、これは「屋根」だ。どんな雨が降るか分からなくても、屋根があれば、たいていはしのげる。洗い出しで見えたリスクには個別に手を打ちつつ、見えないリスクのためには、こうした屋根を用意しておく——この二段構えが、想定外に潰されないための、ほんとうの構えになる。
時間・変化:1981年から今へ
順に置く。1981年、Kaplan と Garrick が、リスクをシナリオの集合として定義する。2003年、Phimister らが、ヒヤリハットからの学習には管理の仕組みが要ると示し、2007年、Taleb が、予測困難な事象(ブラックスワン)を論じる。2012年、Tinsley らが、ヒヤリハットが無事ゆえにリスク認知を弱めることを、French が、識別は専門家判断に依存し不完全だと示す。2019年、Azadegan らが、ヒヤリハット学習は制度に依存すると確かめた。
この間に確からしくなったのは、「洗い出せば網羅できる」ということではない。確からしくなったのは、リスクの集合は閉じず、ヒヤリハットは無事ゆえに見過ごされ、見積りは判断に頼り、未知は漏れる——だから洗い出しは、漏れる前提で更新し続ける営みである——という、向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、一度作ったリスク一覧に、安心してしまうことである。立派なリストがあると、「もう洗い出しは済んだ」と、更新の手を止めてしまう。だが、リストは作った瞬間から古びていく。もう一つは、逆に「どうせ全部は洗い出せないのだから」と、洗い出しそのものを軽んじることだ。網羅できないことと、やる意味がないことは、違う。いま見えている筋書きを拾い上げるだけでも、無防備よりは、ずっとよい。完璧を目指して何も始めないより、不完全でも一覧を持って更新していくほうが、確実に強い。大事なのは、リストの完成度ではなく、それが動き続けているかどうかである。
助けになるのは、いきなり大きな一覧を作る前に、「最近、危なかったこと(ヒヤリハット)」を三つ書き出し、それぞれ『何が起こりかけ、どんな帰結になりえたか』を書いてみることだ。最初の一歩は10分。無事だったからと流していた出来事を、あえて拾い直す。そのうえで、それを「これからも起こりうる筋書き」として、リスクの一覧に加える。完璧なリストを目指すのではなく、いちばん身近な警告から、生きた一覧を育てはじめる。そして、その一覧の隅に、「まだ見えていないリスクが必ずある」という一行を、忘れずに書き添えておく。この一行が、網羅したつもりの油断から、あなたを守ってくれる。リストの完成を待つのではなく、今日の一件から、育てはじめればいい。生きた一覧は、そうして少しずつ、あなたの会社に固有の、いちばん確かな備えになっていく。
- 青段(方針とリスク識別)2単位目。前の単位で攻めと守りの方針(何を守り何を取るか)を扱った続きで、その方針で守るべきリスクを実際に見つける=リスクアセスメント(リスクの洗い出しと評価)を扱う。俗説はリスクは洗い出せば網羅できる。だが最初の注意は、リスクの集合は原理的に閉じないこと。どれだけ丁寧に洗い出しても、これで全部だと言い切れる保証はない。世界は動き昨日なかったリスクが今日生まれる。洗い出しの目的は網羅でなく、漏れる前提で更新し続けること
- リスクとは何か。Kaplan & Garrick 1981 はリスクを三つの問いへの答えの集まりとして定義した——何が起こりうるか・どれくらいの確からしさで起きるか・起きたらどんな帰結になるか。この三つに答えた一つひとつの筋書き(シナリオ)の集まりがリスク。単なる危ないことのリストでなく起こりうる筋書きの集まりで、何が起こりうるかの問いに終わりはなく集合は原理的に完全にならない。洗い出しは集合を閉じる作業でなく、いま思いつく限りの筋書きを拾い上げる作業
- 洗い出しを難しくする人の心の癖——危うく事故になりかけたが無事に済んだ出来事(ヒヤリハット/near-miss)を軽く見てしまう。Tinsley, Dillon & Cronin 2012 は、ヒヤリハットが結果として無事だったゆえに、これからも大丈夫だろうとリスクの認知をかえって弱めることを示した。無事という結果が危険を覆い隠す。本来ヒヤリハットは被害が出る前に危険を教える貴重な警告なのに。※Dillon&Tinsley 2008とは別論文
- Phimister et al 2003 と Azadegan et al 2019 は、ヒヤリハットから学ぶには集めて振り返る仕組みとして制度化しなければ機能しないと示した。危なかったねで終わらせず記録し振り返る仕組みがなければ、いちばん役に立つ警告が静かに捨てられる。だからこの棚は具体的な不正の手口・統制の抜け道を書かず(防ぐ側の技術として)、実在企業の不祥事の当事者名断罪をしない。効果量は書かない
- 洗い出しの限界その一——リスクの見積りは結局人の判断に頼る。French 2012 はリスクの識別や評価が専門家の判断に依存しその判断は完全でないと論じた。どんな専門家も自分の経験や想像力の外のリスクは見落とすので、一人の目より立場の違う複数の目で見るほうが漏れは減る。※French 2012は547でも用いる(棚内2セル上限)。限界その二——予測が極端に難しいリスクがある
- 実務家 Taleb がブラックスワン(黒い白鳥)と呼んだ稀で事前にはほとんど想像もつかず起きれば影響の大きい事象は、性質上事前の洗い出しから漏れる。想定外だったのは事象でなく想定の狭さのせい。だから洗い出しの目的は未知をゼロにするのでなく、未知が残ると認めたうえで余白(備え)を用意しておくこと。確からしくなったのは、洗い出しは漏れる前提で更新し続ける営みという向き
- だからこの単位でやるのは、いきなり大きな一覧を作る前に、最近危なかったこと(ヒヤリハット)を三つ書き出し、それぞれ何が起こりかけどんな帰結になりえたかを書くこと。無事だからと流していた出来事をあえて拾い直し、起こりうる筋書きとして一覧に加える。完璧を目指さず身近な警告から生きた一覧を育てはじめ、一覧の隅にまだ見えていないリスクが必ずあるという一行を書き添える。この一行が網羅したつもりの油断から守る
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 時間をかけて丁寧にリスクを洗い出せば、会社の重要なリスクは網羅できる | リスクの集合は、原理的に閉じない。Kaplan & Garrick 1981 はリスクを『何が起こりうるか・どれくらいの確からしさで・どんな帰結か』に答えた筋書き(シナリオ)の集まりとして定義したが、『何が起こりうるか』の問いに終わりはなく、この集合は完全にならない。どれだけ丁寧に洗い出しても『これで全部だ』の保証はどこにもなく、世界は動き、昨日なかったリスクが今日生まれる。洗い出しのリストはある時点の写しにすぎず、その外側には、まだ見えていないリスクがいつも残っている。だから洗い出しの目的は『網羅』でなく、漏れることを前提に更新し続けることである |
| 危なかったが結果的に無事だったのだから、そのヒヤリハットは大したことではない | 危うく事故になりかけたが無事に済んだ出来事(ヒヤリハット)は、結果として『無事だった』がゆえに、『これからも大丈夫だろう』とかえってリスクの認知を弱めてしまう。Tinsley, Dillon & Cronin 2012 は、危険が確かに存在していても、無事という結果がその危険を覆い隠すことを示した。本来ヒヤリハットは、まだ被害が出ていないうちに危険を教えてくれる貴重な警告である。Phimister et al 2003 と Azadegan et al 2019 は、そこから学ぶには集めて振り返る『仕組み』として制度化しなければ機能しないことを示した。『危なかったね』で終わらせず記録し振り返る仕組みがなければ、いちばん役に立つ警告が静かに捨てられていく |
| リスクの洗い出しは、経験豊富な専門家に任せれば、抜けなく完璧にできる | リスクの見積りは結局、人の判断に頼る。French 2012 は、リスクの識別や評価が専門家の判断に依存し、その判断が完全ではないことを論じた。どんな専門家も、自分の経験や想像力の外にあるリスクは見落とすため、一人の目より立場の違う複数の目で見るほうが漏れは減る。さらに、実務家 Taleb が『ブラックスワン(黒い白鳥)』と呼んだ、稀で事前にはほとんど想像もつかない事象は、性質上、事前の洗い出しからは漏れる。想定外だったのは、事象のせいでなく想定の狭さのせいである。だから洗い出しの目的は、未知をゼロにするのでなく、未知が残ると認めたうえで余白(備え)を用意しておくことである。この棚は具体的な不正の手口・統制の抜け道を書かず、実在企業の不祥事を当事者名で断罪しない |
皮肉なのは、いちばん立派に見えるリスク一覧が、いちばん油断を生むことだ。ずらりと並んだリストを前にすると、私たちは『これで全部見た』と安心し、そこから更新の手を止めてしまう。だが、リストは作った瞬間から古びはじめ、その外側には、まだ見えていない筋書きが、いつも残っている。確からしいのは、リスクの集合は閉じず、ヒヤリハットは無事ゆえに見過ごされ、見積りは人の判断に頼り、未知は漏れる、ということだ。だから、目指すべきは、完璧な一枚を一度作ることではない。いちばん身近な警告——最近、危なかったこと——を拾い直し、それを生きた一覧として更新し続けることだ。そして、一覧の隅に、いつも一行、書き添えておく。『まだ見えていないリスクが必ずある』。この一行こそが、網羅したつもりの油断を、静かに戒めてくれる。次の単位は 547「リスクに優先順位をつけるには?」。洗い出したリスクを、次は、どう並べて手当てするか——その優先順位づけの道具を扱う。
Q1. リスクの集合は原理的に ____(閉じない)ため、洗い出しの目的は網羅ではなく、____ 前提で更新し続けることである。危うく事故になりかけたが無事に済んだ出来事を ____(near-miss)という。穴埋め
Q2. Kaplan & Garrick 1981 が示した『リスク』の定義はどれか。選択
Q3. 『ヒヤリハットは、無事ゆえに見過ごされる』とはどういうことか。Tinsley et al 2012 と、学習の仕組みに触れて述べよ。一問一答
Q4. 洗い出しの二つの限界を述べよ。French 2012 と Taleb の『ブラックスワン』に触れて説明せよ。一問一答
Q5. この単位が示したものを、年の早い順に並べよ。(ア)Tinsley らが無事ゆえに認知が弱まると示す(イ)Kaplan & Garrick がリスクをシナリオの集合と定義する(ウ)Azadegan らが学習は制度に依存すると示す(エ)Phimister らがヒヤリハット学習に管理の仕組みが要ると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の会社や仕事で、最近『危なかったが、無事に済んだ』出来事(ヒヤリハット)を三つ思い出して書き出す。うっかり請求書を間違えかけた、大事なデータを消しかけた、約束を忘れかけた——結果的に大丈夫だったから流していた出来事を、あえて拾い直す。それぞれについて、(1) 何が起こりかけたか、(2) もし無事でなかったらどんな帰結(被害・影響)になりえたか、(3) なぜ危なかったのか、を一言ずつ書く。そのうえで、それを『これからも起こりうる筋書き』として自分のリスクの一覧に加える。最後に、一覧の隅に『まだ見えていないリスクが必ずある』と一行書き添える。特定の人の責任を判定したり、通報者・当事者の個人情報を使ったりはしない。自分の会社のリスクメモとして完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Kaplan S., Garrick B.J. (1981) ‘On The Quantitative Definition of Risk’, Risk Analysis 1(1):11-27 — doi.org
- Tinsley C.H., Dillon R.L., Cronin M.A. (2012) ‘How Near-Miss Events Amplify or Attenuate Risky Decision Making’, Management Science 58(9):1596-1613 — doi.org
- Phimister J.R., Oktem U., Kleindorfer P.R., Kunreuther H. (2003) ‘Near-Miss Incident Management in the Chemical Process Industry’, Risk Analysis 23(3):445-459 — doi.org
- Azadegan A., et al. (2019) ‘Learning from near-miss events: An organizational learning perspective on supply chain disruption response’, International Journal of Production Economics 216:215-226 — doi.org
- French S. (2012) ‘Expert Judgment, Meta-analysis, and Participatory Risk Analysis’, Decision Analysis 9(2):119-127 — doi.org
- Taleb N.N. (2007) 『The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable』New York: Random House — openlibrary.org