「測れないものは管理できない」——だが数字は照らせる範囲しか照らさず、測りやすいものが大事なものにすり替わる
測れないものは管理できない、と教わる。皮肉なことに、数字を大切にせよと説くこの一言そのものが、いちばん大事なものを取りこぼす入口になる。この言葉はしばしばドラッカーのものとされるが、彼の著作には見当たらず、むしろ彼は数字で測れないものこそ大切だと書いていた——誤帰属の金言である。それでも疑われないまま、測れるものだけを見よと命じる。
前の単位では、データを使う文化——現場をどうデータ好きにするかを扱った。ここでは、この棚を締めくくる——測れないものと、どう向き合うか、を扱う。そして、これがこの棚の最後の単位である。
「測れないものは、管理できない」——これが、この単位が向き合う俗説であり、この棚を締める最後の問いである。まず、この棚が★529で置いた見方を、もう一度置く。★529で、この棚はこう言った——見るべき数字を決めることは、測らないものを決めることだ。 数字は、判断を照らす。だが、照らせる範囲しか照らさない。光の輪の中は明るいが、その外は暗いまま残る。何を測るかを決めるとは、どこを照らすかを決め、同時に、どこを暗がりに残すかを決めることだ。この最後の単位では、その暗がりと、どう向き合うかを考える。
「測れないものは管理できない」は、ドラッカーの言葉ではない
この「測れないものは管理できない(If you can't measure it, you can't manage it)」という言葉は、しばしば経営学者ピーター・ドラッカーのものとされる。だが★529でも触れたとおり、この言葉は彼の著作には見当たらず、むしろ彼は逆の趣旨——数字で測れないものこそ大切だ——を繰り返し書いていた、という考証がある。金言の出どころと実際の中身が食い違っている(確定的な典拠として断定はせず、「誤って帰属されている」という事実として扱う)。似た誤りに、マクナマラの誤謬(McNamara fallacy)がある——測れるものだけを見て、測れないものを軽んじ、やがて存在しないものとして扱ってしまう、という誤りだ。ベトナム戦争で戦況を死者数という測りやすい数字で測ろうとしたマクナマラ国防長官の名にちなむが、この言い回しの出どころにも諸説ある(こちらも考証・性格を明示して扱う)。ここに、この棚の通奏低音①が最後にもう一度現れる——もっともらしい言葉ほど、出どころと中身が食い違う。誤って帰属された金言が、疑われないまま判断を導いてしまう。 「測れないものは管理できない」が経営の鉄則のように独り歩きしているのは、その典型である。
代理の数字が、大事なものそのものにすり替わる
では、なぜ「測れるものだけを見る」ことが、これほど危ういのか。測りやすい数字は、たいてい、本当に大事なものの「代理」にすぎない。売上は商いの健やかさの代理、閲覧数は関心の代理、点数は学びの代理だ。ところが人は、いつのまにか、その代理を大事なものそのものと取り違える。これを surrogation(サロゲーション=代理指標へのすり替え)という。二〇一二年、Choi・Hecht・Tayler が *The Accounting Review* 87(4):1135-1163 で、報酬が業績指標に結びつくと、人が戦略そのものよりも指標を追いかけ、指標を戦略と取り違えることを実証した(このChoiは会計研究のWillie Choiで、別の棚で禁じた同姓の研究者とは別人である)。二〇一三年には、同じ Choi・Hecht・Tayler が *Journal of Accounting Research* 51(1):105-133 で、業績測定の仕組みそのものがこのすり替えを強めることを示した。数字は、嘘をついていない。売上も、閲覧数も、正確なままだ。だが、正確な代理指標を追ううちに、それが指すはずだった大事なもの——顧客の満足、長く続く信頼——が、いつのまにか視界から外れていく。 ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——測れる代理指標を大事なものそのものと取り違え、数字が正確なことに安心して、その数字が映していないものを忘れる。
指標は操作され、物語が歪みを減らす
すり替えは、さらに進むと、指標そのものの操作を生む。測られる数字が大事にされると、人は数字を良く見せるために振る舞いを変える——「測られるものが、大事にされるものになる」という、指標の逆機能だ(グッドハートの法則の名でも知られる)。一九九五年、Smith が *International Journal of Public Administration* 18(2-3):277-310 の「業績データの公表がもたらす意図せぬ結果(On the unintended consequences of publishing performance data)」で、公的部門で業績指標を公表すると、数字だけを良く見せるための歪んだ行動——ゲーミング——が生まれることを整理した。数字が独り歩きすると、人は大事なものでなく数字のほうに奉仕しはじめる。では、どうすればいいのか。二〇一九年、Bentley が *The Accounting Review* 94(3):27-55 で、数字だけでなくその背景をナラティブ(物語・言葉の説明)で添えると、代理指標へのすり替えや業務の歪みが減ることを実証した。数字に、言葉を添える。なぜこの数字を見るのか、この数字が映していない大事なものは何か——それを言葉にしておくと、数字の独り歩きはいくらか抑えられる。 数字は、言葉の支えなしには暴走する。
測れないものを、「無いこと」にしてはいけない
測れるものだけを追ううちに、私たちは、測れないものを、まるで存在しないかのように扱いはじめる。歴史家ジェームズ・マラーは、著書『測りすぎ(The Tyranny of Metrics)』(二〇一八年)で、あらゆるものを数字で測り、評価し、報いようとする現代の風潮——測定万能主義——が、かえって現場の質を損なうと論じた(これは思想を述べた書であって、効果を実証した研究ではない。ここでは由緒として引く)。測れるものは、たいてい、測れないものより浅い。顧客が本当に感じた安心、従業員が積み上げた信頼、まちでの評判——大事なものほど、数字にしにくい。だから「測れないものは管理できない」を真に受けると、私たちは、いちばん大事なものから順に、管理の外へ押し出してしまうことになる。測れないからといって、無いのではない。むしろ、測れないものの中にこそ、いちばん大事なものが多い。 だから、正しい構えはこうだ——測れるものは測る。だが、測れないものを「無いこと」にはしない。数字の光の輪の外に、いちばん大事なものが立っているかも、といつも疑っておく。
時間・変化:1995年から2019年へ
順に置く。一九九五年、Smith が、業績指標の公表が数字を良く見せるゲーミングを生むことを整理する。二〇一二年、Choi らが、報酬と結びついた指標が戦略そのものにすり替わること(surrogation)を実証する。二〇一三年、Choi らが、測定の仕組みそのものがそのすり替えを強めることを示す。二〇一八年、Muller が、測定万能主義がかえって現場の質を損なうと論じる。二〇一九年、Bentley が、ナラティブを添えると歪みが減ることを実証する。この四半世紀で確からしくなったのは、「測れないものは管理できない」ではない。確からしくなったのは、むしろ逆——測りやすいものは大事なものの代理にすぎず、代理は本物にすり替わり、指標は操作され、測れない大事なものが取りこぼされていく——という向きのほうだ。数字は、私たちを賢くもするが、油断すれば、正確なまま私たちを欺く。
この棚を締める——見るべき数字を決めることは、測らないものを決めること
ここで、この棚を締める。最後にたどり着いたのが「測れないもの」であることには意味がある。数字は、判断を照らす。だが、照らせる範囲しか照らさない。そして、測りやすいものが大事なものにすり替わるとき、数字は、嘘をつかないまま、判断を欺く。 これが、通奏低音②の回収である。どの数字も嘘をつかない。それでも、その正確な数字だけを見ているうちに、数字にならない大事なもの——顧客の本当の満足、従業員の静かな信頼——を取りこぼしていく。数字が正確であることと、正しいものを見ていることは、別なのだ。
そして、ここで①と②が一つに合わさる。①はもっともらしい言葉ほど出どころと中身が食い違うという誤帰属の話、②は数字は照らせる範囲しか照らさないという測定の限界の話だった。この二つは、「測れないものは管理できない」という、ドラッカーに誤って帰された一言の中でぴったり出会う。出どころの怪しい金言が(①)、測れるものだけを見よと命じ、測れない大事なものを暗がりに押しやる(②)。 誤帰属と測定の限界は、地続きだったのだ。
だから、この棚の出口は入口に戻る。この棚は★529から始まった——見るべき数字を決めることは、測らないものを決めることだ。 何を測るかを選ぶとき、私たちは同時に、何を測らないかを——どこを暗がりに残すかを——選んでいる。だとすれば、いちばん大切な問いは「どの数字を追うか」ではなく、「その数字を追うことで、自分は何を見なくなるのか」である。★が棚の入口にあるのは飾りではない。すべての測定が、その問いから始まるからだ。数字を捨てよ、という話ではない。数字は羅針盤として要る。だが、羅針盤ばかり見て海を見ない船は、いつか座礁する。
この棚は、完璧な数字も、すべてを測る魔法も、一つも教えなかった。渡したのは、二つの問いだけだ——その数字は、本当は何の「代理」なのか。そして、その代理を追うことで、あなたは、どんな大事なものを見なくなっているのか。 この二つを手元に置けるなら、あなたは、数字に照らされながらも、数字に欺かれない。それが、この棚が——そして★529が——最後に手渡したい構えである。
- この棚の締めの単位。俗説「測れないものは管理できない」はしばしばドラッカーのものとされるが、彼の著作には見当たらず、むしろ彼は数字で測れないものこそ大切だと書いていたという考証がある。金言の出どころと中身が食い違う誤帰属である(確定典拠として断定しない)。似た誤りにマクナマラの誤謬がある(考証・性格明示)。もっともらしい金言が疑われないまま判断を導く(通奏低音①)
- 証拠の読み違え方は、測れる代理指標を大事なものそのものと取り違え、数字が正確であることに安心して、その数字が映していないものを忘れること。★529で置いた見方——見るべき数字を決めることは測らないものを決めること——を、この最後の単位で回収する。数字は判断を照らすが照らせる範囲しか照らさない。数字で人を管理・監視する単位ではなく、測れない大事なものを取りこぼさない構えを渡す
- 測りやすい数字はたいてい大事なものの代理にすぎず、人は代理を大事なものそのものと取り違える(surrogation=代理指標へのすり替え)。Choi・Hecht・Tayler 2012(The Accounting Review 87(4):1135-1163)は報酬が指標に結びつくと人が戦略より指標を追い取り違えると実証し、2013(Journal of Accounting Research 51(1):105-133)は測定の仕組み自体がそれを強めると示した。このChoiは会計研究のWillie Choiで、別棚で禁じた同姓の別研究者とは別人
- 数字は正確なままだが、正確な代理を追ううちに、それが指すはずの大事なもの(顧客の満足・長い信頼)が視界から外れる。すり替えは進むと指標そのものの操作を生む。測られる数字が大事にされると人は数字を良く見せるため振る舞いを変える(指標の逆機能・グッドハートの法則の名でも知られる)。数字が正確なことと、正しいものを見ていることは別である
- Smith 1995(International Journal of Public Administration 18(2-3):277-310・業績データ公表の意図せぬ結果)は、公的部門で業績指標を公表すると数字を良く見せる歪んだ行動(ゲーミング)が生まれると整理した。Bentley 2019(The Accounting Review 94(3):27-55)は数字にナラティブ(言葉の説明)を添えると代理指標へのすり替えや歪みが減ると実証した。なぜこの数字か・映していない大事なものは何かを言葉で添えると、数字の独り歩きは抑えられる
- Muller 2018(『測りすぎ The Tyranny of Metrics』・書籍・Open Library到達確認・思想の書で効果の実証ではない)は、測定万能主義がかえって現場の質を損なうと論じた。測れるものは測れないものより浅く、大事なものほど数字にしにくい。測れないからといって無いのではなく、測れないものの中にこそいちばん大事なものが多い。測れるものは測るが、測れないものを無いことにはしない
- 通奏低音②の回収(棚締め)——数字は照らせる範囲しか照らさず、測りやすいものが大事なものにすり替わるとき、数字は嘘をつかないまま判断を欺く。ここで①(誤帰属)と②(測定の限界)が合流する——出どころの怪しい金言が測れるものだけを見よと命じ、測れない大事なものを暗がりに押しやる。この棚は★529から始まり基盤・読む・使う・統治とたどって測定の限界へ帰る円環。★529(見るべき数字を決めることは測らないものを決めること)へ戻り、最終棚F17へ渡して棚を閉じる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 「測れないものは管理できない」はドラッカーの残した経営の鉄則で、数字にできないものは管理の対象にならない | この言葉はドラッカーの著作には見当たらず、むしろ彼は数字で測れないものこそ大切だと繰り返し書いていたという考証がある。金言の出どころと中身が食い違う誤帰属である(確定典拠として断定はしない)。似た誤りにマクナマラの誤謬があり、測れるものだけを見て測れないものを軽んじ、やがて存在しないものとして扱う。もっともらしい言葉ほど出どころと中身が食い違い、誤って帰属された金言が疑われないまま判断を導く(通奏低音①) |
| 売上や閲覧数のような数字は正確なのだから、それを追いかけていれば大事なものを管理できている | 測りやすい数字はたいてい本当に大事なものの代理にすぎず、人はいつのまにか代理の数字を大事なものそのものと取り違える(surrogation)。Choi・Hecht・Tayler 2012は報酬が指標に結びつくと人が戦略より指標を追い取り違えると実証し、2013は測定の仕組み自体がすり替えを強めると示した。数字は正確なままだが、正確な代理を追ううちに指すはずの大事なものが視界から外れる |
| 測定万能主義で、あらゆるものを数字で測り評価し報いれば、現場はより良くなる | Smith 1995は業績指標の公表が数字だけを良く見せるゲーミングを生むと整理し、Bentley 2019は数字にナラティブを添えると代理指標へのすり替えや歪みが減ると実証した。Muller 2018(書籍・由緒)は測定万能主義がかえって現場の質を損なうと論じた。測れるものは測れないものより浅く、大事なものほど数字にしにくい。測れないからといって無いのではなく、測れないものの中にこそいちばん大事なものが多い |
皮肉なのは、数字を大切にせよと説くこの一言そのものが、いちばん大事なものを取りこぼす入口になる、ということだ。「測れないものは管理できない」はしばしばドラッカーのものとされるが、彼の著作には見当たらず、むしろ彼は数字で測れないものこそ大切だと書いていた——出どころと中身が食い違う誤帰属の金言である。それでも疑われないまま、測れるものだけを見よと命じる。すると、測りやすい数字が大事なものの代理にすぎないのに、いつのまにか大事なものそのものにすり替わる。売上も閲覧数も嘘をつかないが、その正確な数字を追ううちに、数字にならない大事なものが視界から外れる。数字が正確であることと、正しいものを見ていることは別なのだ。だから、この棚が最後に手渡すのは二つの問いだ——その数字は本当は何の代理なのか。その代理を追うことで、どんな大事なものを見なくなっているのか。見るべき数字を決めることは、測らないものを決めること。数字に照らされながら数字に欺かれないための、いちばんの勘どころである。
Q1. 「測れないものは管理できない」という金言の落とし穴を、その出どころ(ドラッカーへの誤帰属)と、この棚の通奏低音①に触れて説明せよ。一問一答
Q2. Choi・Hecht・Tayler 2012・2013 が示した surrogation(サロゲーション)の核心として、もっとも正しいものはどれか。選択
Q3. Smith 1995 は、業績指標の公表が数字だけを良く見せる ____ (歪んだ行動)を生むと整理した。Bentley 2019 は、数字に ____ (物語・言葉の説明)を添えると、代理指標への ____ や業務の歪みが減ると実証した。Muller 2018 は、____ 万能主義が現場の質を損なうと論じた。穴埋め
Q4. この棚が最後に★529へ帰ることの意味を、通奏低音②と、①誤帰属と②測定の限界が合流する円環に触れて説明せよ。一問一答
Q5. この単位が扱った出典を年の早い順に並べよ。(ア)Choi らが surrogation を実証(イ)Smith が業績指標公表のゲーミングを整理(ウ)Bentley がナラティブで歪みが減ると実証(エ)Muller が測定万能主義を論じる並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の商いで、いま追いかけている数字を一つ選ぶ——売上、来店数、フォロワー数など。三つを書く。(1)その数字は本当は何の「代理」か(例:フォロワー数は、お客さんとのつながりの代理)。(2)その代理を追うことで見えにくい大事なものは何か。(3)その大事なものを取りこぼさないために、数字に添えられる「言葉」を一つ書く(なぜこの数字か/この数字が映していないもの)。「どの数字を追うか」で終わらせず、「その数字を追うことで何を見なくなるのか」まで書いて、はじめて数字に欺かれない構えができる。数字で人を管理・監視するためではない。点検するのは、自分が追っている数字と、その影に隠れた大事なものだけである。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Choi J.(Willie), Hecht G.W., Tayler W.B. (2012) ‘Lost in Translation: The Effects of Incentive Compensation on Strategy Surrogation’, The Accounting Review 87(4):1135-1163 — doi.org
- Choi J.(Willie), Hecht G.W., Tayler W.B. (2013) ‘Strategy Selection, Surrogation, and Strategic Performance Measurement Systems’, Journal of Accounting Research 51(1):105-133 — doi.org
- Bentley J.W. (2019) ‘Decreasing Operational Distortion and Surrogation Through Narrative Reporting’, The Accounting Review 94(3):27-55 — doi.org
- Smith P. (1995) ‘On the unintended consequences of publishing performance data in the public sector’, International Journal of Public Administration 18(2-3):277-310 — doi.org
- Muller J.Z. (2018) 『The Tyranny of Metrics(測りすぎ)』, Princeton University Press(書籍・由緒) — openlibrary.org
- McNamara fallacy/「測れないものは管理できない」のドラッカー誤帰属に関する考証(性格明示・非典拠、2026年8月参照) — en.wikipedia.org