「場数を踏めば上手くなる」——だが経験は非線形で、場数は「上手くなった気」を強める。効くのは検死(記録とレビュー)
場数を踏めば上手くなる、と教わる。皮肉なことに、いちばん危ないのは、場数を踏んで自分はもう分かっていると感じている人だ。経験は自信を育てるが、その自信が実際の成果と裏づけられているとは限らない。むしろ、めったに起きず運も絡み結果が出るのに時間がかかるM&Aのような決定では、経験は錯覚のほうを強く育てる。だから、場数を誇る人ほど、静かに高値掴みを繰り返す。これを抜け出す道は、一つしかない。
前の単位で、秘密は契約でなく人を伝って漏れる——だから触れる人の輪を小さく保て、ということが手に入った。この棚の最後に、それらすべてを束ねる問いを置く。M&Aを、一回きりの出来事で終わらせず、次に活かす——「学習資産」に変えるには、どうすればいいのか。
「場数を踏めば、上手くなる」——これが、棚の締めで向き合う最後の俗説だ。何度も買収を経験すれば、自然と目が肥え、失敗しなくなる、という発想である。たしかに、経験は無駄ではない。だが、この棚をここまで歩いてきた目には、その危うさが見えるはずだ。ここで言うのは三つ。経験それ自体は成果を約束しないこと。むしろ場数は「上手くなった気」を強めること。そして、本当に効くのは、経験そのものではなく、経験を書き残して見直す「検死」だということである。「経験するな」ではない。「経験を、検死せよ」だ。検死という言葉は物騒だが、意味は単純である。うまくいかなかったこと(そしてうまくいったこと)を、あとから冷静に開いて、なぜそうなったのかを確かめる。それだけだ。買った会社、始めた事業、手放した資産——一つひとつの決断を、感情が冷めたあとに、記録を見ながら振り返る。この地味な作業が、場数よりもずっと、次の判断を確かにする。
経験は、成果を約束しない
まず、素朴な前提から崩す。買収の回数を重ねれば成果が上がる——それは、思うほど単純ではない。一九九九年、Haleblian と Finkelstein が *Administrative Science Quarterly* 誌 44(1):29-56 で、企業の買収経験と買収後の成果の関係を調べ、それがまっすぐな右肩上がりではなく、非線形(U字に近い形)であることを示した。経験の浅いうちは、むしろ、過去のやり方を似ていない案件にまで当てはめてしまい、成果を下げることがある。二〇〇二年、Hayward が *Strategic Management Journal* 誌 23(1):21-39 で、企業が自分の買収経験から学べるのは特定の条件のとき——過去と今回の案件が似すぎず違いすぎず、小さな失敗を経ていて、時間が空きすぎていないとき——に限られることを示した(このHaywardの買収学習の研究は、別の著者による評判の研究とは別の作品である)。ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——回数さえこなせば自然に上手くなると思い込み、経験が条件しだいで害にもなることを見落とす。 中小の事業承継や、小さな事業の買収でも、これは同じだ。「前にも一度やったから」という一言が、前とはまるで違う相手・違う状況に、前のやり方をそのまま当てはめさせる。一度の成功は、次の油断の種にもなる。経験は、正しく扱えば財産だが、素朴に頼れば、かえって足をすくう。だからこそ、回数を誇る前に、その一回ごとから何を持ち帰ったかを問うべきなのだ。
場数は、「上手くなった気」を強める
さらに厄介な事実がある。場数を踏むと、実力より先に「自信」が育つのだ。二〇〇九年、Zollo が *Organization Science* 誌 20(5):894-908 で、企業の買収のようなめったに起きない大きな決定からの学習を調べ、「迷信的な学習(superstitious learning)」という現象を示した。過去の買収を「成功だった」と認知することが、実際の成果とは負に相関し、しかも経験を積むほど、その「上手くなった気」と実際の成果のずれが、縮むどころか広がっていく。なぜか。買収のような出来事は、めったに起きず、結果が出るまで時間がかかり、運の要素も大きい。だから、何が本当に効いたのかを、経験から正しく学ぶのが難しい。にもかかわらず、回数だけは記憶に残る。「これで何件目だ」という自負が、根拠のない熟練の感覚を育てる。しかも、成功した記憶ほど、鮮やかに残りやすい。うまくいったのは自分の腕のおかげ、うまくいかなかったのは運が悪かっただけ——人はそう記憶を整えてしまう。だから、場数を重ねるほど、自分の成功物語だけが積み上がり、そこから引き出す「教訓」は、実は最初から歪んでいる。場数は、実力ではなく、錯覚を強める。 これが、この棚の締めの核心だ。恐ろしいのは、この錯覚が、自信という心地よい形でやってくることである。
効くのは、経験そのものではなく「検死」
では、何が効くのか。経験を、ただ積むのではなく、言葉にして書き残し、見直すことだ。二〇〇四年、Zollo と Singh が *Strategic Management Journal* 誌 25(13):1233-1256 で、米国の銀行合併を調べ、成果を上げたのは買収の回数(経験)そのものではなく、知識を意図的に言語化・コード化する「意図的な学習(deliberate learning)」のほうだったことを示した(このZollo・Singhの研究は、別の共著者を含む提携ルーティンの研究とは別の作品である)。二〇一二年、Heimeriks・Schijven・Gates が *Academy of Management Journal* 誌 55(3):703-726 で、統合の場面で、この意図的な学習が具体的にどう働くか——手順を言葉にし、振り返りの仕組みを持つこと——を示した。二〇〇八年、Barkema と Schijven が *Journal of Management* 誌 34(3):594-634 で、M&Aの学習研究を総括し、回数よりも意図的な学習が効くという向きを確かめた。つまり、上手さを生むのは「何度やったか」ではなく、「一度ごとに、何を学び、書き残したか」なのだ。これが、検死である。なぜ書き残すことが、それほど効くのか。頭の中の記憶は、時間とともに都合よく作り変えられていく。だが、その場で書いた言葉は書き換わらない。数年後にその紙を開けば、当時の自分が何を見込み、何を見落としていたかが、生々しく残っている。見込みと現実のずれを、ごまかしようのない形で突きつけてくれる——それが書き残しの力だ。しかも、検死は一人でもできる。専門家のチームも大がかりな分析もいらない。要るのは、決めた理由を書く一枚の紙と、あとでそれを開く正直さだけである。
時間・変化:1999年から2012年へ
順に置く。一九九九年、Haleblian と Finkelstein が、買収経験と成果は非線形(素朴な経験はむしろ害になりうる)だと示す。二〇〇二年、Hayward が、経験から学べるのは特定の条件のときだけだと示す。二〇〇四年、Zollo と Singh が、効くのは回数でなく知識の言語化(意図的学習)だと示す。二〇〇八年、Barkema と Schijven が、M&A学習研究を総括し、経験より意図的学習だと確かめる。二〇〇九年、Zollo が、場数が「上手くなった気」と実成果のずれを広げる(迷信的学習)ことを示す。二〇一二年、Heimeriks らが、意図的学習が統合の場でどう働くかを示す。この十数年で確からしくなったのは、「場数を踏めば上手くなる」ではない。確からしくなったのは、経験は非線形で、場数は錯覚を強め、効くのは検死(記録とレビュー)だ、という向きのほうだ。
この棚を締める——M&Aの上手さは、場数でなく検死の習慣から
ここで、この棚全体を締めよう。戦略と探索、契約の設計、統合の実行、そして出口と学習まで、M&Aの道のりを歩いてきた。最後に残るのは、一つの見方だ。M&Aの上手さは、場数ではなく、検死の習慣から来る。 何度買ったかではなく、一度ごとに、なぜ買ったのか・何を見込んだのかを書き残し、あとでその結果と突き合わせた者だけが、次で高値掴みを避けられる。書き残していなければ、検死はできない。記憶は、都合よく書き換わる。「あれは、しかたなかった」「相場が悪かっただけだ」——場数だけを重ねた人は、こうやって自分を慰め、同じ失敗を繰り返す。だからこそ、この棚の出発点(★497)に戻る——買う理由を、買う前に、言葉にして書き残しておく。 その書き残した理由こそが、あとで検死するときの材料になる。★497で「買う理由の明文化がすべての起点だ」と言ったのは、それが最後に、学習の材料として効いてくるからだ。棚は、こうして始点に帰る。買う理由を書く人だけが、売った後に、正しく悔い、正しく学べる。悔いることは、負けではない。次に活かせる悔いだけが、資産になる。そして、その資産を残せるかどうかは、才能でも運でもない。買う前に一枚の紙に理由を書くという、誰にでもできる一手にかかっている。M&Aの十六の単位を通じて言えることは、たった三つだった。買う理由を明文化すること。数字や技を過信しないこと。そして、一度ごとの決断を検死して、次に渡すこと。この三つは、規模の大小を問わず、買う人にも売る人にも、等しく効く。回数は、あとからは増やせない。だが、検死は、今日この瞬間からでも始められる。
最初の一歩は10分。自分の過去の大きな決断——買った、始めた、あるいはやめた——を一つ選ぶ。事業でも、店でも、大きな買い物でもいい。それについて、(1)そのとき、なぜそうしたのか、当時の「理由」を、思い出せるかぎり正直に書く、(2)実際に、その後どうなったか(結果)を書く、(3)理由と結果を並べて、当時の見込みのどこが当たり、どこが外れたか、次に同じ判断をするなら何を変えるかを書く。これが検死だ。うまくいったかどうかを裁くためではない。次の自分に、材料を残すためである。書き残していない決断は、学べない決断だ。
- 桃の段の締めであり棚全体の締め。場数を踏めば上手くなるという最後の俗説に向き合う。Haleblian・Finkelstein 1999(Administrative Science Quarterly 44(1):29-56)は、買収経験と成果の関係が右肩上がりでなく非線形(U字に近い)で、浅いうちは過去のやり方を似ていない案件に当てはめ成果を下げうると示した。Hayward 2002(Strategic Management Journal 23(1):21-39)は、経験から学べるのは特定の条件のときだけだと示した(別著者の評判研究とは別作品)
- 証拠の読み違え方は、回数さえこなせば自然に上手くなると思い込み、経験が条件しだいで害にもなることを見落とすこと。中心命題は、経験それ自体は成果を約束せず、場数はむしろ上手くなった気を強め、効くのは経験を書き残して見直す検死だということ。経験するなではなく、経験を検死せよ。King et al 2004(買収後業績メタ)は★497の持ち場のため512では用いず、512は経験効果・学習の実証に限定
- Zollo 2009(Organization Science 20(5):894-908)は、めったに起きない大きな決定からの学習を調べ、迷信的な学習(superstitious learning)を示した。過去の買収を成功だったと認知することが実際の成果と負に相関し、経験を積むほど上手くなった気と実成果のずれが広がる。買収は稀で結果が出るのに時間がかかり運も大きいため何が効いたか学びにくいが回数だけは記憶に残る。場数は実力ではなく錯覚を強める。これが棚の締めの核心
- Zollo・Singh 2004(Strategic Management Journal 25(13):1233-1256)は米国の銀行合併で、成果を上げたのが買収の回数でなく知識を意図的に言語化・コード化する意図的な学習(deliberate learning)だと示した(別共著者を含む提携ルーティンの研究とは別作品)。Heimeriks ら2012(Academy of Management Journal 55(3):703-726)は統合の場でそれがどう働くかを、Barkema・Schijven 2008(Journal of Management 34(3):594-634)はM&A学習研究を総括し回数より意図的学習が効くと確かめた。上手さは一度ごとに何を書き残したかで決まる(検死)
- 確からしくなったのは、場数を踏めば上手くなる、ではない。経験は非線形で、場数は錯覚を強め、効くのは検死(記録とレビュー)だ、という向き。実証は大企業・上場(銀行合併等)標本のため、中小・事業承継には回数でなく買った理由と結果を書き残して見直すという一般則として読み替える。実在のディールを当事者名で優劣評価せず、これをやれば高く売れる/安く買えるの棚にしない
- 棚の締めの見方(通奏低音②の回収)。M&Aの上手さは場数ではなく検死の習慣から来る。何度買ったかでなく、なぜ買ったのか何を見込んだのかを書き残し、あとで結果と突き合わせた者だけが次で高値掴みを避けられる。書き残していなければ検死はできず、記憶は書き換わり、失敗は不運のせいになる。場数だけを重ねた人はこうして同じ失敗を繰り返す
- だからこの棚の出発点(★497)に帰る。買う理由を買う前に言葉にして書き残しておく。その書き残した理由こそが、あとで検死するときの材料になる。★497で買う理由の明文化がすべての起点だと言ったのは、それが最後に学習の材料として効いてくるから。棚全体(戦略→契約→統合→出口→学習)がファネルとして始点に戻る。買う理由を書く人だけが、売った後に正しく悔い、正しく学べる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 買収を何度も経験すれば、自然と目が肥えて、失敗しなくなる | Haleblian・Finkelstein 1999は、買収経験と成果の関係が右肩上がりでなく非線形(U字に近い)で、浅いうちは過去のやり方を似ていない案件に当てはめ成果を下げうると示した。Hayward 2002は、経験から学べるのは過去と今回が似すぎず違いすぎず小さな失敗を経て時間が空きすぎていない特定の条件のときだけだと示した。回数さえこなせば自然に上手くなると思い込み、経験が条件しだいで害にもなることを見落としてはならない |
| 何件も手がけて場数を踏んだ人は、それだけ買収が上手くなっているはずだ | Zollo 2009は、めったに起きない大きな決定からの学習を調べ、迷信的な学習(superstitious learning)を示した。過去の買収を成功だったと認知することが実際の成果と負に相関し、経験を積むほどその上手くなった気と実成果のずれが広がる。買収は稀で時間がかかり運も大きいため何が効いたか学びにくいが、回数だけは記憶に残る。場数は実力ではなく錯覚を強める |
| 学びは経験の中に自然にたまるので、わざわざ書き残さなくても身につく | Zollo・Singh 2004は米国の銀行合併で、成果を上げたのは買収の回数でなく、知識を意図的に言語化・コード化する意図的な学習(deliberate learning)だと示した。Heimeriks ら2012は統合の場でそれがどう働くか(手順を言葉にし振り返りの仕組みを持つこと)を、Barkema・Schijven 2008はM&A学習研究を総括し回数より意図的学習が効くと確かめた。上手さは一度ごとに何を書き残したかで決まり、書き残していない決断は学べない決断である |
皮肉なのは、いちばん危ないのが、場数を踏んで「自分はもう分かっている」と感じている人だということだ。経験は、自信を育てる。だが、その自信が、実際の成果と裏づけられているとは限らない。むしろ、めったに起きず運も絡むM&Aのような決定では、経験は錯覚のほうを強く育てる。だから、場数を誇る人ほど、静かに高値掴みを繰り返す。抜け出す道は一つ。買うときに、なぜ買うのかを書き残し、数年後にその紙を引っぱり出して、見込みと結果を突き合わせること。これが検死だ。書き残した理由がなければ、記憶は都合よく書き換わり、失敗はいつのまにか不運のせいになる。上手さは回数でなく、一度ごとの決断を正直に検死する習慣から生まれる。この棚で言いたかったことは、結局これに尽きる——買う理由を書け。それが、次のあなたを高値掴みから救う。
Q1. 「買収を何度も経験すれば自然と上手くなる」という見方の落とし穴を、Haleblian・Finkelstein 1999 と Hayward 2002 に触れて説明せよ。一問一答
Q2. Zollo 2009 の「迷信的な学習(superstitious learning)」が示すこととして、正しいものはどれか。選択
Q3. Zollo・Singh 2004 は、成果を上げたのが買収の ____ そのものではなく、知識を意図的に ____ ・コード化する ____ な学習(deliberate learning)だと示した。上手さは、何度やったかでなく、一度ごとに何を学び ____ かで決まる。穴埋め
Q4. この棚の締めの見方「M&Aの上手さは、場数でなく検死の習慣から来る」を説明し、棚の出発点★497とのつながりを述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Zollo が迷信的な学習を示す(イ)Haleblian・Finkelstein が経験と成果は非線形だと示す(ウ)Heimeriks らが意図的学習が統合の場でどう働くかを示す(エ)Zollo・Singh が効くのは回数でなく意図的学習だと示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の過去の大きな決断——買った、始めた、あるいはやめた——を一つ選ぶ。事業でも、店でも、大きな買い物でもよい。それについて三つを書く。(1)そのとき、なぜそうしたのか、当時の「理由」を、思い出せるかぎり正直に書く(何を見込み、何を前提にしていたか)。(2)実際に、その後どうなったか(結果)を書く。(3)理由と結果を並べて、当時の見込みのどこが当たり、どこが外れたか、次に同じ判断をするなら何を変えるかを書く。これが検死である。うまくいったかを裁くためではなく、次の自分に材料を残すため。実際の売買判断を課題にせず、過去の決断の検死で完結させる。書き残していない決断は、学べない決断である。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Haleblian J., Finkelstein S. (1999) ‘The Influence of Organizational Acquisition Experience on Acquisition Performance: A Behavioral Learning Perspective’, Administrative Science Quarterly 44(1):29-56 — doi.org
- Zollo M. (2009) ‘Superstitious Learning with Rare Strategic Decisions: Theory and Evidence from Corporate Acquisitions’, Organization Science 20(5):894-908 — doi.org
- Zollo M., Singh H. (2004) ‘Deliberate learning in corporate acquisitions: post-acquisition strategies and integration capability in U.S. bank mergers’, Strategic Management Journal 25(13):1233-1256 — doi.org
- Heimeriks K.H., Schijven M., Gates S. (2012) ‘Manifestations of Higher-Order Routines: The Underlying Mechanisms of Deliberate Learning in the Context of Postacquisition Integration’, Academy of Management Journal 55(3):703-726 — doi.org
- Hayward M.L.A. (2002) ‘When do firms learn from their acquisition experience? Evidence from 1990 to 1995’, Strategic Management Journal 23(1):21-39 — doi.org
- Barkema H.G., Schijven M. (2008) ‘How Do Firms Learn to Make Acquisitions? A Review of Past Research and an Agenda for the Future’, Journal of Management 34(3):594-634 — doi.org