「謝れば鎮まる」——だが謝罪は特効薬でなく、責任の帰属に整合したときに効く
困ったらまず謝れ、深く頭を下げれば伝わる、と語られる。方向は大切だ——責任があるなら率直に詫びるのは被害を受けた人への礼儀である。だが謝罪は、それだけで場を鎮める特効薬ではない。危機の謝罪は同情表明や補償と比べて飛び抜けて効くとは限らず、効くのは責任の帰属に整合したときだ。責任のない危機で過剰に謝れば非を認めたと誤解され、責任が重いのに形だけ謝れば反省がないと見なされる。謝罪は数ある対応の一つで、平時の履歴と結びついて初めて働く。
前の単位から——見立てのうえに、謝罪を置く
前の単位で、危機の種類と責任の帰属を見立て、守る順番——被害を受けた人が先、体裁は後——を定めた。ここでは、その見立てをもとに、謝罪という、最も誤解されやすい一手を扱う。
謝罪は、危機対応の代名詞のように語られる。困ったらまず謝れ、深く頭を下げれば気持ちは伝わる、と。方向としては大切だ——責任があるなら、率直に認めて詫びることは、被害を受けた人への最低限の礼儀である。 だが、この単位が最初に置く見方はこうだ。謝罪は、それだけで場を鎮める特効薬ではない。 そして、責任の見立てを飛ばして「とにかく謝る」と、かえって事態をこじらせることがある。謝罪とは、非を認めて詫びること。研究では陳謝(モーティフィケーション、自らの非を認める対応)とも呼ばれる。断っておくと、この単位は謝るなと言っているのではない。むしろ逆で、被害を受けた人には、心からの詫びが要る。値切るのは『謝りさえすれば、あとは自然に収まる』という期待のほうだ。謝罪は、正しく置けば効く。だが、置き場所を間違えると、同じ言葉が逆に働く。その置き場所を、これから順に見ていく。
「謝れば鎮まる」——だが謝罪は特効薬ではない
「謝れば鎮まる」という考えを、一つの実証がまっすぐ揺さぶる。Coombs と Holladay が2008年に、危機のときの謝罪を、同情の表明や補償の申し出といった、ほかの対応と比べてその効果を調べた。予想に反して見えてきたのは、謝罪が、これらの代わりの対応より、はっきり優れているとは限らないということだった。深く謝ったからといって、同じ状況で「お気の毒に」と共感を示す、あるいは「埋め合わせをします」と補償を約束するのと比べて、評判の回復に飛び抜けて効く、とは言えなかったのだ。
これは、謝罪が無意味だという話ではない。検証されていないことを、間違っていることとすり替えない。 ただ、「謝りさえすれば、それだけで鎮まる」という特効性は、実証には支えられていない。謝罪は、数ある対応の一つであって、万能の切り札ではない。だから問いは、「深く謝ったか」ではなく、「この危機に、謝罪という対応は、そもそも合っているのか」に移る。合っていない場面で謝れば、努力の割に効かないばかりか、逆効果にもなりうる。なぜ、これほど広く信じられている『謝れば鎮まる』が、実証では特効薬でないのか。おそらく、謝罪という行為が目に見えて劇的だからだ。深く頭を下げる姿は記憶に残る。だが、記憶に残ることと、評判を回復させることは、別のものだ。派手な一手ほど、効いた気になりやすい。
効くのは、責任の帰属に整合した謝罪
では、謝罪が効くのはどんなときか。前の単位で見たSCCT(状況即応型危機コミュニケーション)が、その答えの芯を持っている。Coombs が2007年に体系化したこの理論は、対応は、世間が見る責任の帰属に「整合」していなければならないと説く。謝罪という対応は、自社に責任があると明確に見られる危機——防げたはずの過失や、意図的な問題——のときに、はじめてしっくり合う。
逆に、自社にほとんど責任のない被害者型の危機——たとえば、こちらも被害者である事件や、外部からの理不尽な攻撃——で深々と謝ると、どうなるか。世間は「わざわざ謝るということは、やはり非があったのか」と受け取りかねない。責任以上に詫びる「過剰謝罪」は、認めなくてよい非を、自ら認めてしまう。 逆に、責任が重いのに形だけの浅い謝罪でやり過ごせば、「反省がない」と見なされる。つまり、良い謝罪とは、深さや丁寧さの競争ではなく、責任の実際の重さに、詫びの重さを合わせることなのだ。前の単位の見立てが、ここで効いてくる。この『整合』は、謝罪を機械的な公式にはしない。同じ危機でも、自社の責任がどこまでかは状況で変わる。まず責任の実際を冷静に見積もり、そのうえで詫びの重さを決める、という順序が要る。逆に、まず謝ってから責任を考えると、たいてい過剰か過少のどちらかに振れる。
謝罪は一つの選択肢——イメージ回復には複数の型がある
謝罪を「唯一の正解」と思い込むと、視野が狭くなる。危機のあと傷ついた評判をどう立て直すかを体系化したイメージ回復理論(Benoit が1995年に著書で示した枠組み)は、対応にはいくつもの型があることを教える。非を認めて詫びる陳謝はその一つだが、ほかにも、起きたことの経緯や事情を誠実に説明する、被害を正す具体的な行動をとる、再発を防ぐ手立てを示す——といった型がある。どれが効くかは、危機の性質によって変わる。
Blaney・Benoit・Brazeal が2002年に、ある企業がイメージ回復に取り組んだ事例を分析し、複数の型をどう組み合わせたかが結果を左右したことを示している。大事なのは、謝罪を、ほかの対応と切り離された「儀式」として単独で差し出すのではなく、説明・是正・再発防止と組み合わせて、被害を受けた人にとって意味のある一連の対応にすることだ。頭を下げる角度より、そのあと何をするかのほうを、人は見ている。誤解を避けたいのは、これは『言葉より行動』という単純な話ではないことだ。言葉も要る。ただ、言葉だけを磨いて行動が伴わなければ、その言葉はやがて空々しく響く。逆に、行動が伴えば、たとえ言葉が不器用でも、誠意は伝わることがある。謝罪の言葉は、続く行動への約束として置かれたとき、いちばん重くなる。
対応・危機の種類・平時の履歴が、絡み合って信頼を決める
さらに、謝罪の効き目は、単独では決まらない。Hegner・Beldad・Kamphuis van Heugten が2016年に、危機対応の戦略・危機の種類・そして平時のCSR(社会的な責任を果たしてきた履歴)が、絡み合って、危機のあとの信頼と購入の意向を決めることを示した。同じ謝罪でも、ふだんから誠実に振る舞ってきた相手が言うのと、そうでない相手が言うのとでは、受け取られ方が違う。謝罪の言葉は、平時の行動という土台の上に立って初めて、重みを持つ。
対応の形も、言葉だけとは限らない。Clementson が2020年に、出来事を物語として誠実に語る説明が、有効な危機対応になりうることを示している。数式のような定型文を読み上げるより、何が起き、なぜ起き、これからどうするのかを、筋の通った言葉で語るほうが、責任の帰属の受け止めや評判に効く場面がある。ここでも芯は同じ——謝罪は、単独の魔法ではなく、平時の履歴・危機の種類・そのあとの行動と結びついて、はじめて働く。 この見方は、平時の広報の意味を静かに書き換える。危機のときに慌てて評判を作ろうとしても、土台がなければ言葉は浮く。逆に、ふだんの地道な行動が、いざというときの謝罪の重みになる。だからこの棚は後半で、危機の話から平時の話へ戻っていく——本当は、そこから始めたかった、という含みを持って。
時間・変化:1995年から今へ
順に置く。1995年、Benoit がイメージ回復理論を著書で示し、陳謝を含む複数の対応の型を整理する。2002年、Blaney らがその枠組みを事例に応用する。2007年、Coombs が、対応を責任の帰属に整合させるSCCTを体系化する。2008年、Coombs と Holladay が、謝罪は同情表明や補償より特効ではないと示す。2016年、Hegner らが対応・危機種別・平時の履歴の相互作用を、2020年、Clementson が物語的な説明の有効性を示した。
この数十年で確からしくなったのは、「謝れば鎮まる」という特効性ではない。確からしくなったのは、謝罪は数ある対応の一つで、責任の帰属に整合したときに効き、平時の履歴やその後の行動と結びついて初めて働く——という、条件つきの向きのほうである。言い換えれば、この分野が積み上げてきたのは、どんな危機も鎮める万能の謝り方ではなく、謝罪がいつ効き、いつ空回りするかという、使いどころの地図だった。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、責任の見立てを飛ばして、とにかく深く謝ってしまうことである。責任のない危機で過剰に謝れば非を認めたと誤解され、責任のある危機で形だけ謝れば反省がないと見なされる。もう一つは、謝罪を、そのあとの説明や是正から切り離された「一回きりの儀式」にしてしまうことだ。人は、頭を下げた角度より、そのあとの行動を見ている。
助けになるのは、文面を練り込む前に、「この危機で、自分には実際どれだけの責任があるか」と「詫びの重さが、その責任に合っているか」を、静かに突き合わせてみることだ。最初の一歩は10分。自分が過去に書いた(あるいはこれから書くとしたら書くであろう)謝罪の言葉を一つ思い浮かべ、「そこで認めている非は、実際の自分の責任より重すぎないか、軽すぎないか」「詫びのあとに、説明や是正の約束が続いているか」を、自分で点検するだけでよい。他社の会見を評する必要はない。ただ、自分の謝罪が、責任の実際の重さに整合しているかを、自分の手元で確かめる。 ここが、正しく謝るための起点になる。点検してみると、多くの人が、責任のない場面でつい深く謝りすぎ、責任のある場面で言葉を濁しがちなことに気づく。だからこそ、感情でなく責任の実際の重さを物差しにする練習が要る。
次の単位は 483「何を語り何を守るか決めるには?」——謝罪の重さを定めたうえで、まだ結論が出ないうちに、何を語り何を留保するかの線引きへ進む。
- この単位は青段(初動と公式対応)2単位目で、前の単位で定めた危機の種類と責任の帰属の見立てをもとに、謝罪という最も誤解されやすい一手を扱う。俗説は『謝れば鎮まる』。だが謝罪はそれだけで場を鎮める特効薬ではなく、責任の見立てを飛ばしてとにかく謝るとかえって事態をこじらせることがある。謝罪は非を認めて詫びること(研究では陳謝=モーティフィケーションとも呼ぶ)。率直に詫びるのは礼儀だが、効き目の実際は特効薬ではない
- Coombs & Holladay 2008(Public Relations Review 34(3):252-257)は危機のときの謝罪を、同情の表明や補償の申し出といったほかの対応と比べて調べ、謝罪がこれらの代わりの対応よりはっきり優れているとは限らないことを示した。共感を示す・補償を約束するのと比べ評判の回復に飛び抜けて効くとは言えなかった。特効性は実証に支えられておらず、問いは深く謝ったかでなくこの危機に謝罪という対応がそもそも合っているかに移る
- 謝罪が効くのは責任の帰属に整合したときである。Coombs 2007 が体系化したSCCT(状況即応型危機コミュニケーション)は対応を世間が見る責任の帰属に整合させるべきだと説き、謝罪は自社に責任があると明確に見られる危機(防げた過失や意図的な問題)のときにしっくり合う。責任のない被害者型で深く謝るとやはり非があったのかと受け取られうる。過剰謝罪は認めなくてよい非を自ら認め、責任が重いのに形だけの謝罪は反省がないと見なされる。良い謝罪は深さの競争でなく責任の重さに詫びの重さを合わせること
- 謝罪を唯一の正解と思い込むと視野が狭くなる。Benoit が1995年に著書で示したイメージ回復理論(由緒)は、対応にいくつもの型があることを教える——陳謝のほか、経緯の誠実な説明・被害を正す行動・再発防止という型がある。Blaney・Benoit・Brazeal 2002(Public Relations Review 28(4):379-392)はある企業のイメージ回復の事例を分析し、複数の型をどう組み合わせたかが結果を左右したことを示した。謝罪は儀式として単独で差し出すのでなく、説明・是正・再発防止と組み合わせて意味のある一連の対応にする
- 謝罪の効き目は単独では決まらない。Hegner・Beldad・Kamphuis van Heugten 2016(Corporate Reputation Review 19(4):357-370)は危機対応の戦略・危機の種類・平時のCSR(社会的責任を果たしてきた履歴)が絡み合って危機後の信頼と購入意向を決めることを示した。謝罪の言葉は平時の行動という土台の上に立って初めて重みを持つ。Clementson 2020(Communication Studies 71(5):1-19)は物語として誠実に語る説明が有効な危機対応になりうると示した
- この数十年で確からしくなったのは謝れば鎮まるという特効性ではなく、謝罪は数ある対応の一つで責任の帰属に整合したときに効き、平時の履歴やその後の行動と結びついて初めて働くという条件つきの向きである。Coombs 2007 は本棚では481・482の2セルまでで用い、一般的な謝罪カノンは引かず crisis apology 固有の実証で組む
- だからこの単位でやるのは、文面を練り込む前に、この危機で自分には実際どれだけの責任があるかと、詫びの重さがその責任に合っているかを突き合わせることである。自分の謝罪の言葉を一つ思い浮かべ、認めている非が実際の責任より重すぎ・軽すぎないか、詫びのあとに説明や是正が続いているかを点検し、責任の実際の重さに整合しているかを確かめる。他社の会見を評する必要はない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 危機のときは、とにかく深く丁寧に謝れば、それだけで場は鎮まる | 謝罪はそれだけで場を鎮める特効薬ではない。Coombs & Holladay 2008 は、危機のときの謝罪を同情の表明や補償の申し出と比べ、謝罪がこれらの代わりの対応より飛び抜けて優れているとは限らないことを示した。謝りさえすれば鎮まるという特効性は実証に支えられておらず、問いは深く謝ったかでなくこの危機に謝罪という対応がそもそも合っているかに移る |
| 謝罪はどんな危機でも良いことなので、深く謝るほど評判は守られる | Coombs 2007 のSCCTは対応を責任の帰属に整合させるべきだと説く。謝罪は自社に責任があると明確に見られる危機(防げた過失や意図的な問題)のときにしっくり合う。責任のない被害者型で責任以上に深く詫びると、やはり非があったのかと受け取られ、認めなくてよい非を自ら認めてしまう。逆に責任が重いのに形だけの謝罪は反省がないと見なされる。良い謝罪は深さの競争でなく責任の実際の重さに詫びの重さを合わせること |
| 謝罪こそが危機対応の唯一の正解で、まず深く謝ればあとの行動は二の次だ | Benoit のイメージ回復理論は陳謝のほかに説明・是正・再発防止という複数の型があることを教え、Blaney ら 2002 は組み合わせが結果を左右したと示した。Hegner ら 2016 は対応・危機種別・平時のCSRの相互作用が信頼を決めることを、Clementson 2020 は物語的な説明の有効性を示した。だからこの単位でやるのは、自分の謝罪の言葉が実際の責任の重さに整合しているか、詫びのあとに説明や是正の約束が続いているかを点検することである |
皮肉なのは、危機のときほど『とにかく深く謝れば伝わる』という善意が、かえって謝罪を空回りさせることである。実証が示すのは、謝罪が同情の表明や補償と比べて飛び抜けて効くわけではない、ということ。効くのは、詫びの重さが、世間が見る責任の実際の重さに合っているときだ。責任のない危機で過剰に詫びれば非を認めたと誤解され、責任のある危機で形だけ詫びれば反省がないと見なされる。そして、どんなに言葉を選んでも、その謝罪は、平時の行動という土台の上に立っていなければ、重みを持たない。謝罪が鎮火を約束しているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、頭を下げた深さと、責任の実際の重さ、そしてそのあとに続く行動を、別々に確かめていないだけかもしれない。次の単位は 483「何を語り何を守るか決めるには?」——謝罪の重さを定めたうえで、まだ結論が出ないうちに、何を語り何を留保するかの線引きへ進む。
Q1. 謝罪は、それだけで場を鎮める ____ ではない。効くのは責任の帰属に ____ したときで、良い謝罪は深さの競争でなく、責任の実際の ____ に詫びの重さを合わせることである。穴埋め
Q2. Coombs & Holladay 2008 が、危機のときの謝罪を同情表明や補償と比べて示したことはどれか。選択
Q3. 『過剰謝罪』と『形だけの浅い謝罪』が、それぞれどんな逆効果を生むか。SCCT(Coombs 2007)の整合の考え方に触れて述べよ。一問一答
Q4. 謝罪を『唯一の正解』として単独で差し出すべきでないのはなぜか。イメージ回復理論(Benoit)や Hegner ら 2016 に触れて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Coombs が責任の帰属に整合させるSCCTを体系化する(イ)Benoit がイメージ回復理論を著書で示す(ウ)Coombs & Holladay が謝罪は同情表明や補償より特効でないと示す(エ)Clementson が物語的な説明の有効性を示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が過去に書いた謝罪の言葉(メール・SNS・掲示・口頭で言ったこと、何でもよい)、または、これから謝る場面があるとしたら書くであろう謝罪の言葉を、一つ思い浮かべて書き出す。それについて、三つのことを自分で点検する——(1) そこで認めている非は、実際の自分の責任より重すぎないか(過剰)、あるいは軽すぎないか(形だけ)、(2) 詫びの言葉のあとに、経緯の説明や、被害を正す・再発を防ぐといった具体的な行動の約束が続いているか、(3) その謝罪は、ふだんの自分の行動という土台の上に立っているか。他社の会見を評したり、実在の事件を分析したりする必要はなく、自分の言葉の点検として、自分のメモだけで完結させる。最後に、詫びの重さが責任の実際の重さに『合っている・重すぎる・軽すぎる』のどれかを、自分の見立てで書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Coombs W.T., Holladay S.J. (2008) ‘Comparing apology to equivalent crisis response strategies’, Public Relations Review 34(3):252-257 — doi.org
- Coombs W.T. (2007) ‘Protecting Organization Reputations During a Crisis: The Development and Application of Situational Crisis Communication Theory’, Corporate Reputation Review 10(3):163-176 — doi.org
- Benoit W.L. (1995) 『Accounts, Excuses, and Apologies: A Theory of Image Restoration Strategies』, State University of New York Press — openlibrary.org
- Blaney J.R., Benoit W.L., Brazeal L.M. (2002) ‘Blowout!: Firestone’s image restoration campaign’, Public Relations Review 28(4):379-392 — doi.org
- Hegner S.M., Beldad A.D., Kamphuis van Heugten S. (2016) ‘The Impact of Crisis Response Strategy, Crisis Type, and Corporate Social Responsibility on Post-crisis Consumer Trust and Purchase Intention’, Corporate Reputation Review 19(4):357-370 — doi.org
- Clementson D.E. (2020) ‘Narratives as Viable Crisis Response Strategies: Attribution of Crisis Responsibility, Organizational Attitudes, Reputation, and Storytelling’, Communication Studies 71(5):1-19 — doi.org