「柔軟にすれば多様に対応できる」——だが、柔軟を選んだ人が損をするなら、対応にはなっていない
多様な働き方に対応するには、柔軟な制度を並べればいい、と教わる。皮肉なことに、柔軟策の一覧が長い会社ほど進んで見えるが、そのどれを使っても陰で評価が下がるなら、増えたのは選択肢ではなく地雷原の広さだ。柔軟にするのは簡単で、柔軟を選んだ人が損をしないようにするのは難しい。そして難しいほうをやらないかぎり、増えた制度は使われないまま古びていく。
前の単位では、処遇の水準を外の相場とどう釣り合わせるかを扱った。ここでは、働く時間や場所を人によって変える——多様な働き方に対応するにはどうすればいいのかを扱う。
「在宅勤務、時短、フレックス、週休3日——制度として用意して柔軟にすれば、多様な事情に対応できる」——これが、この単位が向き合う俗説である。選択肢を増やすこと自体は良いことに見えるし、増やせば「うちは多様性に配慮している」と胸を張れる。だが、制度を用意したことと、実際に多様な事情に対応できたことは、同じではない。 柔軟な制度は、作った瞬間に効くのではなく、それを使った人が損をしないところまで運用されて、はじめて「対応」になる。
「柔軟にする」と「対応する」は、同じではない
まず、柔軟な働き方そのものの効果を見よう。2007年、Gajendran と Harrison が *Journal of Applied Psychology* 誌 92(6):1524-1541 で、テレワーク(会社以外の場所で働く仕組み)についての多くの研究をまとめたメタ分析を行い、示したのは両刃だった。テレワークには、自分の裁量が増え、仕事と生活の折り合いがつきやすく、満足度が上がるといった利点がある。その一方で、同僚との関係が薄くなる、仕事と私生活の境目が崩れる、といった副作用も同時に見えた。良いことだけが起きるのでも、悪いことだけが起きるのでもない。 効果は、どんな人が・どんな仕事で・どれくらいの頻度で使うかによって、方向が変わる。
場所の柔軟性そのものが役に立つ場面もある。2021年、Choudhury・Foroughi・Larson が *Strategic Management Journal* 誌 42(4):655-683 で、働く場所を自由に選べる仕組み(ワーク・フロム・エニウェア)が生産性を上げうることを示した。ただしこれも、仕事の性質や測り方に依存する条件つきの結果であって、「場所を自由にすればどんな仕事でも生産性が上がる」という一般法則ではない。接客や現場の作業のように、その場にいることが仕事の中身である働き方には、そもそも当てはまらない。研究が示すのは「効く条件がある」ことであって、「いつでも効く」ことではない。
ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——柔軟な制度を用意したこと(選択肢を作った)を、多様に対応できたこと(誰もが不利益なく使える)と取り違える。 パンフレットに柔軟策がいくつ載っているかと、その職場で人が実際に事情を抱えたまま働き続けられるかは、まったく別の問いだ。前者は一日で作れるが、後者は日々の運用の積み重ねでしか作れない。
柔軟を選ぶと、損をすることがある——柔軟性の烙印
もっとも見落とされやすいのが、ここだ。柔軟な働き方を選んだ人が、評価や昇進で不利になることがある。 2013年、Williams・Blair-Loy・Berdahl が *Journal of Social Issues* 誌 69(2):209-234 で、柔軟な働き方を使う人に対して周囲が抱く負の見方——柔軟性の烙印(フレキシビリティ・スティグマ)を論じた。「あの人は楽をしている」「本気度が低い」といった、根拠のない印象が、評価者の目に忍び込む。制度としては誰でも使えることになっていても、使えば陰で評価が下がるなら、それは本当には使えない。
2012年、Leslie・Manchester・Park・Mehng が *Academy of Management Journal* 誌 55(6):1407-1428 で、柔軟な働き方がキャリアの得にも損にもなりうることを示した。同じ制度を使っても、それが「仕事のための工夫」と受け取られれば得になり、「私生活を優先している」と受け取られれば損になる。差を生むのは制度の有無ではなく、使う人と、それを見る側の解釈だ。つまり、柔軟策そのものに得や損が埋め込まれているのではなく、周りがそれをどう物語るかで符号が決まる。同じ在宅勤務が、ある人には「成果のための集中」と語られ、別の人には「家庭優先で抜けている」と語られる。柔軟策を並べるだけでは、この烙印は消えない。 使った人が損をしない運用——たとえば、在宅の人も対面の人も同じ土俵で評価される仕組み、目の前にいる時間の長さではなく仕事の中身で見る評価まで作って、はじめて「対応した」と言える。制度を配ることは入口にすぎず、烙印を消すのは、その先の地味な運用の仕事だ。
孤立という、見えにくい副作用
もう一つ、静かに効く副作用がある。2008年、Golden・Veiga・Dino が *Journal of Applied Psychology* 誌 93(6):1412-1421 で、テレワークによる専門的な孤立(職場のつながりから切り離される感覚)が、仕事の成果を下げ、辞めたいという気持ちを高めうることを示した。柔軟にして「対応した」つもりが、その人を一人にしてしまうことがある。孤立は、遅刻や欠勤のように数字に表れにくい。だから、制度を作った側は気づきにくく、当人が静かに離れていくまで見えないことが多い。柔軟な制度の副作用は、使わせた側の目には映りにくいところに出る。 出社している人の様子は目に入るが、家で一人働いている人が誰とも話さない一週間を過ごしていることは、こちらからは見えない。だから「柔軟にしたのに、なぜか続かない」という結果だけが後から届く。副作用を見つけるには、指標を眺めるのではなく、その人がつながりを保てているかを、こちらから確かめにいく必要がある。
週休3日の試行報告を、どう読むか
近年よく引かれるのが、週休3日制の大規模な試みだ。2023年、Autonomy や研究者らが公表した英国の試行の報告書は、61社・約2,900人が2022年に参加し、継続や幸福感について良好な結果を伝えた。心を動かされる数字が並ぶ。だが、この報告書の性格を押さえておく必要がある。第一に、これは査読された研究ではなく試行の報告書である。第二に、参加した企業は自ら手を挙げた会社——うまくいきそうだと踏んだ会社が集まる自己選抜がある。第三に、各社が労働時間の減らし方をそれぞれ自由に決めており、実装がばらばらで、比較が難しい。だから、報告書の数値は「参加した会社での主張」として読み、「週休3日にすれば誰でもこうなる」という事実には読み替えない。うまくいった会社が手を挙げて、うまくいった結果を報告している——その構図の中で数字は生まれている。これは報告書が嘘だという話ではない。良い試みは、良い試みとして正当に評価してよい。ただ、良い試みであることと、自分の職場でも同じ結果が出ることは、別だというだけだ。前の単位で見た「相場」と同じで、ここでも問うべきは、その数字を誰が・どんな条件で作ったか、である。
時間・変化:2007年から2023年へ
順に置く。2007年、Gajendran と Harrison が、テレワークは利点と副作用の両刃だとメタ分析でまとめる。2008年、Golden らが、テレワークの孤立が成果を下げ離職意向を高めると示す。2012年、Leslie らが、柔軟な働き方はキャリアの得にも損にもなると示す。2013年、Williams らが、柔軟を選ぶと不利になる柔軟性の烙印を論じる。2021年、Choudhury らが、場所の柔軟性が条件つきで生産性を上げうると示す。2023年、英国の週休3日試行が良好な結果を報告する(ただし自己選抜・実装ばらばら)。この十数年で確からしくなったのは、「柔軟にすれば対応できる」ではない。確からしくなったのは、柔軟には利点も副作用もあり、使う人が損をしうるため、運用まで見ないと対応にならない——という向きのほうだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、柔軟策を用意したことで「対応した」と満足してしまうことである。制度の一覧が増えても、使うと損をするなら、多様な事情には応えられていない。助けになるのは、それぞれの柔軟策について、それを使った人が評価や昇進で損をしない設計になっているかを、一つずつ確かめることだ。在宅の人と対面の人が同じ基準で評価されるか。時短の人の成果が、働いた時間の短さではなく、時間あたりの中身で見られているか。柔軟を選んだ人が、静かに孤立していないか。この三つを確かめるだけで、制度の一覧の長さとは別の景色が見えてくる。
処遇を決めることは、人の生活と誇りに触れることだ。柔軟策は、事情を抱えた人に「特別扱い」を施すことではなく、事情があっても不利にならない土俵を整えることである。制度を並べて配慮したつもりが、使う人を目立たせ、不利にしているなら、それは対応ではない。特別扱いとして配ると、受け取る側は「借りを作った」と感じ、周りは「あの人だけ」と見る。土俵として整えると、誰も引け目を感じずに使える。同じ制度でも、どちらの言葉で渡すかで、使われ方はまるで変わる。
最初の一歩は10分。自分の職場(家業や店を含む)で使える柔軟策を一つ挙げる——在宅、時短、時差出勤、休みの取りやすさ、何でもよい。その策について、(1)実際に使っている人がいるか、(2)使った人が評価や割り当てで損をしていないか、(3)損をしそうな点があれば、それを一つ書く。特定の従業員を名指しで観察・評価しない。制度の設計そのものが、使う人を損させないかを点検する。 一人で働いている場合は、自分がその柔軟策を使ったとき、取引先や自分の評価にどんな不利が生じうるかを書けばよい。
- 柔軟な制度を用意したことと、実際に多様な事情に対応できたことは同じではない。柔軟な制度は作った瞬間に効くのではなく、それを使った人が損をしないところまで運用されて、はじめて対応になる。証拠の読み違え方は、柔軟な制度を用意したこと(選択肢を作った)を、多様に対応できたこと(誰もが不利益なく使える)と取り違えること
- Gajendran・Harrison 2007(Journal of Applied Psychology 92(6):1524-1541)はテレワークのメタ分析を行い、両刃だと示した。裁量が増え仕事と生活の折り合いがつき満足度が上がる利点と、同僚との関係が薄れ仕事と私生活の境目が崩れる副作用が同時に見える。効果は誰が・どんな仕事で・どれくらいの頻度で使うかで方向が変わる
- Choudhury・Foroughi・Larson 2021(Strategic Management Journal 42(4):655-683)は、働く場所を自由に選べる仕組み(ワーク・フロム・エニウェア)が生産性を上げうると示した。ただし仕事の性質や測り方に依存する条件つきの結果であり、場所を自由にすればどんな仕事でも生産性が上がるという一般法則ではない
- Williams・Blair-Loy・Berdahl 2013(Journal of Social Issues 69(2):209-234)は、柔軟な働き方を使う人への負の見方=柔軟性の烙印(フレキシビリティ・スティグマ)を論じた。Leslie・Manchester・Park・Mehng 2012(Academy of Management Journal 55(6):1407-1428)は柔軟な働き方がキャリアの得にも損にもなると示した。差を生むのは制度の有無ではなく使う人とそれを見る側の解釈で、柔軟策を並べるだけでは烙印は消えない
- Golden・Veiga・Dino 2008(Journal of Applied Psychology 93(6):1412-1421)は、テレワークによる専門的な孤立が仕事の成果を下げ辞めたい気持ちを高めうると示した。孤立は遅刻や欠勤のように数字に表れにくく、制度を作った側は気づきにくい。柔軟な制度の副作用は、使わせた側の目に映りにくいところに出る
- 英国2023の週休3日試行(Autonomy・Boston College・Cambridge ら、61社・約2,900人・2022年)の報告書は良好な結果を伝えるが、査読研究ではなく試行の報告書で、参加企業は自己選抜、各社の労働時間の減らし方もばらばらで比較が難しい。数値は参加会社での主張として読み、週休3日にすれば誰でもこうなるという事実には読み替えない
- 確からしくなったのは、柔軟にすれば対応できる、ではない。柔軟には利点も副作用もあり、使う人が損をしうるため運用まで見ないと対応にならない、という向き。助けになるのは、それぞれの柔軟策について使った人が評価や昇進で損をしない設計かを一つずつ確かめること。柔軟策は特別扱いを施すことではなく、事情があっても不利にならない土俵を整えることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 在宅・時短・フレックス・週休3日といった柔軟な制度を用意して選択肢を増やせば、多様な事情に対応できる | 制度を用意したことと、実際に多様な事情に対応できたことは同じではない。Gajendran・Harrison 2007のメタ分析はテレワークが利点と副作用の両刃だと示し、効果は誰が・どんな仕事で・どれくらいの頻度で使うかで方向が変わる。柔軟な制度を用意したこと(選択肢を作った)を、多様に対応できたこと(誰もが不利益なく使える)と取り違えてはならない。使う人が損をしない運用まで見て、はじめて対応になる |
| 制度として誰でも使えることにしておけば、柔軟な働き方を選んでも不利にはならない | Williams 2013は、柔軟な働き方を使う人への負の見方=柔軟性の烙印(フレキシビリティ・スティグマ)を論じ、Leslie 2012は柔軟な働き方がキャリアの得にも損にもなると示した。制度上は誰でも使えても、使えば本気度が低いと見られて評価が下がるなら本当には使えない。差を生むのは制度の有無ではなく、使う人とそれを見る側の解釈であり、柔軟策を並べるだけでは烙印は消えない |
| 週休3日の試行で良い結果が出ているのだから、週休3日にすれば同じように対応できて幸福度も上がる | 英国2023の週休3日試行の報告書は良好な結果を伝えるが、これは査読研究ではなく試行の報告書であり、参加企業は自ら手を挙げた自己選抜で、各社の労働時間の減らし方もばらばらで比較が難しい。数値は参加した会社での主張として読み、週休3日にすれば誰でもこうなるという事実には読み替えない。良い試みであることと、どこでも同じ結果が出ることは別である |
皮肉なのは、多様な働き方に対応しようと制度を増やすほど、それを使う人が目立ち、目立つほど損をしやすくなることである。柔軟策の一覧が長い会社ほど、進んでいるように見える。だが、その一覧のどれを使っても陰で評価が下がるなら、増えたのは選択肢ではなく、地雷原の広さだ。本当の対応とは、選択肢をたくさん並べることではない。どれを選んでも損をしない土俵を、静かに一つ作ることだ。柔軟にするのは、簡単だ。柔軟を選んだ人が損をしないようにするのは、難しい。そして、難しいほうをやらないかぎり、増えた制度は、使われないまま一覧の中で古びていく。
Q1. 「柔軟な制度を並べれば多様に対応できる」という言い方の飛躍を、Gajendran・Harrison 2007 の「両刃」に触れて説明せよ。何を何と取り違えているのかにも触れること。一問一答
Q2. Williams 2013 の「柔軟性の烙印」と Leslie 2012 が示したことについて、正しいものはどれか。選択
Q3. Golden 2008 は、テレワークによる専門的な ____ が、仕事の ____ を下げ、____ という気持ちを高めうると示した。この副作用は遅刻や欠勤のように ____ に表れにくく、制度を作った側は気づきにくい。穴埋め
Q4. 英国2023の週休3日試行の報告書を「事実」に読み替えないために、この単位が挙げた三つの差し引くべき点を述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究・報告を、年の早い順に並べよ。(ア)Williams らが柔軟性の烙印を論じる(イ)Gajendran・Harrison がテレワークは両刃だとメタ分析でまとめる(ウ)英国の週休3日試行が良好な結果を報告する(エ)Choudhury らが場所の柔軟性が条件つきで生産性を上げうると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の職場(家業や店を含む)で使える、あるいは使えそうな柔軟策を一つ挙げる——在宅、時短、時差出勤、休みの取りやすさ、中抜けなど、何でもよい。その策について三つを書く。(1)実際に使っている人がいるか(いない場合は、なぜ使われていないかを一言)。(2)使った人が評価・昇進・仕事の割り当てで損をしていないか、思い当たる点。(3)損をしそうな点があれば、それを一つと、どう直せるかを一言。特定の従業員を名指しで観察したり評価したりしない。点検するのは人ではなく、制度の設計が使う人を損させないかである。一人で働いている場合は、自分がその柔軟策を使ったとき、取引先の見方や自分の評価にどんな不利が生じうるかを書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Gajendran R.S., Harrison D.A. (2007) ‘The Good, the Bad, and the Unknown about Telecommuting: Meta-Analysis of Psychological Mediators and Individual Consequences’, Journal of Applied Psychology 92(6):1524-1541 — doi.org
- Choudhury P., Foroughi C., Larson B. (2021) ‘Work-from-Anywhere: The Productivity Effects of Geographic Flexibility’, Strategic Management Journal 42(4):655-683 — doi.org
- Leslie L.M., Manchester C.F., Park T-Y., Mehng S.A. (2012) ‘Flexible Work Practices: A Source of Career Premiums or Penalties?’, Academy of Management Journal 55(6):1407-1428 — doi.org
- Williams J.C., Blair-Loy M., Berdahl J.L. (2013) ‘Cultural Schemas, Social Class, and the Flexibility Stigma’, Journal of Social Issues 69(2):209-234 — doi.org
- Golden T.D., Veiga J.F., Dino R.N. (2008) ‘The Impact of Professional Isolation on Teleworker Job Performance and Turnover Intentions’, Journal of Applied Psychology 93(6):1412-1421 — doi.org
- Autonomy, Boston College, University of Cambridge ほか (2023) ‘The Results Are In: The UK’s Four-Day Week Pilot’(61社・約2,900人・2022年6-12月の試行報告) — autonomy.work