「感動の瞬間は設計できる」——だが感動は、次回の期待を自分で吊り上げる
一瞬の感動が客を一生の味方にする、と教わる。皮肉なことに、その感動は、次にその客が抱く期待を自分で吊り上げてしまう。今日の感動は明日の当たり前になり、超え続けるには前より上をまた超えるしかない。期待を超え続けるとは、期待を上げ続けることと同義だ。感動は、貯まる資産ではなく、次の基準を自分で上げていく前借りに近い。
前の単位では、対応のノウハウを手元にためて共有することを扱った。ここでは、その先にある、いちばん華やかな触れ込み——期待を超える瞬間、いわゆる感動体験は、設計して作れるのか、を扱う。ここから段はひとつ進んで、応対の土台の上に、感動と経営の話が載る。
最初に、この棚の見方を思い出す。★401で置いたとおり——顧客サービスの世界で流通する語り草と、効果が証明されたことは、別物である。感動体験は、その語り草がいちばん厚く積もっている場所だ。「一瞬の感動が客を一生の味方にする」という言い方は、研修資料からスライドへ引き写されてきた。だが、効果が測られた話と、語りやすいから広まった話は、分けて置く必要がある。
「感動の瞬間は設計できる」——まず、感動とは何かをほどく
言葉をほどくところから始める。感動——研究ではdelight(デライト)と呼ぶ——は、満足の言い換えではない。1997年に Oliver・Rust・Varki が *Journal of Retailing* 誌 73(3):311-336 で整理したところによれば、感動とは、驚きと、高い覚醒(心が強く動く状態)と、強いポジティブな感情が、いっしょにそろったときに立ち上がる状態である。
ここが大事だ。満足と感動は、同じ物差しの上の「弱い・強い」ではない。 満足は、期待どおりに来たときの静かな納得。感動は、期待していなかったものが来て心が跳ねたときの別の反応である。だから「もっと満足させればいつか感動になる」とは限らない。満足の道をどれだけ進んでも、驚きが無ければ、感動という別の部屋には入らない。
このずれが、この単位の芯になる。「感動を設計する」と言うとき私たちは満足を積み増す設計を思い浮かべがちだが、感動が要求するのは驚きであり、その驚きは、一度起きると次からは驚きでなくなる。
感動は、次回の期待を引き上げる
この単位の本命は、2000年に Rust と Oliver が *Journal of the Academy of Marketing Science* 誌 28(1):86-94 に出した『Should We Delight the Customer?』——題からして「そもそも客を感動させるべきか」を問う論文である。
彼らの議論の核はこうだ。感動は、次にその客が抱く期待の水準を引き上げてしまう。 今日、期待を超えて驚かせたものは、明日からの「当たり前」になる。次に同じことをしても、もう驚きは起きない。つまり「期待を超え続ける」は、実際には「期待を上げ続ける」ことと同義である。上げ続けた期待は、いつか超えられなくなる。そのとき、かつて感動だったものは、ただの不足に見える。
だからこの論文は、「感動させるべきか」に、コスト(作り続ける負担)と持続性(続かない)の両面から留保を付ける。感動は、一度出せば残る資産ではなく、出すたびに次の基準を自分で上げていく前借りに近い。
ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある。感動の効果を、それが次回の期待を押し上げることを勘定に入れずに測ると、効果を過大に見積もる。 一回の感動で上がった数字を見て「効いた」と結ぶのは、次回に上がった期待という請求書を、まだ受け取っていないだけかもしれない。
感動は、独立した何かなのか——非線形という疑い
もう一段、根っこの疑いがある。そもそも感動は、満足とは別の独立した反応なのか。 それとも、満足という一つの反応が、あるところから急に強くなる——非線形に跳ねる——ゾーンに、別の名を付けただけなのか。
Finn は2012年に *Journal of Service Research* 誌 15(1):99-110 の『Customer Delight: Distinct Construct or Zone of Nonlinear Response』で、まさにこれを問うた。感動は独立した構成概念(切り出せる別物)なのか、満足反応が非線形に立ち上がる帯にすぎないのか——データで見ると、その切り分けは思うほどきれいにいかない。Finn は2005年にも *Journal of Service Research* 誌 8(2):103-116 の『Reassessing the Foundations of Customer Delight』で、感動の基礎を測り直し、測るたびに姿が揺れることを指摘している。
これは細かい学術論争のように見えて、実務にまっすぐ効く。設計しようとしている対象の輪郭が、そもそも定まっていない。 その何かは、測る道具によって現れたり消えたりする。輪郭の定まらないものを狙って毎回作る、という約束は、はじめから土台が緩い。
一貫しない出来——始まりと終わりの効果
感動の設計は、しばしば「最後にとっておきの一撃を置け」という助言に化ける。終わりの印象が全体の記憶を決める、という考え——ピーク・エンド則として知られる見方——を、サービスにそのまま持ち込んだものである。だが、この持ち込みには、確かめるべき前提がある。
サービスは一つの点ではなく、始まりから終わりまでの連なりである。Hansen と Danaher は1999年に *Journal of Service Research* 誌 1(3):227-235 の『Inconsistent Performance During the Service Encounter: What's a Good Start Worth?』で、一連の応対で出来がばらついたとき、どの位置の出来がどれだけ効くのかを調べた。題が示すとおり、光を当てたのは良いスタートの価値である。終わりだけが効くのではない。始まりの出来にも、測られた効きがある。
だから「最後に感動を一発」という設計は、連なり全体の出来——始まりも途中も——を軽く見る危うさがある。ピーク・エンド則の名前だけを借りて「終わりさえ良ければいい」と読むのは、始まりの効きが測られている事実を飛ばしている。
逸話は、逸話である
感動サービスの話には、決まって出てくる語りがある。ある有名ホテルの従業員が客の忘れ物を追いかけて届けた。ある靴の通販会社が深夜の電話に何時間も付き合った。これらはよく引かれる。だが、はっきり分けておく——これらは逸話であって、効果が測られた証拠ではない。
逸話が悪いわけではない。問題は、逸話を効果の証拠として扱うことである。「あのホテルはこうして客を感動させ、だから成功した」という語りは、感動と成功のあいだに、測られていない線を勝手に引いている。うまくいった一社の一場面だけが語られ、同じことをして何も起きなかった場面は、はじめから語りに入っていない。この棚が繰り返す問い——その話は、誰が、どの立場から語ったのか——は、感動の逸話にも、そのまま効く。
Torres と Kline は2006年に *International Journal of Contemporary Hospitality Management* 誌 18(4):290-301 の『From Satisfaction to Delight: A Model for the Hotel Industry』で、ホテル業の文脈で満足から感動への移り方をモデルにした。だがこれは、感動を「毎回作れる瞬間」として取り出す処方ではなく、どういう条件で満足が感動に変わりうるかを記述したものである。記述と処方は別である。
時間・変化:1997年から2012年へ
順に置く。1997年、Oliver・Rust・Varki が、感動を驚き・高覚醒・強いポジティブ感情のそろった状態として基礎づける。2000年、Rust と Oliver が『Should We Delight the Customer?』で、感動は次回の期待を引き上げる——だから感動させ続けることにはコストと持続性の問題がある、と留保を付ける。2005年、Finn が感動の基礎を測り直し、測定が揺れることを示す。2006年、Torres と Kline がホスピタリティ文脈で満足から感動への移りを記述する。2012年、Finn が、感動は独立した構成概念か、それとも非線形反応のゾーンにすぎないか、と輪郭そのものを問い直す。
この十数年で確からしくなったのは、「感動は狙って作れる」ではない。 確からしくなったのは、感動は次回の期待を上げるので出し続けるほど超えにくくなり、しかも輪郭が測るたびに揺れる——という向きのほうである。だから設計の対象は、感動という揺れる出力そのものではなく、その手前にある約束をどれだけ守れているかへ移る。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、感動の効果を、次回の期待という請求書を勘定に入れずに読むことである。一回、驚かせて上がった数字は、次回に上がった期待の分をまだ引かれていない。感動を「貯まる資産」と思った瞬間に、それが「前借り」だという半分を見落とす。もう一つの妨げは、逸話を効果と取り違えることである。広まりやすさは、正しさの証明ではない。
助けになるのは、感動を狙う前に、土台の約束が守れているかを先に見るという一手である。感動は最上位にあるが、それは偉いからではなく、下の段——速く応え、うまく回復し、崩れを防ぎ、続ける——が守れて初めて載るから最後にある。土台が崩れたところに感動を一発足しても、上がるのは次回の期待だけである。
標本の偏りも断っておく。感動の研究の多くは、調査に答えた客——答えるだけの関わりを持ち、答える手続きに乗った人——から測られている。答えなかった多数、静かに離れた人は、その数字の中にいない。 「誰が答えたか」を抜きに、感動の効果を一般化しない。
最初の一歩は10分。あなたが窓口で最近「少し上乗せしよう」とした対応を、自分の記録から一つ選ぶ。左に「上乗せしたこと」を、右に「その前に、当たり前に守るべき約束——返事の速さ・正確さ・約束した期日——が守れていたか」を書く。顧客に感想を聞きに行かない。 上乗せの前に土台が守れていたかにだけ印を付ける。印が付かなければ、それも発見だ——そこは感動ではなく、約束の履行から始める場所である。
次の単位は 414「サポートをコストで終わらせないには?」——感動という華やかな話の裏で、その窓口が「儲かるのか」という問いが必ず来る。良いサポートは利益になる、という連鎖の物語を、由緒と実証の両側から見直す。
- この棚の桃段の最初の単位。感動(delight)とは満足の一段上ではなく別の状態——驚きと高い覚醒と強いポジティブ感情がそろって立ち上がる反応である(Oliver・Rust・Varki 1997, Journal of Retailing 73(3):311-336)。満足の道をどれだけ進んでも、驚きが無ければ感動という別の部屋には入らない
- 本命:Rust と Oliver は2000年に Journal of the Academy of Marketing Science 28(1):86-94 の『Should We Delight the Customer?』で、感動は次回の期待水準を引き上げると論じた。だから期待を超え続けるは期待を上げ続けると同義で、上げた期待はいつか超えられなくなり、感動は貯まる資産ではなく次の基準を自分で上げる前借りに近い
- この単位の証拠の読み違え方——感動の効果を、それが次回の期待を押し上げることを勘定に入れずに測ると、効果を過大に見積もる。一回の感動で上がった数字は、次回に上がった期待という請求書をまだ受け取っていないだけかもしれない
- 感動が満足とは独立した構成概念かどうか自体が定まっていない。Finn は2012年 Journal of Service Research 15(1):99-110 で、感動は独立した反応か満足が非線形に立ち上がるゾーンにすぎないかを問い、2005年 同誌 8(2):103-116 で基礎の測定が揺れることを指摘した。設計対象の輪郭が測る道具で現れたり消えたりする
- サービスは一つの点ではなく始まりから終わりまでの連なりである。Hansen と Danaher は1999年 Journal of Service Research 1(3):227-235 で、出来がばらつくとき良いスタートにも価値があることを示した。終わりの印象だけが全体を決める(ピーク・エンド則)をそのまま当てはめる前に、始まりの効きも測られている
- 有名ホテルや靴の通販の感動サービスの語りは逸話であって、効果が測られた証拠ではない。逸話を効果として扱うと、感動と成功のあいだに測られていない線を勝手に引く。Torres・Kline 2006(IJCHM 18(4):290-301)のホテル文脈のモデルも、毎回作れる瞬間の処方ではなく満足が感動に変わる条件の記述である
- 通奏低音②への布石——感動が積み上げの最後にあるのは最上位だからではなく、下の段(速く応え・うまく回復し・崩れを防ぎ・続ける)が守れて初めてその上に載るからである。だから設計の対象は感動そのものではなく約束の履行の側にあり、これは416で回収される。この単位は「これをやれば感動される」を渡さない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 感動の瞬間は設計できる。期待を超えるサービスを一発置けば、客はその感動を覚えていて、一生の味方になってくれる | 2000年の Rust・Oliver『Should We Delight the Customer?』のとおり、感動は次回の期待水準を引き上げる。今日の感動は明日の当たり前になり、期待を超え続けるは期待を上げ続けると同義で、上げた期待はいつか超えられなくなる。感動は貯まる資産ではなく、次の基準を自分で上げていく前借りに近い |
| 感動は満足の一番強い段階だから、満足度をどんどん高めていけば、いつか感動になる | Oliver・Rust・Varki 1997 のとおり、感動は驚き・高覚醒・強いポジティブ感情がそろって立ち上がる別の状態で、満足とは同じ物差しの強弱ではない。驚きが無ければ別の部屋には入らない。しかも Finn 2012・2005 は、感動が独立した構成概念か非線形に跳ねるゾーンかも定まらず、測るたびに輪郭が揺れると示した |
| 有名ホテルや靴の通販の感動エピソードのように振る舞えば、同じ感動を再現できる | それらは逸話であって、効果が測られた証拠ではない。うまくいった一場面だけが語られ、同じことをして何も起きなかった場面は語りに入っていない。感動が積み上げの最後にあるのは、下の段(速さ・回復・予防・持続)が守れて初めて載るからで、土台が崩れたところに感動を足しても上がるのは次回の期待だけである |
皮肉なのは、いちばん感動させた客ほど、いちばん感動しにくい客に育ってしまうことである。驚きは一度使うと、次からは驚きでなくなる。だから「期待を超えるサービス」を磨くほど、あなたは自分で自分の跳ぶべきバーを上げていく。感動は貯金箱ではなく、利息の付く借金に似ている。次にその客が静かに離れたとき、足りなかったのは新しい感動ではなく、たぶん、当たり前に守るはずだった約束のほうだ。華やかさのいちばん奥にあるのは、いつも、地味な履行である。
Q1. この単位の本命——Rust と Oliver は2000年の『Should We Delight the Customer?』で、感動は次回の客の ____ を引き上げると論じた。だから「期待を超え続ける」は、実際には期待を ____ 続けることと同義で、感動は貯まる資産ではなく次の基準を自分で上げる ____ に近い。穴埋め
Q2. 感動(delight)と満足の関係について、この単位が示したこととして正しいものはどれか。選択
Q3. 感動が「独立した構成概念かどうか自体が定まっていない」とはどういうことか。Finn の2012年と2005年の指摘に触れて述べ、それがなぜ「感動を毎回設計する」という約束の土台を緩くするのかを説明せよ。一問一答
Q4. 「感動サービスの逸話」を、この単位はどう扱うべきだとしているか。逸話そのものを否定するのではなく、何を問題としているのかを述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Rust と Oliver が感動は次回の期待を上げると論じる(イ)Oliver・Rust・Varki が感動を驚き・高覚醒・強い感情として基礎づける(ウ)Finn が感動は独立した構成概念か非線形反応のゾーンかを問う(エ)Finn が感動の基礎を測り直し測定が揺れると指摘する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、直近に自分が窓口で『少し上乗せしよう』と思ってした対応を一つ、自分の対応記録・送信済みメッセージ・自分のメモから選ぶ。ページを左右に分け、左に『その対応で上乗せしたこと』——想定より早い連絡、ていねいな一言、頼まれていない気遣いなど——を書く。右に『その前に、当たり前に守るべき約束——返事の速さ・内容の正確さ・約束した期日——が守れていたか』を書く。土台の約束が守れていたかにだけ印を付ける。顧客に感想を聞いたり反応を確かめたりしない。相手や同僚を評価しない。自分が残した記録だけで書く。一人で全部を回している場合も同じ形でよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Oliver R.L., Rust R.T., Varki S. (1997) ‘Customer Delight: Foundations, Findings, and Managerial Insight’, Journal of Retailing 73(3):311-336 — doi.org
- Rust R.T., Oliver R.L. (2000) ‘Should We Delight the Customer?’, Journal of the Academy of Marketing Science 28(1):86-94 — doi.org
- Finn A. (2012) ‘Customer Delight: Distinct Construct or Zone of Nonlinear Response’, Journal of Service Research 15(1):99-110 — doi.org
- Finn A. (2005) ‘Reassessing the Foundations of Customer Delight’, Journal of Service Research 8(2):103-116 — doi.org
- Hansen D.E., Danaher P.J. (1999) ‘Inconsistent Performance During the Service Encounter: What's a Good Start Worth?’, Journal of Service Research 1(3):227-235 — doi.org
- Torres E.N., Kline S. (2006) ‘From Satisfaction to Delight: A Model for the Hotel Industry’, International Journal of Contemporary Hospitality Management 18(4):290-301 — doi.org