「トップに会えば決まる」——だが買うのは一人ではなく、動かすのは肩書きではない
商談が進まないなら、決める人に会え、と教わる。皮肉なことに、いちばん役職の高い人に会えても、使う人が渋り、止めうる人が首を振れば、署名は下りてこない。買うのは一人ではないし、いちばん動かす力を持つ人は、いちばん偉い人とはかぎらない。数字の由緒と、あなたの案件で当てはまる証明とは、別物である。
「トップに会えば決まる」の前に、買うのは一人ではないことを置く
前の単位では、価格の断りに、相手の便益を金額に翻訳する力で向き合えるのかを扱った。ここでは、その翻訳した価値を、そもそも誰に届けるのかを扱う。
商談が進まないとき、よく言われる助言がある。「決める人に会え」「トップに直接届けろ」。決裁権を持つ人——社長、部長、いちばん役職の高い人——に会えれば、商談は決まる、と。この助言は、一つの前提の上に立っている。買うか買わないかを、たった一人が決めている、という前提である。
ところがこの単位が置くのは、その前提の崩れである。組織が何かを買うとき、決めているのはたいてい一人ではない。 使う人がいて、口を出す人がいて、金額を握る人がいて、署名する人がいて、そもそも面会を通すかどうかを握る人がいる。「トップに会えば決まる」は、この複数の席を、一つの席に畳んでしまう。 そして、いちばん動かす力を持つ人は、いちばん役職の高い人とはかぎらない。
この棚が最初に置いた見方——手法や数字の由緒と、効果の証明は別物である——は、決裁者アプローチにも当てはまる。「関与者は平均◯人」という景気のいい数字が広く引かれるが、その出どころは、たいてい売り手側の商用調査である。数字の立派さと、あなたの案件で当てはまる証明とは、別の話だ。
買い手は集団——buying centerという見方
組織の購買を、一人の決断ではなく集団の意思決定として捉える見方は、古くからある。1972年に *Journal of Marketing* 誌 36(2):12-19 へ出た Webster と Wind は、組織購買行動の一般モデルを示し、購買に関わる人々の集まりをbuying center(組織で何かを買うときに関わる人々の集まり)として整理した。そこには役割がある——実際に使う人(使用者)/口を出す人(影響者)/金額や条件を握る人(購買担当)/決める人(決裁者)/情報や接触を通すかを握る人(門番)。一人が複数の役割を兼ねることも、一つの役割を複数人が担うこともある。
大切なのは、これが役職の一覧ではないことだ。使う人が平社員で、止めうる門番が受付や秘書で、いちばん影響力のある人が肩書きの上では目立たない——そういうことが、ふつうに起きる。buying centerは、組織図とは別の地図である。 だから「トップに会う」だけでは、この地図の一点に着いたにすぎない。
構造は案件ごとに変わる
では、buying centerの形は決まっているのか。決まっていない。構造も、誰がどれだけ関わるかも、案件ごとに変わる。 1981年に *Journal of Marketing* 誌 45(3):143-156 へ出た Johnston と Bonoma は、31社の実際の購買を調べ、buying centerの構造と相互作用のパターンが企業や場面で異なることを実証した。1993年に *Journal of Marketing* 誌 57(1):38-56 へ出た Bunn は、購買の決め方を6つのアプローチに分類し、状況によって使われる意思決定の型が違うことを示した。
何が形を変えるのか。2004年に *Journal of Business & Industrial Marketing* 誌 19(5):320-336 へ出た Garrido-Samaniego と Gutiérrez-Cillán は、buying centerの規模・参加・影響が、購買の新規性・複雑性・重要性・リスク・時間の切迫といった状況で変動することを示した。初めて買うもの、複雑なもの、失敗が痛いもの、急ぐもの——こうした案件ほど、関わる人は増え、役割は入り組む。そして近年は、関わりがさらに分散し、社外の助言者や利用者まで巻き込む形へ広がっている。2024年に *Industrial Marketing Management* 誌 117:A10-A16 へ出た Ehret・Johnston・Ritter は、これを buying center からbuying ecosystem(買い手の生態系)への広がりとして論じた。つまり「この案件には何人が関わる」を、あらかじめ数で決めておくことはできない。
影響力は、肩書きではなく専門性から来る
ここに、「トップに会えば決まる」をいちばん正面から崩す実証がある。1989年に *Journal of Marketing* 誌 53(3):50-65 へ出た Kohli は、組織購買における影響力が何から生まれるかを調べ、専門性パワー(expert power=知識や専門性に基づく影響力)が、影響力を決める最大の要因であり、次いで強化パワー(報いる力)が続くと報告した。役職の高さそのものは、影響力の決め手ではない。
これは、届ける相手の選び方を変える。読むべきは「誰がいちばん偉いか」ではなく、「誰が、その分野の判断で、周りから信頼されているか」である。肩書きは低くても、使う人たちが「あの人が良いと言うなら」と従う専門家がいる。逆に、役職は高くても、その領域では周りが本気で意見を聞いていない人もいる。決裁者に会うことを否定するのではない。会っても、その人が使う人・門番・影響者の信頼を欠いていれば、署名は最後まで下りてこない、ということだ。「誰が決めるか」より「誰が誰を信頼して動かすか」を読む。
「関与者5.4人→6.8人」という数字の出どころ
決裁者アプローチを語るとき、ほぼ必ず引かれる数字がある。「B2Bの購買には平均5.4人が関わる」「近年は6.8人に増えた」「いまや8〜13人とも」——関与者の人数を一つの数字で示すこの数字は、業界で驚くほど広く引用される。
だが、その出どころを確かめる必要がある。この5.4人・6.8人という数字は、Gartner(調査会社CEBを買収した会社)の商用調査に由来する。査読誌に載った研究ではなく、売り手側のリサーチが公表した数字である。ここで通奏低音①の傍系が効く——数字の広まり方(引用の多さ)と、その数字が確かめられていること(査読)とは、別物である。 平均◯人という一点の数字は、buying centerの規模が案件ごとに大きく変わる(Garrido-Samaniego 2004)という査読側の知見とは、そもそも相性が悪い。この数字を「事実」として自分の案件に当てはめず、出どころを示して、あくまで目安として扱う。
時間・変化:1972年から2024年まで
順に置く。1972年、Webster と Wind が、組織購買を集団の意思決定として捉え、buying center の5役割を整理する。1981年、Johnston と Bonoma が、31社の実証で、構造と相互作用が案件ごとに違うことを示す。1989年、Kohli が、影響力の最大の要因は専門性パワーであり、役職の高さではないと報告する。1993年、Bunn が、購買の決め方を6つのアプローチに分類する。2004年、Garrido-Samaniego らが、規模・影響が購買状況で変動すると示す。2024年、Ehret らが、buying center から buying ecosystem への広がりを論じる。
この半世紀で確からしくなったのは、「トップに会えば決まる」という因果のほうではない。 確からしくなったのは、買い手は集団であり、その構造は案件ごとに変わり、影響力は肩書きではなく専門性から来るという向きのほうである。決裁者に会う努力が無駄だ、という話ではない。会うべき一人を、役職の高さだけで決めない、という話だ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、役職の高い人に会えたことを「もう決まった」と数えることである。決裁者の署名は、使う人が渋り、止めうる人が黙って首を振れば、最後まで下りてこない。トップに会うのは、地図の目立つ点に着いただけで、道はまだその周りに何本も残っている。
標本の偏りも断っておく。ここで引いた buying center の実証の多くは、欧米の企業間取引(B2B)を対象に採られたものだ。日本の商い、個人事業の受注、小さな組織との取引を対象にした査読研究は、ごく少ない。 平均は地図であって、あなたの相手そのものではない。個人の小さな取引でも、相手の背後に、承認する人・反対しうる人・実際に使う人がいることは同じである。門番——受付や窓口、間に立つ担当——を出し抜こうとしない。出し抜きは近道ではなく、たいてい遠回りである。
助けになるのは、新しい相手に当たりに行く前に、直近の一件で「誰が関わったか」を役割で書き出すという一手である。使う人・決める人・止めうる人・影響する人。肩書きではなく、実際に何をした人かで分ける。そして、その中でいちばん動かす力を持っていたのは誰か、それはなぜかを、専門性と信頼の観点で見る。
最初の一歩は12分。直近の商談を一つ選び、関わった相手を役割(使う・決める・止める・影響する)で1行ずつ書く。次に、いちばん影響力があったのは誰かを一人選び、その理由を肩書きではなく専門性・信頼で1行書く。 相手を出し抜く方法は書かない。相手に確かめに行かない。関わったのが一人だけだったなら、なぜ一人で済んだのかを書く——それも、この案件の性質についての発見だ。
次の単位は 376「商談を前に進めるには?」——複数の相手に信頼を積みながら、商談を一歩ずつ前へ動かすとき、その「次の一歩」を刻む作法に、どんな条件と副作用があるのかを扱う。
- この単位の読者は、自分で売りに行く人。俗説「決裁者(トップ)に会えれば決まる」は、組織の購買が集団的意思決定であるという事実を落としている。買うのはたいてい一人ではなく、いちばん動かす力を持つ人は、いちばん役職の高い人とはかぎらない
- 1972年に Journal of Marketing 誌 36(2):12-19 へ出た Webster と Wind は、組織購買に関わる人々の集まりを buying center(組織で何かを買うときに関わる人々の集まり)として整理した。役割は、使う人(使用者)・口を出す人(影響者)・金額を握る人(購買担当)・決める人(決裁者)・接触を通すかを握る人(門番)——組織図とは別の地図である
- buying center の構造は案件ごとに変わる:1981年に Journal of Marketing 誌 45(3):143-156 へ出た Johnston と Bonoma は31社を実証し、1993年に Journal of Marketing 誌 57(1):38-56 へ出た Bunn は購買の決め方を6つのアプローチに分類した。あらかじめ人数を決めておくことはできない
- 1989年に Journal of Marketing 誌 53(3):50-65 へ出た Kohli は、組織購買の影響力を決める最大の要因は専門性パワー(expert power=知識や専門性に基づく影響力)で、次いで強化パワーだと報告した。役職の高さそのものは影響力の決め手ではない
- 2004年に Journal of Business & Industrial Marketing 誌 19(5):320-336 へ出た Garrido-Samaniego と Gutiérrez-Cillán は、buying center の規模・参加・影響が購買の新規性・複雑性・重要性・リスク・時間の切迫で変動すると示した。2024年に Industrial Marketing Management 誌 117:A10-A16 へ出た Ehret・Johnston・Ritter は、buying center から buying ecosystem への広がりを論じた
- 「B2Bの購買には平均5.4人(近年6.8人、8〜13人とも)が関わる」という数字は、Gartner(調査会社CEBを買収した会社)の商用調査に由来し、査読誌の研究ではない。売り手側リサーチの数字として出どころを示して使い、案件ごとに規模が変わる査読側の知見と対比する(通奏低音①の傍系:数字の広まりと、確かめられていることは別物)
- 「誰が決めるか」より「誰が誰を信頼して動かすか」を読む。決裁者に会えても、使う人・止めうる人・影響する人の支持が無ければ動かない。個人の小さな取引でも、相手の背後に承認者・反対者・使う人がいる。門番(受付・窓口)を出し抜こうとせず、敵に回さない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 決裁権を持つトップ(社長・部長)に会えれば、商談は決まる。いちばん偉い人を落とせばよい | 組織の購買は集団的意思決定で、buying center には使う人・口を出す人・金額を握る人・決める人・接触を通すかを握る人という役割がある(Webster と Wind 1972)。しかも影響力は肩書きの高さから来るのではない——Kohli 1989は、知識や専門性に基づく専門性パワーが影響力を決める最大の要因だと報告した。決裁者に会っても、使う人・止めうる人・影響する人の支持が無ければ、署名は下りてこない |
| 「B2Bの購買には平均5.4人〜6.8人が関わる」という数字が、意思決定の複雑さを客観的に示している | この5.4人から6.8人という数字は、Gartner(調査会社CEBを買収した会社)の商用調査値であって、査読誌の研究ではない。業界で広く引用されるが、出どころは売り手側のリサーチである(通奏低音①の傍系:数字の広まりと、確かめられていることは別物)。buying center の人数と役割は案件ごとに大きく変わる(Garrido-Samaniego 2004)ため、平均の人数を「事実」として自分の案件に当てはめない |
| 決裁者に早く届くには、受付や窓口を出し抜いて、上の人に直接接触するのが近道だ | 門番(情報や接触を通すかを握る役割)を敵に回すのは近道ではなく、たいてい遠回りである。読むべきは「誰が決めるか」より「誰が誰を信頼して動かすか」——影響力の分布のほうだ。使う人・門番・影響する人それぞれに信頼を積むほうが、集団の意思決定は動く。個人の小さな取引でも、相手の背後に承認者・反対者・実際に使う人がいることは同じである |
皮肉なのは、いちばん役職の高い人に会えた商談ほど、「もう決まったも同然」と数えたくなることである。だが決裁者の署名は、使う人が渋い顔をし、止めうる人が黙って首を振れば、最後まで下りてこない。平均5.4人という数字は、その内訳——誰が、誰を信頼しているか——を一行も教えてくれない。トップに会うのは、地図のいちばん目立つ点に着いただけのことだ。道はまだ、その点の周りに、何本も残っている。
Q1. buying center の五つの役割は、使う人(使用者)・____・金額を握る人(購買担当)・決める人(決裁者)・接触を通すかを握る人(____)である。穴埋め
Q2. 1989年に Kohli が組織購買の影響力について報告したこととして、正しいものはどれか。選択
Q3. 「B2Bの購買には平均5.4人〜6.8人が関わる」という数字を、なぜ事実として自分の案件に当てはめないほうがよいのか。出どころと、査読側の知見に触れて答えよ。一問一答
Q4. 決裁者(いちばん役職の高い人)に会えても商談が動かないことがあるのは、なぜか。集団的意思決定の観点から述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Kohli が影響力の最大要因は専門性パワーだと報告する(イ)Webster と Wind が buying center の5役割を整理する(ウ)Ehret らが buying ecosystem への広がりを論じる(エ)Johnston と Bonoma が31社で構造は可変と実証する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の直近の商談・取引・相談を一つ選ぶ。そこに関わった相手側の人を思い出し、一人ずつ、その人が果たした役割を「使う人・決める人・止めうる人・影響する人」のどれか(複数可)で書く。肩書きではなく、実際に何をした人かで分ける。次に、その中で「いちばん影響力があったのは誰か」を一人選び、その理由を肩書きではなく専門性・信頼の観点で1行書く。相手を出し抜く方法や潜り込む方法は書かない。相手に確かめに行かない。もし関わったのが一人だけだったなら、なぜ一人で済んだのか(取引が小さい・新規性が低い、など)を1行書く。相手を試したり探ったりする必要はなく、自分の手元の記憶と記録だけで完結させる。一人で全部を回している場合も、相手側の役割を同じ形で棚卸しすればよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Webster F.E. Jr., Wind Y. (1972) ‘A General Model for Understanding Organizational Buying Behavior’, Journal of Marketing 36(2):12-19 — doi.org
- Johnston W.J., Bonoma T.V. (1981) ‘The Buying Center: Structure and Interaction Patterns’, Journal of Marketing 45(3):143-156 — doi.org
- Bunn M.D. (1993) ‘Taxonomy of Buying Decision Approaches’, Journal of Marketing 57(1):38-56 — doi.org
- Kohli A. (1989) ‘Determinants of Influence in Organizational Buying: A Contingency Approach’, Journal of Marketing 53(3):50-65 — doi.org
- Garrido-Samaniego M.J., Gutiérrez-Cillán J. (2004) ‘Determinants of influence and participation in the buying center. An analysis of Spanish industrial companies’, Journal of Business & Industrial Marketing 19(5):320-336 — doi.org
- Ehret M., Johnston W.J., Ritter T. (2024) ‘From buying centers to buying ecosystems: Advancing the B2B research journey’, Industrial Marketing Management 117:A10-A16 — doi.org