「価値を語れば値引きされない」——だが8割の会社は、今もコストと競合で値を付ける
価値をきちんと語れば、値引きされない、と教わる。皮肉なことに、その正しいはずの価値ベースを、8割を超える会社は今も採っていない。理由は、やる気ではなく、相手の便益を『いくら』に言い換える力が、めったに手元にないことのほうにある。手法の由緒と、あなたの見積もりで効く証明とは、別物である。
「価値を語れば値引きされない」の前に、実装の現実を置く
前の単位では、断りに押し返しで応じるほど相手が固まりうること、そして対応は専門性と顧客志向がそろって初めて機能することを扱った。ここでは、断りの中でもいちばん重い「高い」に、値引きを断る技術ではなく、相手の便益を相手の言葉に言い換える力で向き合えるのかを扱う。
価格で負けないための定石は、「価値をきちんと語れば値引きされない」である。value-based selling(価値ベース販売=相手が得る便益を相手の言葉で示し、その価値に見合う価格として値付けする売り方)を身につければ、価格の土俵から降りて、価値の土俵で勝てる、と。理屈は正しい。コストでもなく、競合の値段でもなく、相手にとっての便益で値を決めるのが、いちばん筋が通っている。
ところがこの単位が置くのは、理屈と現場の距離である。価値ベースは、これほど推奨されながら、現場ではほとんど実装されていない。 そして実装されない理由は、売り手の熱意や勉強不足ではなく、相手の便益を「いくら」に言い換える力が、めったに手元にないことのほうにある。「価値を語れば負けない」は、語れる能力と、語りが効く文脈が、そろって初めて成り立つ。
この棚が最初に置いた見方——手法の由緒と、効果の証明は別物である——は、価値ベースにも当てはまる。value-based sellingという概念は立派な由緒を持つが、あなたの見積もりで効く証明とは別の話だ。実証が言うのは「成果と関連しうる」までで、しかもそれは稀にしか実装されず、能力と文脈に依存する。
価値ベースは、推奨されても現場では少数派
まず、推奨と現実の距離を数字で見る。2008年に *Journal of Business Strategy* 誌 29(4):41-50 へ出た Hinterhuber の論考は、出版社のアブストラクトに沿えば、“more than 80 percent of companies continue to price their products and services primarily on the basis of costs and/or competitive price levels.” と述べる。8割を超える企業が、今なおコストか競合価格を主な基準に値付けしている、ということだ。ただし、この *Journal of Business Strategy* は実務誌であって査読誌ではない——この点は本文でも断っておく。
採用率の推移も同じ向きを指す。1983年から2006年にかけての調査群を見ると、価値ベースの採用率はおよそ17%にとどまり、コスト基準の約37%、競合基準の約44%に遠く及ばない。2017年に *Journal of Revenue and Pricing Management* 誌 16(1):18-29 へ出た Liozu の調査でも、価値ベースの採用はおよそ25%止まりだった。推奨は何十年も続いているのに、現場の多数派は動いていない。 これらの採用率の数字は、それぞれの調査値として出どころを示して使う——断定された事実としてではなく。
なぜ広がらないか——組織と制度の障壁
正しいのに広まらないのはなぜか。答えは「やる気が足りない」ではない。2015年に *Industrial Marketing Management* 誌 47:53-64 へ出た Töytäri・Rajala・Brashear Alejandro は、価値ベースの値付けを妨げるものを、組織的・制度的な障壁として整理した。個人の心構えの問題ではなく、組織の仕組みと、業界に染みついた慣行のほうに、障壁がある。
障壁の中身は、大きく言えば四つに集約される。相手の便益を測る力(価値評価力)/それを相手に伝える力(価値伝達力)/価値ベースで売れるように営業を支える仕組み(営業管理)/それを経営が後押しする姿勢(経営支援)——この四つが欠けると、いくら価値ベースが正しくても、現場では回らない。とりわけ最初の二つ、相手の便益を「いくら」と測り、それを相手の言葉に翻訳する力が無ければ、価値の語りはただの美辞になる。「価値を語れ」という助言は、この力を前提にしているが、その力こそが、めったに手元にないものなのだ。
価格防衛は、値引きを断る技術ではなく、便益を定量化する能力
ここから、価格防衛の意味を組み替える。価格防衛とは、値引き要求を突っぱねる交渉術でも、値引き幅を惜しむ駆け引きでもない。相手がその商品・サービスから得る便益を、相手の言葉と相手の単位で「いくらぶんの得か」に言い換える能力である。
たとえば、こちらの提案で相手の作業が月に10時間減るなら、その10時間は相手にとっていくらの価値か。避けられる失敗、減らせる在庫、短くなる待ち時間——これらを相手の側の金額に翻訳できて初めて、価格は「高い・安い」の一次元から、「その値段で、これだけの得を買える」という比較へ移る。逆に、この翻訳ができないと、価値ベースは空回りする。相手にとっての便益が金額に見えないまま「価値があります」と繰り返しても、相手の手元には「高い」しか残らない。
そして、価値ベースが成果と関連しうること自体は、査読の側からも報告がある。2015年に *Industrial Marketing Management* 誌 45:12-21 へ出た Terho・Eggert・Haas・Ulaga は、顧客志向と価値ベース販売が営業の成果に寄与しうると示し、2019年に *Journal of the Academy of Marketing Science* 誌 48(6):1053-1074 へ出た Mullins・Menguc・Panagopoulos は、チーム水準の先行要因と成果のつながりを分析した。ただし、これらの多くは横断的で自己申告に基づくデータである。 関連はあっても、「価値を語ったから勝てた」という因果を、そのまま保証するものではない。
効く場面と、効きにくい場面
価値ベースは、どこでも同じように効くわけではない。効きやすいのは、継続的な取引・関係のある購買の文脈である。相手を知っていて、相手の便益を具体的に測れて、翻訳した価値を相手が受け取る余地があるとき、価値の語りは価格を支える。
効きにくいのは、その逆——一度きりの取引で、価格が主導する購買である。相手の便益を測る材料が無く、関係の蓄積も無く、相手が最初から値段だけを見比べているとき、いくら便益を語っても、価格の一次元から抜け出しにくい。だから「価値を語れば負けない」を、あらゆる商談に当てる処方にしてはいけない。手元に便益を測る材料があるか、相手との関係が続く見込みがあるか——この二つで、価値話法が効く見込みは大きく変わる。個人で一度きりの受注を取る場面も、店先で一見の相手に売る場面も、この「効きにくい側」に入りやすいことを、あらかじめ知っておくほうがよい。
時間・変化:2004年から2019年まで
順に置く。2004年、Hinterhuber が、価値ベースの値付けを意思決定の統合的な枠組みとして提示する(*Industrial Marketing Management* 33(8):765-778)。2008年、Hinterhuber が、8割超の企業がなおコスト・競合を基準に値付けしていると報告する(実務誌・査読ではない)。2015年、Terho らが価値ベース販売と成果の関連を、Töytäri らが実装を妨げる組織的・制度的障壁を、それぞれ示す。2017年、Liozu が、価値ベースの採用はなお約25%止まりと調査する。2019年、Mullins らが、チーム水準の先行要因と成果のつながりを分析する。
この15年で確からしくなったのは、「価値を語れば負けない」という因果のほうではない。 確からしくなったのは、価値ベースは成果と関連しうるが、稀にしか実装されず、能力と文脈に依存するという限定のほうである。価値を語る努力が無駄だ、という話ではない。語れる力と、語りが効く文脈を、当て込みで飛ばさない、という話だ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「価値ベースで利益率が◯%改善した」という景気のいい数字を、証明と取り違えることである。その種の数字は、支援会社やベンダーの自己申告値であることが多い。証明として使えるのは、採用率17%から25%のような「推奨と現実の乖離」を示す調査値のほうであって、劇的な改善率のほうではない。
標本の偏りも断っておく。ここで引いた価値ベースの実証の多くは、欧米の企業間取引(B2B)を対象に、横断的・自己申告で採られたものだ。日本の商い、個人の受注、店先の少額の売買を対象にした査読研究は、ごく少ない。 平均は地図であって、あなたの見積もりそのものではない。BtoBでもBtoCでも、高額でも少額でも、便益を金額に翻訳できるかどうかが分かれ目になる点は変わらない。
助けになるのは、次の交渉に挑む前に、過去に値引きを求められた一件を読み返すという一手である。そのとき、相手の便益を「いくら」に言い換えられていたか。言い換えられていなかったなら、それは相手の便益が測れなかったのか、翻訳する言葉が無かったのか、それとも一度きりの価格主導の取引だったのか——手元だけで見分けられる。
最初の一歩は12分。過去に値引きを求められた一件を選び、相手の便益を一つ書く。次に、それを相手の言葉で「いくらぶんの得か」に言い換えて1行書く(できなければ、できなかったと書く)。最後に、定量化が難しかったなら、その理由を1行書く。 相手に確かめに行く必要はない。言い換えられなかったなら、それも発見だ——価格防衛の弱点が、交渉術ではなく、便益を測る側にあった、ということだから。
次の単位は 375「決裁者に届くには?」——言い換えた価値を、誰に届けるのか。買うのはたいてい一人ではなく、届けるべき相手は、肩書きのいちばん上にいるとはかぎらない、という話を扱う。
- この単位の読者は、自分で見積もりや提案を出す人。価格防衛の定石「価値を語れば値引きされない」は、value-based selling(価値ベース販売=相手の便益を相手の言葉で示し、その価値に見合う価格として値付けする売り方)を前提とするが、実証が言うのは「成果と関連しうる」までで、しかも稀にしか実装されず能力と文脈に依存する
- 2008年に Journal of Business Strategy 誌 29(4):41-50 へ出た Hinterhuber の論考(実務誌・査読誌ではない)は、8割を超える企業が今なおコストか競合価格を主な基準に値付けしていると報告した。価値ベースは理屈で推奨されても、現場では少数派である
- 採用率の調査値:1983-2006年の調査群で価値ベースはおよそ17%(コスト基準約37%・競合基準約44%)、2017年の Liozu 調査(Journal of Revenue and Pricing Management 16(1):18-29)でもおよそ25%止まり。推奨と現実には大きな乖離がある。これらは各調査の値として出どころを示して使う
- 2015年に Industrial Marketing Management 誌 47:53-64 へ出た Töytäri・Rajala・Brashear Alejandro は、価値ベースの値付けを妨げるものを組織的・制度的な障壁として整理した。相手の便益を測る力・伝える力・営業を支える仕組み・経営の後押しが欠けると、正しくても現場では回らない
- 2015年に Industrial Marketing Management 誌 45:12-21 へ出た Terho・Eggert・Haas・Ulaga は顧客志向と価値ベース販売が成果に寄与しうると示し、2019年に Journal of the Academy of Marketing Science 誌 48(6):1053-1074 へ出た Mullins・Menguc・Panagopoulos はチーム水準の先行要因と成果を分析した。ただし多くは横断的・自己申告データで、因果を保証しない
- 価格防衛の核は、値引き要求を突っぱねる交渉術ではなく、相手が得る便益を相手の言葉と単位で「いくらぶんの得か」に言い換える能力である。この翻訳ができないと、いくら価値を語っても相手の手元には「高い」しか残らない
- 価値ベースが効きやすいのは継続的な取引・関係のある購買の文脈で、効きにくいのは一度きりで価格が主導する購買である。「価値ベースで利益率◯%改善」型のベンダー数字は自己申告値(通奏低音①:由緒と証明は別物)で、証明として使えるのは採用率の乖離のほうである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 価値をきちんと語れば値引きされない。価値ベースで売れば、価格で負けることはない | 実証が言うのは「価値ベース販売は成果と関連しうる」までで、しかも横断的・自己申告のデータが多い(Terho ら2015/Mullins ら2019)。そして価値ベースは理屈で推奨されても現場では稀——Hinterhuber2008(実務誌・査読ではない)は8割超の企業がなおコスト/競合価格中心で値付けすると報告し、採用率は1983-2006で約17%、2017年でも約25%止まり(Liozu2017)。語れば負けない、ではなく、語れる能力と語りが効く文脈がそろって初めて効きうる |
| 値引きを求められたら、こちらも一段下げて折り合うのが交渉というものだ | 価格防衛の核は値引き幅の駆け引きではなく、相手の便益を相手の言葉で「いくら」に言い換える力である。これができないと価値の語りは空回りし、相手の手元には「高い」しか残らない。Töytäri ら2015が挙げる障壁——価値を測る力・伝える力の不足——が、まさにこの言い換えを難しくする。定量化できない相手や一度きりの価格主導の購買では、価値話法は効きにくい |
| 「価値ベースで利益率が◯%改善した」という数字が、価値ベースの正しさを証明している | その種の劇的な改善率は、支援会社やベンダーの自己申告値であることが多い(通奏低音①:手法の由緒と、効果の証明は別物)。証明として使えるのは、採用率が約17%から約25%という「推奨と現実の乖離」を示す調査値のほうであって、景気のいい改善率のほうではない。大きい数字ほど、その出どころが自己申告か査読かを確かめる |
皮肉なのは、価値ベースをいちばん熱心に説く教材ほど、それが現場でほとんど実装されていないことに触れないことである。理屈の上では、コストでも競合でもなく、相手の便益で値を付けるのが正しい。だが8割を超える会社は、今もコストと競合を見て値付けしている。正しさが広まらないのは、正しくないからではなく、相手の便益を「いくら」に言い換える力が、めったに手元にないからである。価格で負けないための技術は、値引きを断る言葉ではなく、たいてい、まだ誰も書いていない見積書の但し書きのほうに眠っている。
Q1. Hinterhuber 2008(実務誌)は、____割を超える企業が今なおコストか競合価格を主な基準に値付けしていると報告した。価値ベースの採用率は1983-2006でおよそ____%にとどまる。穴埋め
Q2. この単位が組み替えた「価格防衛」の核として、正しいものはどれか。選択
Q3. 「価値を語れば値引きされない」と言い切れないのはなぜか。実証の性質と実装の現実に触れて答えよ。一問一答
Q4. 価値話法が効きにくい場面はどこか。二つの条件と、その理由に触れて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)Liozu が価値ベースの採用はなお約25%止まりと調査する(イ)Hinterhuber が8割超がなおコスト/競合基準と報告する(ウ)Hinterhuber が価値ベースの値付けを統合的な枠組みとして提示する(エ)Mullins らがチーム水準の先行要因と成果を分析する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が最近、値引きを求められた——または「高い」と言われた——見積もりや提案を一つ選ぶ。相手がその商品・サービスから得る便益(短縮できる時間、減らせる手間、避けられる損失など)を一つ書く。次に、それを「相手にとって、いくらぶんの得か」を、相手の言葉・相手の単位で言い換えて1行書く(言い換えられなければ「言い換えられなかった」と書く)。値引き交渉の台本は作らない。相手に確かめに行かない。最後に、便益が定量化しにくかったなら、なぜ難しかったか(一度きりの取引か、便益が相手にも見えていないか、など)を1行書く。相手を試したり反応を見たりする必要はなく、自分の手元の記録だけで完結させる。一人で全部を回している場合も、そのまま同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Hinterhuber A. (2004) ‘Towards value-based pricing—An integrative framework for decision making’, Industrial Marketing Management 33(8):765-778 — doi.org
- Terho H., Eggert A., Haas A., Ulaga W. (2015) ‘How sales strategy translates into performance: The role of salesperson customer orientation and value-based selling’, Industrial Marketing Management 45:12-21 — doi.org
- Töytäri P., Rajala R., Brashear Alejandro T. (2015) ‘Organizational and institutional barriers to value-based pricing in industrial relationships’, Industrial Marketing Management 47:53-64 — doi.org
- Mullins R., Menguc B., Panagopoulos N.G. (2019) ‘Antecedents and performance outcomes of value-based selling in sales teams: a multilevel, systems theory of motivation perspective’, Journal of the Academy of Marketing Science 48(6):1053-1074 — doi.org
- Hinterhuber A. (2008) ‘Customer value-based pricing strategies: why companies resist’, Journal of Business Strategy 29(4):41-50 — doi.org
- Liozu S.M. (2017) ‘State of value-based-pricing survey: Perceptions, challenges, and impact’, Journal of Revenue and Pricing Management 16(1):18-29 — doi.org