「ファネルの穴を塞げば売れる」——だが穴は測れた段にしか現れず、数えられない販促は図の外にある
ファネルはこう言われる——どこかの段で人が抜けている、その穴を塞げば売れる、と。だがこの言い方は、人は気づき、心が動き、そして買う、という決まった順路を通る、という前提に立っている。1966年の研究は、売上を基準に置くとこの順路への支持はほとんど見いだせないと書いた。そして穴は、測れた段にしか現れない。
前の単位では、誇大にならないための書式の道具が、思うほど効かないことを扱った。ここでは、この棚が追ってきた仕掛けを、一枚のファネル——上から下へ、気づく人・興味を持つ人・買う人と、数が絞られていく漏斗の形の図——に束ねて眺める。この棚の最後の要素である。
ファネルには、判で押したように、こう言われる。「どこかの段で人が抜けている。その穴を塞げば、売れる。」 もっともらしい。だが、その言い方は、一つの前提の上に立っている——人は、気づき、心が動き、そして買う、という決まった順路を通る、という前提である。 この単位は、その順路そのものを追う。
この棚は16回、同じことを言ってきた。原理が実在することと、目の前で効くことは別物である。 最後に一つ。ファネルの数字は、測れた販促しか映さない。
「穴を塞げば売れる」という発想は、どこから来たのか
ファネルの各段は、たいてい階層効果モデル——広告や販促は、まず認知(気づく)を作り、次に感情(好きになる・欲しくなる)を動かし、最後に行動(買う)を引き起こす、という一直線の順路——として説明される。認知から感情へ、感情から行動へ。だから、どこかの段で数が落ちていたら、そこが「穴」であり、そこを手当てすれば、下の段まで人が流れる——これが「穴を塞げば売れる」の中身である。
この一直線の順路は、直感に合う。だから、気づかせて、好きにさせて、買わせる。 だが問題は、この順路が本当にその順で因果として流れているのか、それとも、あとから売れた結果を並べ直した整理にすぎないのか、である。ここから先は、その一点を確かめてきた研究を追う。
売上を基準にすると、階層仮説の支持は乏しい
この順路を、正面から検証した古い研究がある。1966年に *Journal of Marketing Research* 誌3巻1号13-24頁へ出た Palda の論文は、効果の階層という仮説を部分的に評価した。肝心なのは、何を基準に置いて確かめたか、である。抄録はこう書いている——“The emphasis is on sales as the relevant criterion; little support is found for the hypothesis”(重点は、関連する基準としての売上に置かれている。仮説への支持は、ほとんど見いだせない)。
売上を基準に置くと、支持はほとんど見つからない。 つまり、認知が高い人ほど、好意が高い人ほど、実際に多く買う——という一直線の結びつきは、売上で確かめようとすると、崩れる。各段の数字(気づいた人の数、好きになった人の数)は測れる。だが、その段の数字が上の因果として下の売上を生んでいる、という保証は、この時点で既に乏しかった。
広告が「効果の階層」を引き起こすとは言えない
もっとはっきり言い切った論者もいる。2001年に *Journal of Advertising Research* 誌41巻6号19-26頁へ出た Weilbacher は、広告が「効果の階層」を引き起こすのかを正面から問い、階層効果モデルは広告の働きの正確な記述ではない、と論じた。認知→感情→行動という梯子を、その順に一段ずつ登っていく——という描き方そのものが、実際の広告の働きを写していない、という立場である。分かりやすさと、正確さは別である。梯子そのものが記述として怪しいなら、「穴」も、塞ぐべき場所として確かではなくなる。
記述として問題が多い、と批判史は言う
階層効果モデルへの批判は、一本の思いつきではない。1990年に *International Journal of Advertising* 誌9巻2号121-135頁へ出た Barry・Howard は、階層効果を理論と実証の両面から見直す批判的なレビューを書き、問題が多いと整理した。さらに Barry は1987年、*Current Issues and Research in Advertising* 誌10巻1-2号251-295頁で、この考えがどういう系譜で作られてきたかを歴史として追い、その実証的な基盤の弱さを描いた。梯子は古くから配られ、古くから疑われてきた。それでも生き延びたのは、効果が確かめられたからではなく、計画の枠として便利だったからである。
広告は、強い順次説得ではなく、弱い働きで動く
では、梯子でないなら、広告はどう働くのか。一つの見方が、2000年に *Journal of Advertising Research* 誌40巻6号39-48頁へ出た Ehrenberg の論文にある。Ehrenberg は、広告が人を強く順番に説得して買わせるのではなく、認知→試用→強化——気づいて、いちど試して、すでにしている行動をゆるく補強する——という弱い働き(頭文字をとってATR)で動く、と論じた。
強い順次説得と、弱い補強では、ファネルの読み方がまるで違う。 強い説得なら、上を押せば下が動く——だから穴を塞ぐ意味がある。弱い補強なら、広告はすでに買いそうな人の行動をゆるく支えているだけで、効いたように見える数字の多くは、もともと買う人を数えている。
ただし、論争は決着していない
ここで、片方だけを勝たせないための声も、そのまま置いておく。2002年に *Journal of Advertising Research* 誌42巻3号44-47頁へ出た Barry は、Weilbacher への反論として、階層効果モデルは計画の枠として依然として有用だという擁護を書いた。モデルが記述として不正確だという批判と、それでも枠としては使えるという擁護が、同じ雑誌の上で応酬している。
この論争は、決着していない。 だから、この単位は「間違いだ」とも「正しい」とも言い切らない。言えるのは、認知→感情→行動という順路を、確かめられた因果として断定する根拠は乏しく、一方で計画の枠として捨てるにはあまりに根強い、という未決着の状態そのものである。穴を塞げば売れる、という言い方は、この未決着を、決着したことにしてしまう。
時間・変化:1966年から2002年まで
順に置く。1966年、Palda が、売上を基準にすると階層仮説への支持はほとんど見いだせないと示す。1987年、Barry が、階層効果の系譜と実証的基盤の弱さを歴史として追う。1990年、Barry・Howard が、理論と実証の両面から批判的なレビューをまとめる。2000年、Ehrenberg が、広告は強い説得ではなく弱い補強(ATR)で働くと論じる。2001年、Weilbacher が、広告が効果の階層を引き起こすとは言えないと言い切る。2002年、Barry が、それでも枠としては有用だと擁護する。
この三十数年で確からしくなったのは、「穴を塞げば売れる」という順路のほうではない。 確からしくなったのは、認知→感情→行動という一直線を、確かめられた因果として扱う根拠は薄く、しかしその枠は計画の道具として生き延びている、という向きのほうである。
測れた販促しか、ファネルは映さない
そして、ここが、この棚の締めである。
仮に、梯子の因果は脇に置くとしよう。それでもなお、ファネルには、もっと手前の問題がある。ファネルの各段に並ぶ数字は、測れた仕掛けの数字だけである。 クリックも、クーポンの利用も、開封も数えられる。だが、店頭での立ち話も、手渡しの一言も、常連どうしの口づても、数えられない。
だから、ファネルを眺めて「この段が細い、ここが穴だ」と言うとき、見えているのは、数えられた販促が作った段の太さである。数えられない仕掛けが太らせた段は、そもそも図に載っていない。測りやすい販促は上手く見え、測りにくい販促は、効いていても映らない。 そして、数字が販促の良し悪しを決めるとき、実際に決めているのは、販促の良し悪しではなく、測り方である。
ファネルは、塞ぐものではない
この棚は、インサイトという入口から始まった。まず相手を理解しようとするところから入り、最初に一度だけ断った——販促は、相手の行動を借りる行為であり、押した分だけ信頼を使う。
思ったように売れないとき、ファネルの穴を探して塞ぐ、という手つきは、たいてい、測れた数字の側だけをいじることになる。 数えられる段を太らせようとして、値引きを重ね、クリックを買い、開封を増やす。だが、その多くは、前倒しと奪い合いで、長くは残らない。数えられていない仕掛け——信頼、口づて、店頭の一言——は、穴として現れないから、塞ぎようがない。
だから、戻る先は、穴ではない。入口である。 相手を理解しようとするところ、そして、押した分だけ信頼を使う、という最初の断りである。ファネルは、下から塞ぎ直すものではなく、どの段の数字が、誰の、どの仕掛けを数えたものなのかを、上の段まで遡って見直すものである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、細い段を見つけて、そこを「穴」と呼んでしまうことである。段が細いのは、そこで人が抜けているからかもしれないし、そこに載る仕掛けが、もともと数えにくいものだからかもしれない。細さの理由は、いつも複数ある。
標本の偏りも断っておく。この単位で引いたのは、主に海外の広告研究と批判史である。 読者の商いとは規模も文脈も違い、言えるのは、認知から行動への一直線を、確かめられた因果として扱う根拠は、大きな広告研究をもってしても薄かった、ということのほうである。この単位では、予算配分やどこを塞げという助言はしない。 言えるのは、数字の出どころを見直せ、というところまでである。
助けになるのは、自分が「この販促はうまくいった」と判断するときに見ている数字を一つ選び、その数字が、数えられる仕掛けだけを映していないかを確かめるという一手である。数えていないものを思い出せたら、それが、ファネルに載っていない販促である。
最初の一歩は5分。自分の販促を、頭の中で二つに仕分ける。 数えられるもの(クリック・クーポン・開封・来店の記録)と、数えられないもの(立ち話・口づて・手渡しの一言)である。そして、自分が成績として見ている数字が、どちらの側からできているかを、一行で書く。片側しか数えていなければ、それは穴ではなく、最初から測っていない場所である。
この棚は、インサイトという入口から始まり、ファネルという出口まで来た。十六の段のどれにも、進み具合を判定する数字が一つは置かれていて、そのどれもが、測れたものだけを数えている。 ナッジも、口コミも、店頭の山も、販促費の回収も——原理は実在し、実験室では効いた。だが、あなたの売り場でそれが映るかどうかは、効いたかどうかではなく、数えられたかどうかで決まっていた。ファネルの穴を塞ぐより先に、その数字が、誰の、どの仕掛けを、数えそこねているのかを見るほうが、たいていは早い。
- この棚の締めの単位。ファネルの穴を塞げば売れるという発想は、認知→感情→行動という階層効果モデルを確かめられた因果の順路だと信じることに支えられているが、その裏づけは薄い。原理が実在することと目の前で効くことは別で、加えてファネルは測れた販促しか映さない
- Palda 1966 Journal of Marketing Research 3(1):13-24 は、効果の階層という仮説を部分的に評価し、売上を関連する基準にすると仮説への支持はほとんど見いだせないと抄録で示した。各段の数字は測れても、それが下の売上を生む因果である保証は乏しい
- Weilbacher 2001 Journal of Advertising Research 41(6):19-26 は、広告が効果の階層を引き起こすのかを正面から問い、階層効果モデルは広告の働きの正確な記述ではないと論じた。分かりやすい梯子であることと、正確であることは別である
- Barry・Howard 1990 International Journal of Advertising 9(2):121-135 は理論と実証の両面から階層効果を批判的にレビューし、Barry 1987 Current Issues and Research in Advertising 10(1-2):251-295 はその系譜と実証的基盤の弱さを歴史として追った。梯子は古くから配られ、古くから疑われてきたが、計画の枠として便利ゆえに生き延びた
- Ehrenberg 2000 Journal of Advertising Research 40(6):39-48 は、広告が強い順次説得ではなく、認知→試用→強化(ATR)という弱い働きで、すでにしている行動をゆるく補強すると論じ、階層的な説得の前提を掘り崩した。効いて見える数字の多くはもともと買う人を数えている
- Barry 2002 Journal of Advertising Research 42(3):44-47 は、Weilbacher への反論として、階層効果モデルは計画の枠として依然有用だと擁護した。批判と擁護が同じ雑誌で応酬しており、論争は決着していない。穴を塞げば売れるという言い方は、この未決着を決着したことにしてしまう
- 通奏低音②の回収——ファネルの数字は測れた販促しか映さない。クリックや開封は数えられるが、店頭の立ち話や口づては数えられず、穴として現れない。数字が販促の良し悪しを決めるとき、決めているのは測り方である。だから戻る先は穴ではなく、相手を理解しようとする入口と、押した分だけ信頼を使うという最初の断りである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| ファネルのどこかの段で人が抜けているなら、その穴を塞げば、下の段まで人が流れて売れる | この発想は、認知→感情→行動という階層効果モデルを、確かめられた因果の順路だと信じたときにだけ意味を持つ。だが1966年に Journal of Marketing Research 誌3巻1号13-24頁へ出た Palda は、売上を基準にすると仮説への支持はほとんど見いだせないと示し、2001年の Weilbacher は階層効果モデルが広告の働きの正確な記述ではないと論じた。梯子そのものが記述として怪しいなら、塞ぐべき穴も確かな場所ではなくなる |
| 広告や販促は、人を認知から順に強く説得して、最後に買わせるものである | 2000年に Journal of Advertising Research 誌40巻6号39-48頁へ出た Ehrenberg は、広告が強い順次説得ではなく、認知→試用→強化(ATR)という弱い働きで、すでにしている行動をゆるく補強すると論じた。強い順次説得なら上の段を押せば下が動くが、弱い補強なら、効いて見える数字の多くはもともと買う人を数えている。ただし2002年の Barry は枠として依然有用だと擁護しており、論争は未決着である |
| ファネルの数字を見れば、どの販促が効いているかが分かる | ファネルの各段に並ぶのは、測れた仕掛けの数字だけである。クリックや開封は数えられるが、店頭での立ち話も、手渡しの一言も、常連どうしの口づても数えられない。だから細い段を「穴」と呼ぶとき、見えているのは数えられた販促が作った段の太さで、測りにくい販促は効いていても映らない。数字が販促の良し悪しを決めるとき、実際に決めているのは測り方である |
皮肉なのは、いちばん熱心にファネルの穴を塞いだ人ほど、数字がなめらかに流れるのを見て、販促がうまく回っていると感じることである。だが、なめらかになったのは、数えられる段だけである。数えられない仕掛け——店頭の一言、常連の口づて、押さずに積んだ信頼——は、穴として現れないから、塞ぎようがない。ファネルがいちばん美しく見えるとき、たいていそれは、測れなかった販促を、最初から図の外へ置いてきただけかもしれない。この棚が16回追いかけてきたのは、その図の外のほうである。
Q1. ファネルの各段は、まず ____ (気づく)を作り、次に ____ (好きになる・欲しくなる)を動かし、最後に ____ (買う)を引き起こす、という一直線の順路——階層効果モデル——として説明される。「穴を塞げば売れる」はこの順路を正しい因果だと信じたときにだけ意味を持つ。穴埋め
Q2. Palda 1966 が、効果の階層という仮説について「売上を基準にすると」見いだしたことは何か。そこから、ファネルの各段の数字について何が言えるか。一問一答
Q3. Ehrenberg 2000 の ATR(認知→試用→強化)という見方が、ファネルの読み方に与える含意として、正しいものはどれか。選択
Q4. この棚の締めとして、「ファネルの数字は、測れた販促しか映さない」とはどういうことか。具体的に数えられるものと数えられないものの例を挙げ、そこから戻る先がどこかも述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った、階層効果モデルをめぐる出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)Ehrenberg が広告は弱い補強(ATR)で働くと論じる(イ)Palda が売上を基準にすると支持が乏しいと示す(ウ)Barry が枠として依然有用だと擁護する(エ)Weilbacher が広告は効果の階層を引き起こすとは言えないと論じる並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が最近おこなった販促や告知——値引き・チラシ・SNSの投稿・店頭のPOP・声かけ・手渡し・常連への一言など——を、思い出せるだけ書き出す。書き出したそれぞれに、『数えられる(クリック・クーポンの利用・開封・来店やレジの記録として残る)』か『数えられない(立ち話・口づて・手渡しの一言・積んだ信頼として残らない)』かの印を付ける。次に、自分がふだん『この販促はうまくいった/いかなかった』と判断するときに見ている数字を一つ書き、それが仕分けたどちら側の販促を映しているかを書き添える。最後に、数えられない側に仕分けた販促が、その判断の数字に映っているか・映っていないかに、印を付ける。客に何かを尋ねたり試したりする必要はない。あくまで自分の販促と自分が見ている数字だけで完結させる。一人で全部を回している場合も、そのまま同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Palda K.S. (1966) ‘The Hypothesis of a Hierarchy of Effects: A Partial Evaluation’, Journal of Marketing Research 3(1):13-24 — doi.org
- Weilbacher W.M. (2001) ‘Point of View: Does Advertising Cause a “Hierarchy of Effects”?’, Journal of Advertising Research 41(6):19-26 — doi.org
- Barry T.E., Howard D.J. (1990) ‘A Review and Critique of the Hierarchy of Effects in Advertising’, International Journal of Advertising 9(2):121-135 — doi.org
- Barry T.E. (1987) ‘The Development of the Hierarchy of Effects: An Historical Perspective’, Current Issues and Research in Advertising 10(1-2):251-295 — doi.org
- Ehrenberg A.S.C. (2000) ‘Repetitive Advertising and the Consumer’, Journal of Advertising Research 40(6):39-48 — doi.org
- Barry T.E. (2002) ‘In Defense of the Hierarchy of Effects: A Rejoinder to Weilbacher’, Journal of Advertising Research 42(3):44-47 — doi.org