家庭環境の研究者が最初に測るのは、菌ではなく騒がしさである
家庭の衛生と聞けば、除菌スプレーと排水口を思い浮かべる。ところが家庭環境と子どもの発達を調べる研究者が真っ先に測るのは、菌の数ではない。つけっぱなしのテレビ、鳴りやまない通知、人の出入り、予定の崩れ——家の中の騒がしさである。そして雑菌のほうはといえば、少し浴びたほうが健康的だという例の俗説は、言い出した研究者たちの手で、とっくに畳まれている。
前の単位から:安全基地には、物理的な床がある
034「安全」で見たのは、いつでも戻れて、安心して弱れる場所という心理的な基地の話だった。この単位はその物理版を扱う。基地には床と壁と音環境があり、それらは心理の言葉を使わずに、住人全員の神経に直接触れてくる。
先回りして境界を引いておく。個人の栄養や腸内環境や健康法は健康の棚の持ち場であり、ここでは扱わない。この単位の主題は、家庭という共有環境の清潔と秩序が、家族の応答の質にどう効くかである。そして結論から言えば、この分野の主役は雑菌ではない。騒がしさである。
研究者が測っている、家の中の騒がしさ
1995年、マシーニーらは家庭環境の混乱ぶりを測る質問紙を発表した。混乱・喧噪・秩序尺度、通称CHAOSスケール。項目はどれも身も蓋もない。うちではテレビがほとんどつけっぱなしだ。家の中はまるで動物園のようだ。朝は毎回ばたばたになる。くつろげる時間がない。こうした項目に同意するほど、その家庭は騒がしく無秩序——研究用語で household chaos——ということになる。
この尺度が生まれてから四半世紀、家庭の騒がしさは発達研究の定番変数になった。マーシュらが2020年にまとめた総覧は、112の研究を7つの領域に整理している。家庭の騒がしさが高いほど、子どもの実行機能・IQ・読解といった認知の指標は低く、攻撃性や素行の問題、感情の制御の困難は多く、言語の発達は遅れがちで、ストレスホルモンの日内リズムは乱れがちだった。効いているのは子どもだけではない。親の側でも、抑うつが多く、応答的な養育が少なく、親子の衝突が多い。そして重要なことに、これらの関連の多くは、世帯の収入や親の学歴を考慮した後にも残っていた。貧しさの副産物ではなく、騒がしさそのものが変数として立っている。
なぜ騒がしさが言語にまで効くのか。経路の一つを示したのが、米国の低所得農村部の家庭を追った縦断研究だ。ヴァーノン=フィーガンズらは2012年、家庭の混乱を無秩序——騒音・過密・つけっぱなしのテレビ——と不安定——転居や同居者の入れ替わり——の2成分に分けた上で、生後6カ月から36カ月までの無秩序の高さが、13の人口統計学的条件を揃えてもなお、3歳時点の言語の理解と産出の低さを予測することを示した。経路の一部は親の応答の質を経由していたが、それだけでは説明が終わらない独自の寄与が残った。
仕組みは想像がつく。会話は信号であり、騒がしさは雑音である。信号と雑音の比が下がった家庭では、子どもに届く言葉の量と質が下がり、大人どうしの応答も短く雑になる。034で見た安全基地の記帳は、雑音の中では文字がかすれるのだ。
清潔すぎると病気になる、という俗説の出どころ
ここで、この単位が値切るべき俗説を正面から扱う。清潔すぎるとアレルギーになる、だから多少汚いほうが健康的だ——という、掃除をさぼる側にとってこの上なく都合のよい説である。
出どころは1989年、疫学者ストラカンが医学誌BMJに載せた2ページの論文だ。1958年3月の同じ週に生まれた英国の子ども1万7,414人を23歳まで追った出生コホートで、花粉症と乳児湿疹が、家庭内の子どもの数——とりわけ年上のきょうだいの数——と綺麗な逆相関を描いた。きょうだいが多いほどアレルギーが少ない。ストラカンは、年上のきょうだいが持ち込む幼少期の感染が、後のアレルギーを抑えているのではないかと推測した。これが衛生仮説と呼ばれるようになる。
観察としては一級品である。問題は、ここから世間が引いた結論のほうだ。感染が減った原因は家庭の掃除だろう、だから清潔にしすぎるのは体に悪い——という飛躍が、除菌批判とセットで流通した。
言い出した側が、看板を下ろした
後継の説明はすでに用意されていた。免疫学者ルックが2013年に定式化した旧友仮説——免疫の調整に必要なのは、はしかのような集団感染症ではなく、人類が進化の過程を共に過ごしてきた土壌・植物・動物・人体の常在微生物との接触であり、都市生活はまさにその接触を減らした、という理論である。そして2016年、ブルームフィールドらの公衆衛生の専門家グループ——著者にはルック本人を含む——は、衛生仮説という言葉を捨てる時が来たと題した総説を発表した。論旨は明快である。第一に、この数十年のアレルギー増加を家庭の清潔さの向上で説明できる証拠はない。家の掃除のレベルと子どものアレルギーを直接つないだ研究は、一貫した関連を示していない。第二に、免疫の訓練に必要なのは、はしかや水疱瘡のような病原体への感染ではなく、土や植物や動物や家族の身体に古くから住み着いてきた微生物——人類の旧友——との日常的な接触である。それが減った原因は、掃除のしすぎではなく、都市化と屋内生活、食の変化、抗生物質の使いすぎ、帝王切開や人工栄養の増加といった生活の構造変化にある。第三に、だから掃除の手を抜いても旧友は戻ってこず、戻ってくるのは食中毒とインフルエンザだけである。
彼らの対案が標的衛生だ。家全体を無菌にしようとするのでも、全体をゆるめるのでもなく、感染が実際に伝わる要所——食品を扱う手と調理面、トイレの後、病人の看病、生ゴミ——を、要る時に、締める。それ以外の場所、たとえば床や窓や庭の土は、感染対策としての優先度が低い。清潔と秩序の労力は有限の資源だから、配分の問題として設計する。
この整理は、家庭の実務にとってありがたい。除菌漬けの正当化にも、掃除をさぼる言い訳にもならない代わりに、努力を注ぐべき座標をくれる。菌については要所だけを締める。そして浮いた労力を、112研究が指し示した本丸——騒がしさの整理——に回すのである。
時間・変化:混乱は蓄積で効き、秩序は繰り返しで効く
騒がしさの厄介なところは、1日単位ではほとんど無害に見えることだ。テレビがついたままの夕食が1回あっても、何も起きない。研究が捉えている害は、そうした日々が数カ月から数年単位で積み重なったときの、会話の総量と応答の質のじわじわとした目減りである。ヴァーノン=フィーガンズらの研究が生後6カ月から36カ月という長い窓で無秩序を測ったのは、この変数が慢性状態として効くからだ。
逆向きも同じで、秩序は一夜では効かない。片づけの祭りを1回開くより、夕食の30分だけテレビを消すことを毎日繰り返すほうが、この変数の定義上は効く。混乱も秩序も、単発の出来事ではなく環境の定常状態だからである。だから記録も、1回の大掃除の写真ではなく、静かな30分が週に何回あったかという頻度で取るのが筋になる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、衛生の努力が見た目の清潔に吸い寄せられることだ。来客に見える床は磨かれ、来客に見えない音環境——つけっぱなしの画面、鳴り続ける通知——は放置される。研究の示す優先順位は逆である。
第二の妨げは、片づけが家族内の道徳の裁判になることだ。散らかしたのは誰か、という問いは、033で見た査定型の会話の親戚であり、騒がしさを一つも減らさないまま敵意だけを足す。CHAOSスケールの項目に犯人の欄がないことは示唆的だ。測られているのは環境であって、人格ではない。
標本の偏りも断っておく。この分野の研究は米国と英国に極端に偏っており(112研究のうち米国71・英国21)、騒がしさの測定は親の自己報告が中心で、横断研究も多い。総覧の著者ら自身が、因果の確定にはまだ遠いと明記している。日本の住宅事情——狭さ、同居の密度、生活音の文化——にそのまま移せる保証はなく、経路の論理だけを持ち帰るのが誠実である。
助けるのは、騒がしさを人格から切り離して、環境の設定として一つずつ潰すことだ。常時ついている音源を一つ止める。物の定位置を一つ決める。朝のばたばたの原因を一つだけ前夜に移す。どれも家族の誰の性格も変えずに実行できる。
最初の一歩は15分。家の中でいちばん長く人が集まる場所——多くの家では食卓か居間——を選び、そこにある常時稼働の音源と、定位置のない物の山を、それぞれ一つずつ特定して処置する。音源は止め、山には置き場を与える。一人暮らしで親と関わっている人も、自分の部屋で同じことをすればいい。騒がしさの研究は家族向けだが、信号と雑音の比はあなたの神経にも同じように効く。
次の単位は 036「休息」——器の最後の単位である。整えた床の上で、家が回復の場として機能するかを扱う。そこでは、欲求の5段ピラミッドという有名な図を、その図を描いていない本人の論文から値切ることになる。
- Matheny et al. 1995(Journal of Applied Developmental Psychology)が開発したCHAOSスケールは、家庭の騒音・過密・ルーチンの欠如への同意度で household chaos——家庭の騒がしさと無秩序——を測る質問紙で、以後この分野の標準の物差しになった
- Marsh et al. 2020(BMC Public Health)の総覧は112研究を7領域に整理し、家庭の騒がしさが子どもの認知(実行機能・IQ・読解)、社会情緒・行動(60研究)、言語(6研究すべて)、親の養育の質と親子の衝突(21研究)、親自身の抑うつ、ストレスホルモンのリズム、健康行動の悪化と関連し、その多くが世帯収入や学歴を考慮しても残ることを示した
- Vernon-Feagans et al. 2012(Early Childhood Research Quarterly)は低所得農村部の家庭の縦断研究で、混乱を無秩序(騒音・過密・つけっぱなしのテレビ)と不安定(転居・同居者の入れ替わり)に分け、生後6〜36カ月の無秩序が13の人口統計学的条件を統制しても3歳時点の言語理解・産出の低さを予測し、親の応答の質による媒介では説明しきれない独自の寄与を持つことを示した
- Strachan 1989(BMJ)は1958年3月生まれの英国の子ども1万7,414人の出生コホートで、花粉症と乳児湿疹が家庭内の子どもの数、とりわけ年上のきょうだいの数と逆相関することを報告し、幼少期の感染がアレルギーを抑えるという衛生仮説の出発点になった
- Bloomfield et al. 2016(Perspectives in Public Health)は、家庭の清潔さの向上がアレルギー増加の原因だという証拠はなく、必要なのは病原体への感染ではなく土・動物・家族に由来する旧友微生物との接触であり、その減少の原因は都市化・食の変化・抗生物質の使いすぎなど生活の構造変化にあるとして、衛生仮説という言葉の放棄を提案した
- 同2016年総説の対案が標的衛生である。感染が実際に伝わる要所——食品を扱う手と調理面・トイレの後・病人の看病・生ゴミ——を要る時に締め、それ以外は緩める。除菌漬けの正当化にも掃除をさぼる言い訳にもならず、有限の労力の配分問題として衛生を設計する
- 実務上の含意:混乱は蓄積で効き、秩序は繰り返しで効く。単発の大掃除より、常時稼働の音源を止める・物の定位置を決めるといった環境の定常状態の変更が、この変数の定義に合った介入である。騒がしさは人格ではなく環境の設定として扱う
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 清潔にしすぎるとアレルギーになるから、家の掃除はほどほどに手を抜くほうが健康的だ | 2016年に公衆衛生の専門家グループ——衛生仮説の後継理論の提唱者本人を含む——が、家庭の清潔さとアレルギー増加をつなぐ証拠はないと明言した。免疫に必要なのは感染ではなく旧友微生物との接触で、その減少は掃除のせいではない。掃除の手を抜いて増えるのは感染症だけである |
| 家庭環境の質とは、要するにどれだけ清潔で立派な家かということだ | 112研究の総覧が示す主役は、清潔さではなく騒がしさと無秩序である。つけっぱなしのテレビ、鳴り続ける通知、定位置のない物、崩れる予定——この変数は子の言語や自己制御から親の応答の質まで7領域の悪化と結びつき、収入を考慮しても残る |
| 家が散らかって騒がしいのは、家族の誰かがだらしないせいだ | CHAOSスケールに犯人の欄はない。測られているのは環境の定常状態であって人格ではない。犯人捜しは騒がしさを一つも減らさず敵意だけを足す。音源を一つ止める、定位置を一つ決めるといった設定の変更は、誰の性格も変えずに実行できる |
衛生仮説の顛末には、教訓として出来すぎた皮肉がある。きょうだいの多い家の子にアレルギーが少ないという美しい観察は、掃除をさぼる免罪符として消費され、言い出した分野の専門家たちが総出で看板を下ろす羽目になった。その一方で、家庭環境の研究が四半世紀かけて積み上げた本命の変数——騒がしさ——は、免罪符にならないせいか、俗説になる気配すらない。人は、何もしなくてよいと言ってくれる科学だけを覚え、今日テレビを消せと言ってくる科学を忘れる。あなたの家の雑音は、その健忘の分だけ大きい。
Q1. Marsh ら(2020)の総覧は____の研究を7領域に整理した。研究の地理的な偏りは大きく、米国____件・英国____件が大半を占める。関連の多くは世帯の____や学歴を考慮しても残っていた。穴埋め
Q2. Vernon-Feagans ら(2012)が家庭の混乱を分解した2つの成分と、その研究の主結果を答えよ。一問一答
Q3. Strachan(1989)の研究について、本文の内容と合うものはどれか。選択
Q4. Bloomfield ら(2016)が衛生仮説という言葉を捨てるべきだとした理由を2つと、対案として提示した考え方の名前と中身を答えよ。一問一答
Q5. 本文の議論の流れに従い、次の4つを時系列の順に並べよ。(専門家グループが衛生仮説の放棄と標的衛生を提案/英国出生コホートできょうだい数と花粉症の逆相関が報告される/CHAOSスケールが開発される/112研究の総覧が騒がしさと7領域の関連を整理)並べ替え
家の中でいちばん長く人が集まる場所(食卓・居間など)を選ぶ。①常時稼働している音源(つけっぱなしのテレビ、鳴り続ける通知など)を1つ特定して、今日の夕食または夜の30分だけ止める。②定位置のない物の山を1つ選び、置き場を決めて移す。処置の前と後をそれぞれ写真に撮る。家族と同居していない人は、自分の部屋の作業机まわりで同じ2つを行う。犯人捜しはしない——変えるのは環境の設定であって、誰かの性格ではない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Matheny A.P., Wachs T.D., Ludwig J.L., Phillips K. (1995) 'Bringing order out of chaos: Psychometric characteristics of the confusion, hubbub, and order scale', Journal of Applied Developmental Psychology 16(3):429-444 — www.sciencedirect.com
- Marsh S., Dobson R., Maddison R. (2020) 'The relationship between household chaos and child, parent, and family outcomes: a systematic scoping review', BMC Public Health 20:513 — link.springer.com
- Vernon-Feagans L., Garrett-Peters P., Willoughby M., Mills-Koonce R., Family Life Project Key Investigators (2012) 'Chaos, poverty, and parenting: Predictors of early language development', Early Childhood Research Quarterly 27(3):339-351 — www.sciencedirect.com
- Strachan D.P. (1989) 'Hay fever, hygiene, and household size', BMJ 299(6710):1259-1260 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Bloomfield S.F., Rook G.A.W., Scott E.A., Shanahan F., Stanwell-Smith R., Turner P. (2016) 'Time to abandon the hygiene hypothesis: new perspectives on allergic disease, the human microbiome, infectious disease prevention and the role of targeted hygiene', Perspectives in Public Health 136(4):213-224 — journals.sagepub.com
- Rook G.A.W. (2013) 'Regulation of the immune system by biodiversity from the natural environment: An ecosystem service essential to health', PNAS 110(46):18360-18367 — www.pnas.org