「チェックリストで不正は防げる」——だが職務分掌が閉じるのは機会だけで、有名な『売上の5%』は実測ではなく専門家の自己申告だ
チェックリストや職務分掌さえあれば不正は防げる、と教わる。だが職務分掌が閉じにいくのは、不正のトライアングルの三要素のうち機会だけ。動機と正当化は残り、共謀は分掌そのものを破る。そして有名な『売上の5%』は、社会全体を実測した被害率ではなく、ACFEの調査に回答した専門家が見積もった損失率の中央値、つまり自己申告の推計だ。条文の実在と、相場の証明は、別物である。
「チェックリストで防げる」の前に、数字の出どころ
前の単位では、証憑をどう残すかを扱った。ここでは、その記録の裏側にある——不正の芽と、それを摘むと言われる仕組みを、まず数字の出どころから見直す。
この棚は★の単位で、ひとつの見方を正面から立てた。制度の条文は実在する。だが「不正で売上の◯%を失う」といった効果や相場の数字は、調査団体の自己申告から来ることが多い——条文の実在と、効果の証明は、別物である。 この単位は、その見方が最もよく効く場所だ。経理の不正防止には、有名な一つの数字と、有名な一つの理論が付いてくる。順に、出どころを確かめる。
よく聞くのは、「チェックリストや職務分掌さえあれば、不正は防げる」という言い方だ。まず、その手前にある「売上の5%」から見る。
「売上の5%」は、どこから来た数字か
不正防止の話になると、たいてい一つの数字が引かれる——組織は毎年、売上のおよそ5%を不正で失う、と。この数字の出どころは辿れる。ACFE(公認不正検査士協会)という団体が定期的に出している『Report to the Nations(不正に関する報告)』だ。
だが、その5%が何を測った数字かを確かめると、性格が変わる。これは、社会全体の被害を実測した値ではない。ACFEの調査に回答した公認不正検査士(不正を調べる専門家)が、自分の担当した事案から見積もった損失率の、中央値である。つまり専門家の見立てを集めた推計であって、母集団を測定した実測値ではない。ACFE自身、これを推計として位置づけている。★の単位で立てた見方——相場の数字は調査団体の自己申告から来る——の、まさに典型例だ。
ここで一つ、この単位のための断りを置く。この「5%」系の数字は版を重ねており、古い版の数値はこの棚の別の場所で既に扱った。ここで指すのは新しい版(2024年、または現行の2026年版)である。 版が違えば標本も回答者も違う。そして、いずれの版でも、5%という数字を裸で「消える」と断定しない。書けるのは、その数字が専門家の自己申告の推計だ、という出どころの事実のほうである。
fraud triangle——機会を閉じても、動機と正当化は残る
もう一つ付いてくるのが、fraud triangle(不正のトライアングル)という枠組みだ。由緒は古い。Cressey が1953年の著作『Other People’s Money(他人のカネ)』で、横領の社会心理を研究し、不正が起きるには三つの要素——動機(プレッシャー)・機会・正当化——がそろう、という見方を示した。
この三要素の枠組みは、その後の会計研究で整理され、拡張されてきた。Dorminey・Fleming・Kranacher・Riley が2012年にまとめた研究は、fraud triangle が fraud diamond や fraud scale といった後続の枠組みへ展開していく、その学術的な系譜を整理している。
ここに、「チェックリストで防げる」への値切りがある。チェックリストや職務分掌(誰が何をやるかを分けること)が閉じにいくのは、三要素のうちの「機会」だけだ。機会を狭めることには意味がある。だが動機と正当化は、機会を閉じても残る。三つのうち一つを閉じれば不正がゼロになる、という話ではない。統制は不正を減らしうるが、消し去る万能の仕組みではない。
共謀は、職務分掌を破る——中小の現実
職務分掌には、もう一つの穴がある。共謀だ。分掌とは「一人に権限を集めない」ための仕組みだが、複数の人が示し合わせれば、その前提は崩れる。Free と Murphy が2014年に示した研究は、人が不正で手を組む(co-offend)意思決定を検討し、共謀が職務分掌を無力化しうることを扱った。分掌は「一人で完結させない」ことに賭けているが、その賭けは共謀の前では効かない。
そして、ここに中小や一人の商いの現実が重なる。職務分掌は、分ける相手がいて初めて組める。申請する人・承認する人・記録する人・お金を扱う人を別々にせよと言われても、そもそも人が足りなければ物理的に組めない。一人で全部を回している人には、分掌そのものが選べない。これは怠慢ではなく、規模の制約だ。だからこの単位は、分掌を「できて当たり前」の前提にしない。
不正の類型についても、書けるところまでは書いておく。Holtfreter が2005年に示したのは、占有的不正が典型的なホワイトカラー犯罪とは特性が異なること。Trompeter らが2012年にまとめたのは、不正研究の到達点だ。ただし——不正を犯す人を、年齢や立場や性格といった属性で描かない。手口も書かない。 これは「誰が怪しいか」を見分ける話ではなく、「機会だけを閉じても足りない」という設計の話である。
時間・変化:由緒は古く、相場は版で動く
順に置く。1953年Cressey が横領の社会心理から fraud triangle の元になる見方を示す。2005年Holtfreter が占有的不正の特性を、2012年Dorminey らが fraud theory の系譜を、Trompeter らが不正研究の到達点を、2014年Free と Murphy が共謀の意思決定を整理した。そしてACFEの相場の数字は、版を重ねるたびに標本と回答者を変えながら、いまも更新され続けている。
この間に確からしくなったのは、「チェックリストで不正は防げる」ではない。確からしくなったのは、由緒ある理論は機会だけを閉じても足りないと言っており、有名な相場は実測ではなく専門家の自己申告の推計だ、という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「5%が消える」という相場を、実測された事実として対策の根拠にすることだ。それは専門家の見立ての推計で、あなたの商いの実測ではない。もうひとつの妨げは、チェックリストや職務分掌を「入れれば防げる」万能の仕組みと見なすこと——機会は閉じられても、動機と正当化と共謀は残る。
助けになるのは、他人の相場を追う前に、自分の商いのどこが「一人で完結しているか」を、記録の上で確かめることだ。誰かを疑うためではない。分掌が組めているか、組めないならどこが組めないかを、自分で把握するためである。
最初の一歩は10分。自分の商いの手続きをいくつか思い浮かべ、それぞれについて「申請する人」「承認する人」「記録する人」「お金を動かす人」が同じか違うかを書き出す。同じ人に集まっている手続きに印を付ける。誰かを観察したり疑ったりする必要はない——自分の分掌の設計図を、自分で一枚書くだけである。一人で全部を回している場合は、「すべて自分」と正直に書けばよい。それ自体が、規模に応じた統制を考える出発点になる。
次の単位は 424「締めのミスをなくすには?」——不正ではない、ただのミスを、ダブルチェックはどこまで減らせるのかを、別の研究の系譜から見直す。
- この単位はこの棚の通奏低音①——条文の実在と効果・相場の証明は別物——が最もよく効く場所である。よく引かれる『組織は毎年、売上のおよそ5%を不正で失う』は出どころが辿れ、ACFE(公認不正検査士協会)のReport to the Nationsに行き着く。俗説『チェックリストや職務分掌さえあれば不正は防げる』を、有名な数字と有名な理論の出どころから見直す
- その約5%は社会全体の被害を実測した値ではなく、ACFEの調査に回答した公認不正検査士が自分の担当事案から見積もった損失率の中央値=専門家の自己申告の推計である。ACFE自身が推計として位置づける。この数字は版を重ねており、この単位が指すのは新しい版(2024年または現行の2026年版)で、いずれの版でも5%を裸で『消える』と断定しない
- fraud triangle(不正のトライアングル)の由緒はCressey 1953『Other People’s Money』で、横領の社会心理から動機・機会・正当化の三要素がそろうという見方を示した。Dorminey ら 2012はこの枠組みがfraud diamond/fraud scaleへ展開する学術的系譜を整理した。チェックリストや職務分掌が閉じにいくのは三要素のうち機会だけで、動機と正当化は残る
- 職務分掌には共謀という穴がある。Free & Murphy 2014は人が不正で手を組む意思決定を検討し、共謀が職務分掌を無力化しうることを示した。分掌は一人で完結させないことに賭けるが、複数人が示し合わせればその賭けは効かない。統制は不正を減らしうるが消し去る万能の仕組みではない
- 職務分掌は分ける相手がいて初めて組める。申請・承認・記録・出納を別々にせよと言われても、中小や一人の商いでは人が足りず物理的に組めないことがある。これは怠慢ではなく規模の制約で、この単位は分掌を『できて当たり前』の前提にしない。不正を犯す人を属性で描かず、手口も書かない
- 確からしくなったのは『チェックリストで不正は防げる』ではなく、由緒ある理論は機会だけ閉じても足りないと言い、有名な相場は実測ではなく専門家の自己申告の推計だ、という向きである。Holtfreter 2005は占有的不正が典型的ホワイトカラー犯罪と特性が異なることを、Trompeter ら 2012は不正研究の到達点を整理する
- 最初の一歩は10分。自分の商いの手続きをいくつか思い浮かべ、それぞれ申請する人・承認する人・記録する人・お金を動かす人が同じか違うかを書き出し、同じ人に集まっている手続きに印を付ける。誰かを観察・疑うのではなく、自分の分掌の設計図を一枚書く。一人で全部を回している場合はすべて自分と正直に書けばよく、それが規模に応じた統制を考える出発点になる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| チェックリストや職務分掌を整えれば、不正はおおむね防げる。仕組みさえ入れれば安心だ | 職務分掌やチェックリストが閉じにいくのは、fraud triangle(不正のトライアングル)の三要素——動機・機会・正当化——のうち機会だけである。Cressey 1953が示したように、機会を狭めても動機と正当化は残る。さらにFree & Murphy 2014が示すとおり、共謀は複数人が示し合わせることで職務分掌を無力化する。中小や一人の商いでは、分ける相手がいなければ分掌そのものが物理的に組めない。統制は不正を減らしうるが、消し去る万能の仕組みではない |
| 組織は毎年、売上の約5%を不正で失う——この数字を根拠に対策の規模を決めればよい | その約5%は、社会全体の被害を実測した値ではない。ACFE(公認不正検査士協会)のReport to the Nationsで、調査に回答した公認不正検査士が自分の担当事案から見積もった損失率の中央値であり、専門家の見立てを集めた自己申告の推計である。ACFE自身が推計として位置づける。この棚が★の単位で立てた見方——相場の数字は調査団体の自己申告から来る——の典型例で、5%を裸で『消える』と断定しない。ここで指すのは新しい版(2024年または現行の2026年版)である |
| 不正を犯すのは特定のタイプの人だから、その人物像を見分ければ芽を摘める | この単位は不正を犯す人を年齢・立場・性格といった属性で描かず、手口も書かない。fraud triangleが示すのは、機会・動機・正当化という条件がそろう構造であって、犯人像の類型ではない。Holtfreter 2005は占有的不正が典型的ホワイトカラー犯罪と特性が異なることを、Trompeter ら 2012は不正研究の到達点を整理するが、いずれも『誰が怪しいか』を見分ける道具ではない。問いは、機会だけを閉じて足りるのか、という設計の側にある |
皮肉なのは、「チェックリストさえあれば不正は防げる」と説く資料ほど、その説得の根拠に『売上の5%が消える』という数字を掲げることだ。条文は実在し、統制の枠組みも実在する——だが、その5%は誰かの実測ではなく、専門家が自分の事案から見積もった推計の中央値である。そして由緒あるトライアングルは、はるか昔から言っている。機会を閉じても、動機と正当化は残る、と。不正がチェックリストで防げているように見えるとき、たいていそれは、まだ運よく、機会以外の二つが揃わずに済んでいるだけかもしれない。
Q1. よく引かれる『組織は毎年、売上の約5%を不正で失う』という数字は、実際には何を測ったものか。出どころと性格を述べよ。一問一答
Q2. fraud triangle(不正のトライアングル)の三要素は ____ ・機会・____ である。チェックリストや職務分掌が閉じにいくのはこのうち ____ だけで、残る二つは閉じても残る。由緒は ____ の1953年の著作にさかのぼる。穴埋め
Q3. 『職務分掌さえあれば不正は防げる』への、この単位の値切りとして最も適切なものはどれか。選択
Q4. Free & Murphy 2014が示した『共謀』は、なぜ職務分掌の前提を破るのか。分掌が何に賭けているかに触れて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Free と Murphy が共謀の意思決定を示す(イ)Cressey が横領の社会心理から三要素の元を示す(ウ)Dorminey らが fraud theory の系譜を整理する(エ)Holtfreter が占有的不正の特性を比較する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の商いでお金や物が動く手続きをいくつか思い浮かべ(仕入れ・売上の入金処理・立替精算・備品購入など)、手続きごとに『申請する人』『承認する人』『記録する人』『お金を動かす人』が同じ人か違う人かを書き出す。同じ人に集まっている手続きに印を付ける。誰かを観察したり疑ったりする必要はなく、自分の分掌の設計図を一枚書くだけでよい。一人で全部を回している場合は、正直に『すべて自分』と書く。最後に、印の付いた(一人に集まっている)手続きの数を書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Association of Certified Fraud Examiners (2024) Occupational Fraud 2024: A Report to the Nations(新しい版・現行の2026年版を含む) — www.acfe.com
- Cressey D.R. (1953) Other People’s Money: A Study in the Social Psychology of Embezzlement, The Free Press(複製はInternet Archiveで参照可) — archive.org
- Dorminey J., Fleming A.S., Kranacher M.-J., Riley R.A. Jr. (2012) ‘The Evolution of Fraud Theory’, Issues in Accounting Education 27(2):555-579 — doi.org
- Free C., Murphy P.R. (2014) ‘The Ties that Bind: The Decision to Co-Offend in Fraud’, Contemporary Accounting Research 32(1):18-54 — doi.org
- Holtfreter K. (2005) ‘Is occupational fraud “typical” white-collar crime? A comparison of individual and organizational characteristics’, Journal of Criminal Justice 33(4):353-365 — doi.org
- Trompeter G.M., Carpenter T.D., Desai N., Jones K.L., Riley R.A. Jr. (2012) ‘A Synthesis of Fraud-Related Research’, Auditing: A Journal of Practice & Theory 32(Supplement 1):287-321 — doi.org